珍しい植物が沢山育つこの島は「花の都」と呼ばれていた。なるほど確かに、街にはいくつもの花屋と、その店先には見たことのない観葉植物が数多く並べられていた。
数日前、誕生日を迎えた恋人に何か欲しいもんは無えかと尋ねたが、毎度お馴染みリクエストなんぞありゃしねえ。それどころか「つうか改めて言うけどさ、いつも旨い飯ありがとな」って感謝までされる羽目になった。クソ、俺はお前を祝いてえんだよ。生まれてきてくれてありがとうな愛してるぜって、感謝と愛を伝えてぇんだよ先にありがとうって言うんじゃねぇクソッ鼻。
理不尽な苛立ちを抱えながら煙草のフィルターを消費する。せっかく「花の都」なんて呼ばれてる島に上陸したのだ、花束の一つや二つ、いや金が許すなら三つか四つくらい、あの長鼻に贈ってやろうと思う。
3バカは今、街の裏手にあるだだっ広い草っ原でドタバタと鬼ごっこをしているとのことだ(船長がわざわざ船員全員にそう宣言をしてから駆けて行ったので)。ゾロは寝ながら船番(それは船番とは言わねえが)、ナミさんは久々にショッピングができると言って嬉しそうに買い物へ繰り出した(ウキウキしてるナミさんは史上最高にクソ可愛かった)。
ふと、ある花屋の前で足が止まった。入口の前に飾られている花に目を奪われたのだ。
花びらは一枚が大きく、中心を包むかのようにぐるりと大きく囲っている(形状は「カラー」という花に似ている)。そして角度によって、その色が違って見えるのだ。こんな花は見たことがねえ。
煙草の火を消してからその花に顔を近づけてまじまじと見つめる。水面が揺らめくように色を変える花びらは、見ていると何だか不思議な気持ちになった。
「…これにすっか」
俺はその花を店の花瓶から奴の年の数だけ抜き取って店内の扉を開けた。
店内奥のカウンターに持っていくと、花屋には似つかわしくない髭面の、よく肥えた店主が俺を出迎えた。
「ウォーターサーフェスね。贈り物で間違いないか?」
「おう」
「じゃあ今包んじまうからちょっと待っててな」
店主は手慣れた様子でブーケを作った。その手さばきに感心しながら「ウォーターサーフェスって言うのか?」と軽く尋ねると、手元に集中したままの店主は「そうだよ」と答えた。
「水面みたいに見えるだろ、花びらが。だからウォーターサーフェス。こんな花初めて見ただろ」
何だか得意げになる店主に少し笑いながら俺は頷いた。
「ここら一帯でしか栽培してなくてね。丈夫な花だから割と長持ちすると思うよ、はい出来た」
店主から花束を受け取り、ポケットから財布を取り出す。
「いくらだ?」
「12万ベリーだ」
「へ」
店主の言葉に思わず目が丸くなる。だってなんつった、え、今、12万っつったか?
「じゅ、じゅう…」
「12万ベリーだ」
店主の顔と手元の花束を何度か見比べる。マ、マジかよこの花そんなに高ぇのか。ちょっと待て今財布の中にいくらある。12万入ってたか?足りるか?
「…」
チラと財布の中身を薄目で確認したら12万と1302ベリーが入っていた。ギ、ギリギリだ、ギリギリ足りる。…けれどここで12万使ってしまったら、残り1302ベリーで下着とシャツと靴下を数着買わなきゃいけねえことになる。…どう考えても無理じゃねえか。
「…」
どうすんだ俺。この島で衣類を買い足しておかねぇとこの先すげぇ苦しいぞ。ジェントルのたしなみっつうもんが維持できなくなっちまう。どうする、花の本数を減らすか。いやダメだ歳の数だけ包んだ花束をどうしても渡してやりてえ。それにもしも本数の理由を奴に尋ねられてしまったらどうする。「金が足りなくて」なんて答えるのか俺は。ありえねえ、ありえねえだろそんなの。
「?どうした?金足りないか?」
店主が困った顔して俺を見る。いや困っているのは俺の方だ。嗚呼、おニューのシャツとパンツでアイツをときめかせてやりたかったのに。
「…………いや、買うよ…どうもな…」
握りしめた12万ベリーを店主に渡す。俺の手の中で皺を作った12枚の札を受け取り、店主はキャッシャーに閉まって「まいど」と言った。
さよならシャツとパンツと靴下。
犠牲を払って手に入れたウォーターサーフェスの花束を片手に、俺は奴の所へ向かった。街から歩いて10分ほどの場所にある草っ原に到着し、3バカの姿を探す。すると遠くの方で船長と船医が何かを捕まえて喜んでいるのを発見した。
「おいテメーら!」
呼びながら駆け寄ると二人とも俺に気づき、得意げになりながら捕まえた虫を見せびらかしてきた。
「ほら見てみろサンジ!不思議幼虫だ!」
「ざけんな、んなもん顔のそばに近づけんじゃねぇ!」
クソグロテスクなそれを視界から遠ざけてもらい(マジで意味が分からねえ程気持ち悪い)、俺は早速本題に入る。
「ところで長ッ鼻はどうした」
俺の問いにチョッパーが答えた。
「ウソップは向こうの林の方に行ってるぞ。珍しい虫つかまえ対決してるんだ今!」
「…そーかよ…お前らの気が知れねぇわ…」
げんなりした。何が楽しくてそんなことやってんだ。もう一度言うが気が知れねぇよ。
「まぁいい分かった、あっちだな。んじゃあばよ」
「サンジも不思議虫捕まえ対決に参加するのかー!?」
ルフィが笑いながらそう叫ぶので「んなわきゃねぇだろ」とツッコんでおいてやった。いや本当に、更にもう一度言うが気が知れねぇな。
チョッパーが指差した方角、林の中へ足を踏み入れると少し遠くの方でチラチラと動く人影があった。特徴的な長ぇ鼻。奴だ。
やっぱりウソップも虫を捕まえようとしているらしい。木の幹をじっと睨んだまま手をゆっくりと伸ばしている。
俺は息を殺してゆっくりと背後から忍び寄った。何を捕まえる気かは知らねえが、集中しているにも程があるだろうと思う。全く俺の気配に気付かないウソップの、その無防備さに少し呆れた。虫を捕まえて何が楽しいと言うのか。気が知れねぇな。はあ全くこれで4回目だぜ。
「わっ!」
ことさらデカイ声で真後ろから叫んでやると、ウソップは肩を上げながら「どひゃあぁ!!」と、俺よりも更にデカイ声で驚いてみせた。声に反応したのか、その瞬間に木の幹から何かが羽音を立てて飛び立つのが見えた。う、気持ち悪ぃ。二度と舞い戻ってこないで欲しい。
「あっ、あー!飛んでっちまった!エレファントオオカブト!!」
ウソップは宙を見上げながら悲しそうに言った。それから数秒後こちらを振り返り結構本気で俺を叱りつけた。
「だーっ、もう!何してくれてんだよバカ!!せっかくの大物が!!」
「おうウソップ、探したぜ」
「聞けよ!!」
ウソップの抗議を右から左に流し、俺は背中の後ろに隠していた花束をウソップの前に差し出した。ウソップは訝しげな表情で花束を見つめ、首を傾げてみせた。
「数日遅れだが、誕生日おめでとう。愛してるぜ」
「お、おう?これ、俺にか?」
「おーそうだよ、受け取れ俺の愛を」
そう言うとウソップは素直に花束を受け取り、少ししてから嬉しそうに笑った。
「へへ、ありがと」
…この顔を見れただけで12万の大金も安いと思えてしまうのだから、恋っつうのはクソ偉大だな。相変わらず自分の骨抜き加減にため息が出るぜ。
「ん、なんかスゲェ変わった花だな!なんだこれスゲェ!」
花びらの色の変化を楽しむようにして色々な角度からそれを覗き込むウソップが可愛くて自然と笑いがこぼれた。そうそう、そうやって驚くお前の反応が見たかったんだよ俺ぁ。
「ウォーターサーフェスっつうんだと」
「へえ、初めて見たな~。嬉しいよ、ありがとなサンジ」
「おう、丈夫で長持ちし易いだと。まあ一週間ちょっとは保つだろ」
「…」
俺がそう言うとウソップは少し寂しそうな顔をした。こいつのこういう一瞬は本当にささやかだ。油断すると見逃してしまう。
「…なんだよ、どうした」
「や、花ってさ、こんな綺麗なのにさぁ…」
「おん?」
「このままずっとは、残しておけねぇんだよなあと思って。…枯れてくところを想像するとさ、なんかちょっと悲しくなるよな」
「ネガティブかよ」
「そーだよ」
「そーだった」
タバコの灰を落としながら笑うと、ウソップもつられて笑った。
「今は咲いてんじゃねえか、んな事想像してシュンとすんな。今はその姿の花を全力で愛でりゃいいだろ。枯れてから悲しくなれよ」
「ポジティブだな」
「そーかよ」
「そーだよ」
そしてまた可笑しそうに笑うウソップが、花束を抱えて笑うその姿が、なんだか急に儚く思えてしまって俺は思わず抱き寄せた。…テメーがなんか変なこと言うから。俺にまで湿っぽいのが伝染したじゃねぇかクソ。
「…嬉しい時に、悲しくなること想像して悲しくなんなよ」
「…うん」
「喜んどけよ。喜ぶお前が見たくて買ったんだから」
「…うん」
言葉を尽くすけれど、きっとお前にはイマイチ伝わらねぇんだろう。だって俺と違ってお前はいつも、頭の中を難しい事柄でいっぱいにしてこねくり回してやがるから。
喜びの陰に隠れる悲しみや、幸せに寄り添う憂鬱をお前はいつも見つめている。俺にはそれがよく分からない。きっとお前がどんなに言葉を尽くしても。
…だからいいんだ、俺たちは。似合ってんだよ。そう、クソお似合いなんだ。補い合っていこうぜ、お前が俯く時は何回でも俺が、無理やり顎を掴んで上を向かせてやるからさ。
「生まれてきてくれてありがとな、愛してるぜクソッ鼻」
ネガティブなテメーにも届くだろう、これだけ真っ直ぐな愛の言葉なら。
花は枯れる。でも綺麗だったその時が消える訳じゃねぇ。それでいいじゃねえかって、この花が枯れる頃お前に何度でも言い聞かせてやるから安心しろよ。
「ありがとなサンジ。大事にする。大事にするよ」
「おう、なんせ俺のパンツと引き換えだからな。クソ大事にしろ」
「は?パンツ?なんじゃそりゃ」
頭の上にハテナマークを何個も並べるウソップに、「うっせ」と一言だけ悪態をついてから俺はキスをした。