一年に一度くらいの頻度で似たような夢を見る。それは決まって「失敗できない何らかの場面」で「必ず失敗をする」夢だ。
どんな失敗か。それは日付を勘違いして予定をすっぽかす、人の名前を大勢の前で間違える、忘れちゃいけない書類を机の上に置き去りにする、超大作のドミノを自分の不注意で倒す、舞台の上でセリフをド忘れする、とか。…他にも色々ある。
失敗の内容はその時によって大小様々だけど、夢の中で感じる絶望はいつも決まってクライマックスだった。
自分の年齢も境遇もいつだってバラバラ。だけど俺はどうしてかこの夢が「あのシリーズだ」と毎回すぐに分かるのだ。
この物語の終わりには失敗が待っている。目が覚めた後もずっと引きずる、失敗っていう名前の枷みたいな鉛玉が、必ず俺を待ち受けている。
俺は夢の中、顔面蒼白になって口をパクパク動かしながら、ない頭を捻って必死で考えるのだ。許される為には何をしたら良いか、こう責められたらなんて返そうか、許されなかった時に土下座以上の効力がある行為はなんだろうか。
ただひたすら、冷や汗と緊張が俺の全身を包んで喉が鳴る。キンキンという警告音が心臓の真ん中に巣食って、それが最高潮のボリュームになったところで、俺は必ず、目を覚ましてしまう。
このシリーズにはいつも明確なピリオドはない。許されたのか許されなかったのか分からないまま、自分の心臓がドクドクと暴れる感覚だけを鮮明に描いて終わってしまうのだ。
だから俺はいつも、失敗した俺のことを周囲がどんな顔で見ていたか、どんな言葉で責めていたかが思い出せない。夢の中の自分の五感だけが妙にリアルに、夢と現実の境界線の間を行き来する。
目が覚めて、暗闇に自分の荒い呼吸が場違いみたいに響いて、夢の中で味わった感覚をなぞりながら段々思考を取り戻す。
今回は、俺が寝坊したせいで同じ班のみんなが修学旅行のバスに乗れないという失敗だった。
同じ班のメンバーが誰だったとか何人だったとかは曖昧で覚えてないのに、だけど寝坊した時間は4時間16分だったとか、慌てて支度してる時の自分の様子とか、そういうことはやけにくっきり覚えてるんだ。
そうか夢だったんだと気付くのに、いつも長い時間がかかる。少しずつ元通りになっていく自分の息の音を聞きながら、ああ今回も嫌だったな、めちゃくちゃリアルだったなって、夢の中の出来事を順番になぞって並べていった。
これは神様が寄越す、定期的な俺への報せなのかもしれない。
最近たるんできてないか?あぐらかいてないか?サボってないか?気を抜いてないか?おまえは人よりずっと、あらゆることが不器用なんだから、常に気を引き締めてなさいって、そのことを忘れてはいけないよって、一年に一回鳴らされる神様からの警笛。
もしそうなら、もう少し不鮮明にしてくれてもいいんだけどな、と思う。鮮明過ぎてさ、だって、怖くて寿命が縮んじゃいそうだ。
呼吸と脈が元に戻って、俺はまた目を瞑る。今度は幸せな夢とかじゃなくていいから、画面全部ずっと真っ暗でいいから、朝が来るまでぐっすり眠らせて。
その数秒後、部屋のドアが開かれる音が小さく聞こえた。
誰か入ってきたのかと驚いて、俺は閉じた瞼をもう一度開いた。暗闇の少し先、ぼんやり広がる視界の中、ドアの向こうから部屋に入ってきたのは臣クンだった。
「…臣クン」
「…あ、悪い。起こしちまったか」
てっきり臣クンはそっちのベッドで寝ているのだとばかり思っていたから、一瞬、臣クンが二人になってしまったのかと混乱した。まだ俺の脳は半分くらいがフラフラ寝ぼけていて、操縦不能のようだ。
臣クンは音を立てないようゆっくりドアを閉めて「トイレに行ってたんだ」と小声で言った。
「起こしてごめんな。よし、もう一回寝るか」
臣クンが片手を伸ばして俺の頭を二回、優しく手のひらで撫でる。
ベッドの感触、四角い天井、自分の息の音、臣クンの手の温度。
ようやく100%、夢の世界から現実に引き戻された俺は、さっきわざと見て見ない振りをした自分のことを、臣クンの手を借りながら見つめる。
「……許さないなんて言われてないのに、また俺、許されることばっか考えてたよ」
「ん?」
汚いよ、臣クン。俺は夢の中でも、最高に汚い。
「平気で土下座するんだ」
「…うん?」
「効力とかいって、許される為にもっと効果がある方法ないかなとか考えてて」
「……」
「頭を地面に、擦り付けるんだ。…平気でやるんだ。これ言われたらああ返そうとか、汚いこと考えながら上の空で土下座するんだ」
「……うん。そうか」
神様からの警笛なんかじゃない。馬鹿だ。
明確に許されたくて、俺はあらゆることから許してほしくて、誰も俺をそんな目で見てはいないのに、責められてなどいないのに、だけど「許される」という明確な体験をいっぱいしたくて、いっぱいいっぱいしたくて、俺は夢の中でそれを叶えようとする。
馬鹿野郎だ。汚いな。反吐が出ちゃうな。許される為に吐いた「ごめんなさい」に、なにか価値があるとでも思ってるのかな。本気でそんなことを、1ミリでも望んでしまっているのかな。
…汚いなぁ、俺は。臣クンの手のひらの温度が、あったかいから、痛いなぁ。
臣クンが、俺を見上げながら優しく笑った。
「…早く誰か発明してくれないかな」
「……へ?」
臣クンはそれから手を俺の頭から目元へ移動させて、濡れた目尻を人差し指で優しく擦った。
「誰かの夢の中に入れる装置。そしたら俺、毎日その装置使うんだけどな」
「……ふ、楽しそうソレ」
「だろ。そしたら夢の中のさ、太一の隣にスタンバイして、太一が顔上げた瞬間おでこに絆創膏貼るんだ」
想像する。土下座をする俺の隣、臣クンが絆創膏を持って俺の顔が上がるのをじっと待っている。
きっとソワソワしながら。上手に真ん中にシワを作らず貼れるかなとか、きっとそんなこと考えながら。
「…ひひ、臣クンかわいい。ちんぷんかんぷんッスよ」
「いいんだよ。夢ってそういうもんだろ」
臣クンが笑うから、喉が熱くなって、どうしようもなくなって、途端に泣いてしまった。掛け布団を引っ張って、その小さなスペースの中に顔を隠して、子どもみたいに泣いてしまった。
「いいんだよ」
臣クンの言葉が夢の中の俺の肩をこれでもかってくらい優しくさする。
この夢のシリーズに、これからも臣クンは決して登場しないだろう。
夢の中の俺は臣クンを知らない。臣クンという人と出会えないままこれからもずっと、何年も何十年も失敗をして、なぞっては繰り返して、汚さを重ねて、口をパクパクさせながら許される方法を考え続ける。
ああ、夢の中じゃなくて生きている俺が、現実を生きている方の俺が、臣クンに出会えていて良かった。
…逆じゃなくて良かった。本当に本当に本当に良かった。
臣クン俺もね、その装置が発明されたらきっと毎日使うよ。物語なんて無視して、辻褄なんて度外視して、俺は突然臣クンの隣に現れてさ…そしたらさ、二人でおんなじ夢が見れるかなぁ。
夢の中で俺たちは、おんなじ気持ちで、笑っていられるかなぁ。