サンジの機嫌が恐ろしく悪いのは、このバケツをひっくり返したような雨のせいなのであって俺のせいではないのだから、その人殺しみたいな顔でこちらを睨むのはやめていただきたい。
何度目かのタイミングで、俺は賛同の意を伝えるべく「わかる、わかるぞサンジ君。これは確かに酷い雨だ」と頷きながら言った。
「…なぁんで今日に限って、こんなアホみてぇに雨が降るんだよウソップ…」
これが漫画だったなら、今サンジの背後に「ズゴゴゴ…」みたいな効果音が書き込まれていた事だろう。殺気が尋常ではない。
「昨日も一昨日もカンカン照りだったのに、なんで今日になって突然こんな降るんだよ。あぁ?」
「…」
「ずーーーっと前から計画立ててクソ楽しみに待ってたこの日に、なぁ?なんでだ」
「…」
「何とか言ってみろクソッ鼻。あぁ!?」
話しながら激昂していくサンジはすこぶる怖い。出来る事なら三メートル、いや五メートルくらい距離を取りたい。でもそれは叶わない願いなのである。
なんでかって、俺たちは今一つの傘の下で肩を寄せ合っていて、柄を持つ俺の手を上から物凄い力でサンジが握り込んでいるからなのだ。
俺は怯えながらも何とか言葉を紡いだ。
「うん、それはきっとほら、あれだな。日頃の行いが良くなかったんじゃねーかな」
「あ!?俺が悪いって言いてえのか!?」
目を見開いて聞き返すサンジのこめかみには青筋が浮かんでいる。どんだけキレてんだよ。どんだけ怖ぇんだよお前。
「いや、ほら、俺の!俺のね、行いが!」
慌てて訂正すると、サンジは上がった肩をゆっくり下ろしてから「…お前なわけねーだろ…」と舌打ちしながら呟いてみせた。
なぁサンジ。俺だってさ、お前の気持ちわかるよ。なんで今日に限って、こんなバカみてーに雨が降るんだよ。やってらんねぇよな?
四月一日はここに行こうって、お前の好きなもん全部食おうぜって、楽しそうに「屋台の街、ナナイロ島」と書かれた観光案内紙を広げて見せてくれたお前の顔、俺すげーしっかり覚えてるよ。
折角ナミから下船許可を貰って、二人きりで、この歓楽街が有名な島を練り歩けると思ってたのに。
屋台が有名な歓楽街は、雨のせいで見る影もない。屋台がやっている時に使われているであろう暖簾やのぼり、椅子などが、建物の屋根の下に至るところに寄せ集められていた。
人も全然歩いてないし、それを店側も予測していたのだろう。屋内の飲食店も「本日は終了しました」だの「準備中」だの、気分が滅入る立て札ばっかり軒先に出していやがる。
悲しい気持ちを紛らわそうと意気込んでも、この大雨にそのやる気を持っていかれる。溢れるのはため息ばかりだし、ひたすら落ちていくのは俺の肩だ。
「…もうとにかく開いてる店探そうぜ」
サンジの言葉に頷くが、30分以上歩いているにも関わらず、俺たちは一向に営業してる店と出会えていない。ああ、絶望的な気持ちになってきた。
今にも「帰るか」と言ってしまいそうなのだが、サンジはそんな俺の気持ちを察知したに違いない。ドスの効いた声で「帰らねーぞまだ」と言った。
「こんな誕生日があってたまるか」
「…でもさぁ」
「この島に来てよかったって思わせるまで帰らねーぞ俺は」
無謀なことを言う。
無謀な男はタバコを口に咥え、雨のせいで湿気りなかなか火がつかないジッポライターにイラつきながら、舌打ちをしてみせたのだった。
どれくらい歩いたか、変わり映えのしない景色の先の方で、提灯が光っている店が前方に見えた。
「!サンジ!あれ!」
「あ?」
「ほら!店!やってる!」
傘の柄を持っていない方の手で指をさすと、サンジも少しだけ驚いた様子で「おお」とこぼした。
「よし入ろう」
「おう」
少しだけ歩く速度を速めて、俺たちは互いの体が傘からはみ出ないように気をつけながらその店へ向かった。
チャチな作りの引き戸を開けると、薄暗い店内の奥の方から「いらっしゃい」という声が聞こえた。
5人ほどしか座れないカウンターがあるだけの、ひどく狭い店内だった。
引き戸のそばにある傘立てに畳んだ傘をしまっていたら、店主と思しき初老の女が「よく来たねぇこんな雨の中」とカウンターの向こうで笑いながら言った。
「ミセスマダム。早速ですが注文しても?」
サンジの言葉に店主は頷いて「はいよ」と短い返事をした。
すぐさま料理に取り掛かってしまった店主の背中に俺は慌てて声をかけた。
「おいおいばあさん、俺たちまだメニュー表を見せてもらってもないんだぜ?」
「うちには、そんなもんないよ」
店主のばあさんは、笑いながらこちらを振り返った。
「作るもんは一つしかないからね」
そう言ってばあさんが取り出したのは、淡い水色をした魚だった。
見たことない魚だったのは、サンジも同じだったらしい。カウンターに身を乗り出してその魚をまじまじと見ている。
「マダム。この魚は?」
「アメノウオっていう魚だよ。おいしいよ」
「アメノウオ…初めて聞く名前だ」
「この辺りでしか獲れないからね。それに雨の日にしか現れないんだよ、この魚は」
「雨の日にしか?」
ばあさんの言葉にサンジがどんどん興味を持っていくのを、俺は隣の席に座りながら黙って眺めていた。
「獲ったらその日のうちに調理しないと、この水色がどんどんくすんでしまうんだよ」
「へえ」
「だからうちは、雨の日しか営業してないんだ」
そうして、ニカッと歯を見せてばあさんが笑った後、俺とサンジは互いに顔を見合わせた。
もしかしてさ、すげー貴重な体験してんじゃねえか?俺たち。
暫く待っていると、カウンターテーブルの上に料理の皿がいくつか乗っかってきた。
タタキや揚げ物、炒め物、そのどれもに水色が綺麗に映えている。不思議な光景だった。
「じゃ早速、いただきます!」
腹が減っていたことと好奇心も合わさって俺はすぐさま箸を伸ばした。
まずタタキから口に運ぶ。すると口の中でコリコリ…いや違うな、プチプチ?うーんなんだろう、ポツポツ?とにかく今まで体験したことのない歯触りを体験した。
「…うまい!」
食感に驚いていたら味の美味さに気づくのが数秒遅れた。これは美味い。鯛に似ている。
タタキをどんどん口に運ぶ俺を見ながら、サンジも一口目をゆっくり味わっていた。
「ん」
驚きながらこちらを見て頷くサンジに「な!?」と、若干興奮しながら返した。
「…なんか、口の中で雨が降ってるみてぇだ」
サンジのその発言は正にメチャクチャうまいこと言い得ていた。
そうそれ。それだよ!雨がポツポツ地面に当たる感じ。あれに似てるんだ。
「名前の通りでしょう」
ばあさんがフライパンを振るいながら笑う。
「雨じゃなきゃ出会えない魚だよ。ゆっくり楽しんでいって」
ばあさんの言葉に、俺たちは揃ってジンときてしまった。
なぁサンジ。来れて良かったな。さっきまで最悪の気分だったけどさぁ。今この世界で、これを味わえてるのは俺たち二人だけかもしれねぇんだと思うと、顔が勝手に緩んじまうよ。嬉しいな。
…無謀って思ってごめんな。俺、この島来れて良かった。
アメノウオのフルコースを平らげて勘定を済ませたあと、ばあさんが思い出したように言った。
「あんたらは恋仲の二人?」
急に聞かれ、俺はとっさに「いやまさか!」と否定しかけてしまったのだが、サンジは当たり前のように「ええ」と返事をした。
ちょ、「ええ」っておま、そんな簡単に認めちゃっていいのかよ。え、恥ずかしい奴だなオイ。早く店出ようぜオイ。
ばあさんは嬉しそうに笑った。
「そう、そしたら雨が上がるまでなんとか辛抱しないとね」
「?どうして?」
サンジの問いかけに「なんだ、知らないの」と、ばあさんは少し驚いてみせた。
「この島の言い伝えちゅうか…まあ、迷信みたいなもんだけど」
「?」
「雨上がりにね、虹がとびきり綺麗に見えるんだよ、この島は」
「へえ、そうなのか?そんな事、観光案内紙には書いてなかったと思うけどなあ」
「ここ数年は雨が降る機会が減ったからね。でもナナイロ島の名前の由来は、虹から来てるんだよ」
ばあさんは数秒考えるように黙ったあと、ニヤリと笑いながらこちらを見た。
「雨上がりの虹を見ながらキスをするとね、二人の仲は永遠になるのよ」
……う、うわぁ~。そういう類のアレかぁ~。どういう反応したらいいかわかんねぇ~。
なんと返答しようか困り口籠っていたら、横から金髪のバカが「そりゃいいな!」と会話に飛び込んできやがった。バカやめろ。
「雨が上がるまで待とうぜウソップ!」
「…わかった、わかったから店出よう、な?」
「マダム!教えてくれてありがとう。このご恩は一生忘れません」
「ふふ、そうかいよかった」
「もう分かったから!出ようって!」
サンジの首根っこを掴んで、ついでに傘立てから傘を引っこ抜いて引き戸を開ける。
サンジは揚々とばあさんに投げキッスをかましていた。どういう神経してんだよと一発殴ってやりたい。
…そら、嬉しいのは分かるけど!さっきまでの気分とは打って変わって、心が踊ってる感じは俺も多少はあるけど!!
外に出るとだいぶ小雨になっていた。
「ったくよぉ…」と呟きながら傘を広げると、サンジが嬉しそうに俺の肩を抱いてきた。
「見ろウソップ。もう向こうの空から晴れ間が見えてら」
「…はしゃぎ過ぎなんだよ、恥ずかしい奴だなほんとに」
「へへ」
あのさぁ。そういう、お前の子供みたいなところがさぁ…あ~やだやだ。ちくしょうくそったれ、俺は好きでたまんねえんだから、ため息ついて誤魔化さなきゃいけねえんだよ。分かってんのかよ。
来た道を戻って歩いていたら、雨が傘に当たる音がどんどん減り、代わりに陽の光が街を照らし始めた。
なんだこのタイミング。出来すぎててこえぇよ。
「ウソップ、傘どけろ」
サンジが言うのと同時に俺から傘を奪い、畳む事もしないで道端に投げた。
上を見上げると、ばあさんが言っていた通り、とびきり綺麗でバカでかい虹が、空のど真ん中で両手を広げていた。
…ああ、なんか、言葉になんないな。なんで俺、泣きそうになってんだろう。
「クソすげえな」
「…うん」
雨上がりの、人っ子一人いない歓楽街が雨露でキラキラしている。たくさんの水たまりが虹の色を反射して、視界の全てが七色に染まっていた。
この一瞬をさぁ…この光景をさぁ。今こうして、お前と一緒に胸に焼き付けられるなんてさぁ。ああ、どんだけすげえ誕生日プレゼントなんだろう。
どうしよう、ダメだ。悲しくないのに視界が滲む。
「ウソップ!」
サンジは誰もいない大通りの真ん中で、嬉しそうに両腕を広げて叫んだ。
「愛してるぜ!キスしよう!」
恥ずかしいとか、馬鹿だとか。
普段の俺だったらここで今、サンジの胸のあたりを手の甲で叩いて、小気味よくツッコんだりしてたかもしれない。
…でもできないよ。
最大級の笑顔でそう言うお前の全てが、俺は今、愛しくて大切で、どうしようもない。
溢れる想いは言葉になんねえから、サンジの腕に助走をつけてから飛び込んだ。
「おう!!」
サンジと同じ音量で放たれた俺の叫びも、虹の彼方に飛んでいく。
世界は綺麗だ。
いつだって、お前といたら!