今夜は何卒




「えー…本日はお日柄もよく…」
「…カーテン閉めてっから見えねえけどな…」
「…」

さっきから、ずっとこんな調子だ。言葉の頭に必ず「あー」か「えー」か咳払いが付いてしまう。
痒くもないのに鼻の下をこすった。これも多分、この部屋に入ってから数百回はやっている。

俺は今、とある島のホテルの一室にいる。
先ほど風呂から上がって、部屋に備え付けられていたバスローブを羽織り(パンツは履いている)スプリングのやたら硬いベッドの上であぐらをかいている訳だが、すぐ下を向いて自分のすね毛を凝視してしまう。
前を向けないのには訳がある。
俺の後に風呂に入ったサンジが数分前風呂から上がり俺と同じバスローブを身につけこの狭いシングルベッドの上、俺と向き合うようにして煙草をふかしているからであった。

「…あー、良い風呂だったなしかし」
「…クソ狭ぇ風呂だったけどな…」
「…」



どうして部屋割りがサンジと二人という結果になったのか。
答えは単純だ。野郎全員で部屋割りのジャンケンをしようとなった時、サンジがおもむろに挙手をして一言「俺、こいつと一緒にしてくれ」と、俺を指差しながら言ったからである。
青天の霹靂である。一体なぜ。俺は目を丸くした。
だって仮にも他の奴らには付き合っていることを隠しているというのに、何でそんな危険な発言をしたんだこのクルクル眉毛は。

そう。実は俺たちは付き合っている。
ちょっと前に両思いだったという事が発覚して、その後サンジから「なあ、付き合おうぜ」と言われたのである。
付き合い始めてどれ位経っただろう。数ヶ月ってところだろうか。
勿論この事は誰にも言ってないし出来るなら今後も誰にも知られたくない。
サンジも同じ考えだったようで、他の誰かがいる時にそういった発言や行動をする事はなく、俺は胸を撫で下ろした。
実に順風満帆な数ヶ月だったと思う。

それが何故だ。どうしたんだサンジよ。なぜ何の前触れもなく「部屋を一緒にしてくれ」なんて言い出したんだ。
他の連中に「なんで」と聞かれたのに対しサンジは「こいつに直してもらえそうなモンがいくつかあんだよ。同じ部屋の方が都合がいい」と、何だかすごくそれらしい事を言ってのけた。だけどそんなの聞いてない。断じて聞いてないぞ俺は。
その時よっぽど俺が変な顔をしていたんだろう。サンジは皆から見えないよう俺の背中を肘でつついてきた。話を合わせろという事らしい。
慌てて「まあ俺様の手にかかれば直せん事もない!新しく買うより安く済むしな!」と胸を張りながら言った。俺はなんて臨機応変な対応が出来る奴なのだろう。
勿論そのやりとりを誰も不自然に思う事はなく、呆気なく部屋割りは決まった。俺の「バレるのでは」という不安は取り越し苦労だったのだ。

部屋に着いてから、二つ並ぶシングルベッドの片方にサンジが上着やら荷物やらを乱雑に置いていくので「そっちのベッドがお前か?」と尋ねたら「こっちは荷物置き場。俺たちゃ二人でそっちのベッドに寝るんだよ」と予想だにしない言葉が返ってきた。
「は…はぁ…なるほど…」と、まあお分かりの通り冷静さを全く装えないまま相槌を打つと、サンジは煙草を取り出しながら「ま、そういう訳なんで」と、どういう訳か一切の説明がないまま視線を逸らしてしまった。
俺も相当なもんだと思うけど、サンジだってまあまあ顔が赤かった。
そうだよ。そうだよなぁ〜…だって俺たち、付き合ってるんだもんなぁ…。

付き合ってからというもの、手を触れ合ったり髪を触ったり、ごく稀に抱きしめあって軽いキスをする事はあったけれど、それ以上に深く触れ合う事はなかったのだ。
二人きりの部屋、同じベッドの上、付き合っている二人。…そ、そういう事だよな〜…。

ゴクリと生唾を飲み込んでから、サンジを盗み見する。
金色の髪と煙草の煙の灰色が絶妙なコントラストを描いている。サンジはいつだって美しいのだ。黙っていれば。

「風呂入れば」
突然そう言われて「うん!?」と変な返事をしてしまった。
「…なんなら一緒に入るか」
「いや!いやいやいや!それはどうだろう!」
サンジの言葉に思い切り腕を振って同意しかねる旨を伝えると、部屋に入ってからずっと硬い顔をしていたサンジが笑った。
「冗談だ。入ってこいよ」
サンジの笑った顔に俺も変に入っていた力が抜けて、非常に良い気持ちで風呂に浸かれた。

考えてみたら、付き合ってるんだから一緒に入る事を冗談にしなくても良かったんじゃねえかな。
ああ、俺が予想以上に狼狽えたもんだからああ言ってはぐらかしてくれたのかな。サンジお得意のアレだな、紳士的気遣いってやつだな。
まあでもこの風呂の狭さじゃ二人で仲良く入るなんて事も出来なかっただろうけど。簡素なユニットバスの中でそんな事を考えながら、いつもよりは念入りに体を洗った。なんでってそりゃ、まあ、だってこの後…なあ?

風呂から上がって脱衣所に置いてあるバスローブを羽織った。素っ裸の上にバスローブ一枚だけというのがどうにも心もとなくて、悩んだ末パンツを履いた。
その格好で部屋に戻ると、サンジが「おお」と短く言って灰皿に煙草を押し当てた。
「じゃ俺も入ってくるか」
そう言ってネクタイを外すサンジを見て、ゴクリと唾を飲み込んでしまった。ああ俺緊張してるんだな、と自覚した。
「…バスローブ」
脱衣所へ続くドアを開けながら、サンジがこちらを振り返り言う。
「うん?」
「そそるぜクソッ鼻」
ニヤリと笑うサンジの台詞に、体温がブワッと上がるのが分かった。な、な、な、何でそういう事を前触れなく言うんだこの男は。いや前触れがあっても困るんだけど。
「そ、そうかね!!」
「あーその返事は色気ねえな。減点」
そしてサンジは手をヒラヒラとさせながらドアを閉めたのだった。

「ぬぅ、スーパーキザコックめ…心臓に悪い発言すんなよ全く」
独り言を呟きながら、散らかっていない方のベッドに腰掛ける。
…このベッドの上で、今夜、いたす訳か…なんか信じられねえなあ…。
男同士でやる場合の所作なんて欠片も分かんねえし(こう言うと、じゃあ男女の場合の所作はどうなんだと聞かれそうだから先に言っておく。童貞をなめるな馬鹿野郎!知るか!)、無事に成し遂げられるのか甚だ疑問だ。

あいつは知識や経験があるんだろうか。いや、全くないって事はねえだろう。だって同じ部屋になる事を願ったのはあいつ本人な訳だし。
これで蓋開けてみて「何も知りません」だったら笑うぞ俺は。
もしかしたら女との経験と、そして男との経験もあるのかもしれない…。う、こういう事を考え出すと腹の奥の方がモヤモヤしてきて嫌だからやめようと、今まで何回も自分に言い聞かせてきたのに。
思えば初めて手を繋いだ時も、抱きしめられた時も、不意打ちでキスをされた時も。毎度毎度そういった事を考えて俺は一人落ち込んでしまうのだった。我ながら何の生産性もない行為だよなとは思う。
サンジにはそれについて質問した事は一度もない。そういう事を気にする面倒な奴、と思われるのがどうしても嫌だったし、何より事実を知って打ちのめされるのが怖かったのだ。
多分きっと、これから先もずっと聞けない。けれど何度も頭をよぎるんだろう。
それを考えると少し憂鬱で、ああ幸せの中にはいつだって不安の種が芽吹いているんだよなと思い知らされるのだ。
「…誰かと比べられたりすんのかな、今日…」
呟いてみて、馬鹿みたいだが自分で大打撃を受けてしまった。

悲しみの大波が俺を襲おうとしてきた瞬間に、風呂から上がったサンジがやってきた。
「どうだクソッ鼻。一応ペアルックだぜ」
バスローブを身に纏って嬉しそうにサンジは笑う。それを見て波が引いていってくれるのを感じた。
ナイスタイミングだ恋人よ。…良かった。

「似合ってる似合ってる。胡散臭さもピカイチ」
「あ?なんだとこの野郎。オロされてえのか」
そう言いながらサンジは俺が座っている横に腰掛け、俺のこめかみを拳でグリグリと攻撃してきた。
「いっ、いだいいだい、ちょ、やめたまえサンジ君よ」
「オメーが胡散臭いとか言うからだろうが〜あ〜?訂正しやがれ」
「分かった訂正する!するって!」
俺が慌ててそう言うと、サンジは拳の力を弱めた。
「よし、じゃあ俺のバスローブ姿に対する正しい感想を言ってみろ」
どうしても言葉で(しかも褒め言葉限定で)聞きたいらしい。サンジのこういうところは、本当に笑ってしまうくらい子供だ。

「…似合ってて、色気もあって、カッコいいと思います、けど」
「……マジかよ…」
「ば、ばかたれ!言えって言ったお前が赤くなってどうする!」
全く本当に困るったらありゃしねえ。
あのな、照れっつうのは伝染するんだよそう言う風に出来てんだよ。ほら見ろ俺なんて手まで熱くなってきやがったどうしてくれんだコノ。
何か文句を言ってやろうと思ったら、そっと指を握られて心臓が跳ねた。

「…良かった」
「…?な、なにが」
「部屋割り決める時、お前に拒否されなくて」
それからサンジは、繋がった指に視線を落としたまま本音をぽつぽつと語った。

「…まさかお前と付き合える事になるなんて思ってなくてよ。最初のうちはそりゃもうひたすら浮かれてた。視界にお前がいるだけで嬉しかったし、笑った顔見てクソ幸せな気持ちになってよ」
「ほ、ほう?」
いたって冷静な振りをして聞いているけど、ぶっちゃけ俺の心臓は今にも爆発しそうである。
「でもまあ、俺もそこまでできた人間じゃねえから段々それだけじゃ満足出来なくなってきてさ。お前に触りてえとか、一緒に気持ち良くなりてえとか、ずっと考えてたんだよな最近は」
「…」
「それで、もう我慢もクソ限界だと思って、博打のつもりでああ言ったんだ」

…知らなかった。サンジが我慢をしていたなんて。そしてそれを限界と感じるほど積み重ねていたなんて。
順風満帆だなんて、俺は何を根拠に思っていたんだろう。俺のすぐ横でサンジは、いつもずっと、耐え忍んでいたのだ。
言ってくれれば良かったのに、と言おうとして、いや違うサンジは、言えないくらい俺を大事に想ってくれていたんだと分かった。
…自惚れじゃねえよな?だってさ、縋り付くみたいにお前、今、俺の指を握ってんだもん。
嬉しいやら恥ずかしいやら抱き締めたいやら、全部引っくるめてこういうのを「愛しい」って言うんだろうな。溢れて止まらなくて、思わず俺ももう片方の手でその指を握り返した。

「…サンジ」
「ん」
「今夜は、どうか何卒、宜しくお願いします」
「…」
深々と頭を下げて言うと、暫くしてから噛み殺した笑い声と共に「男前かよ」という言葉が降ってきた。

向かい合って、見つめ合って、想いを言葉に出来ない代わりにキスをして。
これからもこんな風に、何度もドキドキするんだろう。照れ臭くてこっぱずかしくて、でもやっぱり、舞い上がるほど幸せだ。
唇が離れた後、 サンジの真剣な眼差しに捕まって思わず目が泳いでしまった。

「えー…本日はお日柄もよく…」
「…カーテン閉めてっから見えねえけどな」
「…あー、良い風呂だったなしかし」
「…クソ狭ぇ風呂だったけどな」
「…」
ことごとく的を得ない俺の言葉にサンジが的確なツッコミを入れていく。
何か適当に言って沈黙を回避しなければと、慌てる俺の心を見透かしたのか、サンジは「大丈夫だから」と俺の頭を撫でて言った。

「何も怖くねえから」
「…うん」
心の中のざわめきが消えていく。髪の上を滑るサンジの掌の温もりを、目を瞑って追いかけた。
「男相手は初めてだけど、一応予習は一通りしてある」
「い、いつの間に…」
初めてだと聞いて嬉しく思ったが、今はそれについてニンマリしている場合ではない。
「痛くねえように最善の努力は尽くすからな。お前も善処しろよ長ッ鼻」
「?お、おう…?」
「できるだけ力抜いて」
「お、おう」
「息止めたり声我慢したりもすんなよ」
「…うん…?」
何故だか先ほどからサンジの言葉に違和感を覚える。俺の緊張を解そうとしてくれているのが伝わって、それは非常に嬉しいんだけども。
…もしかして、もしかすると…あれー…?

「あの、念のため聞いていいっすか」
おずおずと挙手をして発言すると、話の腰を折られたと思ったのかサンジは少し眉をひそめた。
「あ?何だよ」
「…俺が、男役で、いいんだよな?」

恐る恐る、とはまさにこの事だ。
少しだけ首を傾げ、口元をヘラリと緩めながらサンジの顔色を見る。
…あ、合ってるよな?間違ってねえよな?同意してくれ頼む。ここまで来てそもそもそれが見解の相違なんだとしたら、悪いけど俺たちメチャクチャ面白えぞ。
サンジが青ざめた顔で俺をしこたま睨んでいる。
…ああ、どうやら俺たちは最高に面白いみてえだ。こうなったらもう、お笑いで世界目指すか。

「……クソ面白くねえ冗談抜かしてんじゃねえぞ…」
サンジが震えながら言った。
「どっからどう見てもテメーが女役だろうが!!」
恐らく俺の数百倍は寝耳に水状態だったのだろう。サンジは可哀想な程取り乱している。

「おま、お前、俺が女役をやるとおも、思ってやがったのか!?し、信じらんねえ!!クソ信じらんねえ!!」
「いや、だって普通に考えたらお前の方が顔も端正だし綺麗つうか…」
「バカ言うな!!お前の方が愛嬌あんだろうが!!どんだけ可愛いと思ってんだ!!」
「そ、それはお前の主観だろ!俺は一般的な意見を言ってんの!」
「一般!?こんな狭ぇベッドの上に一般論とか持ち込んでくんじゃねえ!!俺は常日頃テメーが可愛くて仕方無えって事しか考えてねえぞ!!」
「やめろ恥ずかしい!初耳だよ!」
「お前を犯してるとこ想像して何回抜いたか分かってんのか!あぁ!?」
「おい待てお前今とんでもねえ事言ってるぞ!え!?怖っ!!」
「テメーは俺が犯されてるの想像して抜けんのか!?あ!?抜いた事あんのかよ!?」
「ねえよ!おかしいだろ俺がそんな事考えてたら!」
「それでどの口が男役とか言ってんだオロすぞクソ野郎!お前は今から!俺にヤラれんだよ分かったか!!!」
サンジの怒号が部屋中に鳴り響き、耳の奥でキーンという音がした。

人間というのは不思議なものだ。
目の前にいるのは先程までと何も変わらない俺の恋人の筈なのに、今俺の目にはその恋人が牙を剥き出しにした怪物のような何かに映るのだ。信じ難い言葉を聞いてしまったからだろう。恐ろしい恐ろしすぎる。

「…時にサンジくんよ」
「あ!?」
「夜も更けた事だし、もう眠ろうではないか。俺はあっちのベッド、君はこっちで寝たまえ」
はははと笑いながら荷物で散らかっている方のベッドへ避難した。
だって無理だ。何をどう考えても無理だそんなの。心の準備が(勿論体も)、微塵もできていないのだ。

「は?おいこらウソップ何の冗談だ」
ドスの効いた声が俺を呼ぶが無視だ。俺は荷物をベッド横の床に移す事に専念する。
「おいクソッ鼻、聞いてんのかテメエ」
ベッドがあらかた片付いたので掛け布団をめくり首から下をスッポリと布団の中に収めた。
「…おい、いい加減に」
「無理なもんは無理!!!!!」
言いかけたサンジの言葉を俺は力強く遮った。サンジは呆気にとられている。知ったことか、これが呆気にとられた選手権だったら俺の方が勝ちに決まってる。

「お前の言い分はわかった!そして俺の言い分も受け容れろ!お互い譲歩して今日は眠ろう!あと俺はさっきのお前の発言に若干引いている!もし襲ってきたりでもしたらもうこれ以上ない程幻滅するからな!以上おやすみ!!」

言い切って、頭もすっぽりと布団の中へ隠した。全く眠くないが無理やり目を閉じる。
サンジが何か抗議しているようだが聞こえない振りを貫いた。
ついでに狸寝入りのつもりででかいイビキをかいてみせたら「嘘だろ…」という絶望の淵を歩いているみたいな声が聞こえた。



ちょ、ちょっと可哀想だったかな。
いやいや、でもやっぱり無理だ。おいそれと簡単に体を預けられるほど俺の肝は座っちゃいないのだ。

…一つだけ、さっきのお前の言葉には、まあ確かに引いたけど、その、なんだ、ところによっては嬉しいと感じる部分もあるにはあったと、いつか訂正してやらないとな。
うん、じゃあ俺の肝が座っていつかお前に体を許せるようになった時にでも、訂正するか。

うーんと、それって何年先になるだろ…。