2月が昨日終わって、今日は3月の最初の日。
いつも通りルフィと馬鹿をやってナミに怒られ、つまみ食いをしてサンジに蹴り飛ばされ、いたって穏やかに(俺様は打たれ強いので)1日が終わろうとしていた。
明日、何かあったような気がするんだけど何だったかな。まあいいか。今日も元気に海賊業を謳歌した。実に有意義な1日だった。
満ち足りた気持ちで欠伸をして、数秒で眠りについた。今までで3本の指に入るほど寝つきの良い夜だったと思う。
ふと気がつくと知らない場所に自分が立っていて、どうした事だろうと考えた。
少ししてから、ああそうか、これは多分夢だなと気がつく。夢を夢だと気づける夢の事、なんて言うんだったっけか。考えながら知らない道をゆっくりと進んだ。
白い霧がかかっていて前方がどうなっているのか分からない。空気は生暖かい。けれど俺は恐怖をまるで感じずにズンズンと進んだ。これは怖い世界ではないと何故だか確信が持てるのだ。根拠はない。夢ってそういうもんだもんな。
目印も特にないまま、ひたすら足を繰り返し踏み出す。どれ位歩いたか、暫くすると何処かから誰かの咳き込む声が聞こえた。声は幼く、多分少年なのだろうなと予想する。俺はその声がする方へ、耳を澄ませながら歩き進めた。
その声がだいぶ近くなった頃、霧だと思っていた白いモヤがそうでない事に気づいた。これは煙だ。どこかからもくもくと湧いて発生しているのだ。
匂いはない。目にしみる事もない。夢だから親切設計なんだろう。手で払いのけると、少しだけ視界がはっきりと見えた。
そしてその先に、声の主がいた。
やっぱり少年だった。その場でうずくまり、金色の髪を自分の腕の中に沈めている。右手にはその小さな手には似つかわしくない煙草が添えられていた。煙の正体はこれだ。
少年は咳き込んで、吸って、また咳き込んで、一体何が楽しいのかこちらに気づく様子もなくその行為を延々と繰り返している。
声をかけようか迷って、でも俺が声をかけなきゃこの夢の世界は時が止まったままだろうなと何となく分かったので、その小さく丸まった背中に声をかけてみた。
「おい」
俺の声に小さな背中はびくりと動いた。ゆっくりとこちらを振り返る少年の、その顔を見て「あ」と思わず言ってしまった。
この少年は、サンジだ。
「…誰だお前」
小さなサンジが、実に可愛らしい声でそう言った。いつも聞いているサンジの怒号を頭の中で思い浮かべて天と地ほど違う声の差に感動すら覚える。
目つきは相変わらず悪いが、全く怖くないのでよしとする。
「俺様はキャプテン・ウソップだ。8000人の部下を携え大海原を東へ西へ。海の戦士となる為に倒した敵は数知れず。ゆくゆくは」
「もういい」
小さいサンジは俺の言葉をブツリとぶった切り、憂鬱そうにため息を吐いてみせた。
「何だか浮かない様子だなサンジくん」
「何で俺の名前知ってんだよ」
「そりゃ、何でも知ってるさ俺は。お前が追いかけてる夢の事も将来バカがつくほど女好きになる事もな」
そう言ってやると小さいサンジは目を丸くして「…何でも?」と聞き返してきた。
「おう、勿論。何でもだ」
「…俺が何でここに一人でいるかも?」
サンジが煙草の灰をトントン落としながらこちらを見上げてくる。助けを求めているような顔に見えた。
「おう、分かるとも。俺に見つけてほしかったから、お前はここにいるんだ」
笑うと、サンジは「全然違えんだけど!」と顔を赤くしながら抗議した。
「違ったか」
「………ジジイに」
サンジが語りだす。ジジイとは多分、あの三つ編みの髭をしたコックのじいさんの事だろう。オーナーゼフって、言ったかな。
「今日までありがとうの気持ちを込めて、料理を、作ってたんだ。あんまり不味くて全部捨てたけど」
サンジが下手くそな笑顔を作ってみせる。こういう顔を子供がしているのを見るとおそろしく胸が痛む。…何でだろう。
「ジジイみたいな美味い料理も作れないし、俺、何の役にも立ってない。勝手に食材使って、全部無駄にして、むしろクソ迷惑なガキだよな。この煙草も勝手にくすねてきたんだ。嫌なやつだろ」
同意を求めてくる少年の隣にしゃがみ込んで、俺は首を横に振った。
「…ありがとうの気持ちを込めて誰かに料理を作れる奴が、嫌なやつな訳ねえだろう」
背中をガシガシと撫でると、少年は歯を食いしばりでも結局せき止められずにべそべそと泣き出した。
「今日、俺の誕生日なんだ…」
その言葉を聞いて俺はハッと思い出した。そうか、そうだよ。3月2日は、大切な、大切な日だったじゃないか。
「…だからジジイに、世話になってる他の奴らに、俺の作った料理を食べてもらって「美味い」って、笑って、ほしかったんだ」
「…そっか」
「俺、俺いつになったら「お前がいてくれてよかった」って、思ってもらえる人間になれるんだろう」
泣きじゃくりながらそう言って、少年は、よせばいいのにまた煙草を吸う。いつも見ている持ち方よりその手は随分辿々しくて、吐き出す煙もいびつに見えた。
咳き込んで、泣きながら笑って、また咳き込んで、サンジは小さなその肩を自分で抱いている。
これは俺が作り出した夢だから、こんな想いを本当は、サンジはしていないかもしれない。
けれどもし天文学的な確率の奇跡で、なんていうか眠れる俺の超能力で、はたまた神様からの導きで、いやいやただの偶然であったとしても。
もし本当にサンジが経験した過去の切れ端に、俺が今触れているのだとしたら、それはもう、なんていうか、マジで、全身全霊をかけて、抱きしめてやらなくちゃ。
小さな体を自分の腕の中に収めて、力強く、本当に渾身の力を込めてサンジを抱きしめた。
「なにすんだクソッ鼻!離せ!」
初対面でクソッ鼻って呼ぶのかよ。随分だな。まあどうでもいいや。
「よく聞け泣き虫小僧」
腕の力を緩めないまま言った。腕の中で小さいサンジが何か抗議をしているようだけどひとまず無視しておこう。
「俺様とお前はいつかまた出会うぞ。その時お前はすっかり大きくなっていて、横柄で横暴で全く可愛さの欠片もねえ野郎に育ってるけどな、いいかここからが大事だぞ耳の穴かっぽじれ」
俺は一呼吸置いて、続けた。
「お前は毎日、世界一美味い料理を俺たち仲間に作ってくれるぞ。お前がいてくれて良かったって、本当に本当に良かったって、俺たちは毎日、いつだって思ってる!」
叫ぶように言った。
届くかな。届くといいな。閉まりかけてるその扉も、こんだけ近い距離で言ったんだ。少しくらいは開くといいな。
腕の力を緩めてサンジの顔を覗き込む。これ以上泣くまいと歯を食い縛るその顔は、まるで怒っているみたいだ。
「…変な鼻のにいちゃんありがとう」
「おう」
「俺、もっかい作ってくる」
「おう、頑張れ少年」
少年は俺の腕からするりと抜けると、煙草の火を地面に押し当てて消した後パタパタとどこかへ駆けて行った。
見えなくなる手前で、最後に振り返って一言だけ。
「またな!」
そう言って白く濁る視界の奥へ、消えて行ってた。
少年が残した吸い殻を拾って(ポイ捨てはよろしくないが、まあ夢の中だから大目に見よう)、俺も立ち上がる。
ここで目を瞑れば、多分俺は夢から覚めるんだろう。相変わらず根拠はないけど確信している。時間はちょうど0時を回ったところで、きっと3月2日になりたての頃合いに違いない。
起きたら言うぞ。一番に。だってきっと、これはそのための夢だ。
ゆっくり目を閉じると、まぶた越しに世界が真っ暗になるのが分かった。その瞬間ばちりと目を開ける。ほらやっぱり。俺は男部屋のハンモックの上にいる。
近くの時計を手繰り寄せて、鼻がぶつかる程顔を近づけ盤を見る。暗いからよぉく目を凝らす。思った通り、時計の短針が12を、長針が5の少し左側を指していた。
サンジが男部屋にいない事を確認して、急いで起き上がる。パジャマのままでもいいや。髪もボサボサだろうけど、それもどうでもいい。
天板を開けて男部屋を後にする。やっぱり予想通りついているラウンジの灯りを見て「よし」と俺は意気込んだ。
「サンジ!」
この時間帯に似つかわしくない音量だった事は自覚している。まあでもそれだってたいした問題じゃない。
勢いよく開いた扉の向こうで、サンジは一人ニンニクの皮を剥いているようだった。剥かれたニンニクが大きなガラス瓶の3/4くらいを埋めていた。オリーブ漬けにでもするんだろうか。
サンジは目を見開いてこちらを見ている。相当驚いているに違いない。俺もこの登場はさぞ驚かれるだろうなとは思っていた。だって本当に唐突だもんな。
「…どうした」
一瞬止まっていた手の動きを再開させ、サンジは俺にそう尋ねる。
「眠れねえのか。これ終わったら何か淹れてや」
「サンジ!よく聞け!!」
言葉を遮って人差し指を突き立てる。
サンジの中にある扉が少しでも開くように、その奥にいるあの少年にも聞こえるように…今目の前にいるサンジに、俺の思いが伝わるように、俺はすうっと息を吸ってから、伝えたい気持ちを言葉にして贈る。
「毎日、世界で一番美味い料理を作ってくれてありがとう。一緒に馬鹿なことやったりして沢山楽しい時間をくれてありがとう。お前がいてくれて良かった。本当に良かった。これからもずっとずっと、よろしくお願いします」
届いたかな。一人膝を抱えて、泣きながら煙草を吸っていたお前の心の奥に。今目の前にいるお前の心の内側に。
「………」
少しの沈黙の後、サンジは「ふぅー」と唇を突き出して息を吐いた。
「…なんなんだよお前」
それから、その言葉の後に、
「泣かせる気かよ」
と、笑いながら言った。
「よし、少しは届いたな」
「あ?」
「いや、こっちの話。ニンニク剥くの手伝ってやる。今日は何でも我儘言っていいぞ泣き虫小僧」
ふんと鼻を鳴らしながら隣に立った。サンジは首を傾げて「変な夢でも見たのか?」と不思議そうに俺に尋ねる。
夢なら見たよ。
こう言ったら小さいお前は「そんなんじゃない」って必死で否定してくるかもしれないけど。でもやっぱり俺は思うんだ。
俺に見つけてほしくて、お前はあそこで待ってたんじゃねえのかな。
「サンジ、誕生日おめでとう」
俺の言葉にサンジはまた目を丸くさせて、腕時計に目をやってから「おお、いつの間に」と一人呟いた。
「…それ言うために起きてきたのか、まさか」
「うん」
迷いのない俺の回答にサンジが笑う。その笑顔は夢の中で小さいサンジがしたような悲痛なものとは違う。本当に嬉しそうで幸せそうな、最高の笑顔だ。
うん、そっちの方が似合うよ。断然いいよ。
「ご丁寧にどうも。クソ嬉しいぜ長ッ鼻」
サンジの笑顔に笑い返しながら、夢の中で見た後ろ姿を思い出す。
少年。
その後もっかい作った料理はうまくいったか?ありがとうの気持ち、届いたか?
辛いことあったらまた、俺が見つけてやるから安心しろ。咳き込むくらいなら煙草なんざ吸わなくていいよ。煙を燻らせてわざわざ目印にしなくたって、俺はちゃんとお前を見つけてやるから。絶対に。
少年。
誕生日おめでとう。また会おう。