自分の中にあった気持ちを自覚し、それに改めて赤面してアワアワするのは先週辺りで終わりを迎えた。
俺は今次の段階に来ていて、来てしまった今となってはもう遅いが、前段階の自分を懐かしく感じ挙句の果てには羨ましいと思うようになってしまっていた。
だって実際そうなのだ。先週までは楽しかったのだ。浮き足立っていたと言ってもいい。
今は事ある毎に悲しくなったり腹が立ったりする自分が哀れでしょうがない。
その感情を吐露する場所もなくて、やたら煙草の本数だけが増える。
恋は忙しない。グランドラインの天候よりもよっぽど。
気付いた時既にそれは報われないものだと分かってから、俺は何回項垂れたのだろう。
「さっ…みいなあ~…もー…」
冬の海域にさしかかった船は、数日前とは打って変わって極限の寒さに包まれていた。
先ほどまで甲板で雪遊びに専念していたクルーが一人、根を上げてキッチンに逃げ戻ってきた。
キッチンは船内のどの場所よりも暖かい。常に俺が料理で火を使っているからだ。
「寒い時だけはちょっとお前の役職が羨ましくなるよサンジ」
鼻の先を赤くしながら、ウソップは両手をすりすりと擦り合わせている。
「アホか。お前は役職が何だろうと雪が降りゃあ外に飛び出すんだろうが」
こんな憎まれ口だって、最近になってようやく、良いテンポで返せるようになった。
端から見れば今までとなんら変わらない俺たちだろう。
唯一今までと違う点は俺だけにしか分からない。こうやって皮肉やツッコミを入れる度、それとは異なる事を心の中でだけ唱えるのだ。それは勿論ウソップだけに。
お前がこうやってキッチンに入り浸るならもう永遠に真冬でいいな、と心の中でウソップを口説いてみたりしながら、表面上の会話を繋げる。
いつかうっかり声に出す方と心の中で呟く方を逆にして言ってしまいそうでヒヤヒヤする。でも、そうなってももういいかな、と笑う自分もいる。つまり一人で隠し通すのが辛いくらいに、こいつに惚れているという事らしい。
ゾロが好きなのだと知った時からかもしれないし、それを俺に知られて、泣いたのを見た時かもしれないし、はたまた、俺が慰めた時に見せた笑顔を目の当たりにした時かもしれない。
でもそれはきっかけで、そのずっと前から俺は既にこいつの何処かに捕まっていたのかもしれないとも思う。
いつからか分からない。でも気付いてしまったら、もういつとかどこがとかひどくくだらない疑問である事が分かる。
以前俺が「ゾロのどこが好きなのか」と尋ねた時の、こいつの答えが、今なら本当によく分かる。だから悲しい。悔しくて堪らない。
「ウソップのどこが好きなのか」。
そんなものは分からない。というかどうだっていいんだ。そんな事を考えるくらいなら、今俺のそばにいるこいつの仕草を、一つもとりこぼす事のないよう見つめていたい。
ウソップの鼻の赤みがひいた頃、ちょうどココアが完成した。俺はそれをつい、とウソップの前へ差し出す。
「風邪引かれたら面倒だし。これ飲んでクソあったまれ」
「おお、いいのか」
ウソップが受け取ると同時に背中を向け「他の奴には言うなよ」と付け加えた。
お前にだけ優しい俺、というのを、こうやって日々こいつにアピールしている。…我ながら健気で笑っちまうぜ。
「男には鬼みたいなサンジが…やべえぜ、雪でも降るんじゃねえか?」
「雪なら降ってんだろうがクソっ鼻」
ウソップは「なかなかに良いツッコミをするな。もう一人前だ」とよく分からない事を楽しそうに言った。
その笑顔が見たくて必死なんだこちとら。馬鹿野郎。
「ウソップー!雪だるさんの顔はお前じゃなきゃ無理だあー!」
外からルフィの無邪気な声が響いた。こうやって数分で邪魔が入る日常にもすっかり耐性がついてしまった。
ココアを急いで飲み終え「ごちそうさん!」と言ったウソップは、何も言わなくともそのマグカップを洗おうとする。
本当に、他のクルーには真似できねえ芸当だと思う。失礼に聞こえるかもしれないが、こういう気遣いは誰よりも…愛しのナミさんよりも秀でている、かもしれない、なんて。
俺はそれを制して「いいから遊んでこい」とだけ言った。ウソップから奪ったマグカップを手際よく洗う。
「お前…大丈夫か?やべえ紳士っぷりだぞ。一体何を目指してんだ」
お前と両思いになる事。…とは心の中でだけ。
視線をシンクへ落としたままウソップを片手で「しっしっ」とやった。
「俺ぁ今機嫌がいいんだ。…そんだけだよ」
「ほーん…よくわかんねえけどココアうまかったよ、ありがとな」
何かを口に運んだ時、いかなる時でもこいつは「ありがとう」もしくは「ごちそうさま」を言葉にする。気にしていたらすぐ分かってしまった。その確率は、絶対だ。
そんな些細なところにまで、心臓をぐしゃりと握りつぶされるから、俺は本当に苦しい。嗚呼抱き締めたいそのまま強引にキスの一つでもかましてやりたい。
その衝動をぐっと堪えてやり過ごす俺を誉めてもらいたいもんだ。クソッたれ。何も分かってねえんだよなこいつはさあ。
キッチンを後にしたウソップの、甲板で楽しそうにルフィ、チョッパーと戯れる声を聞きながら俺は煙草を取り出した。
目一杯煙を吸い込んで、鼻と口両方から漏らすように煙を吐く。
「何でこんなに惚れたかな…」
可愛くて、しょうがなくて、報われなくて。
毎日本当に、クソ大変だ。
その日の夕食、皿の上が全て空になるのを見計らってナミさんがクルー全員に嬉々として伝えた。
「明日の夜は見張り番なしよ、全員しっかり着込んで甲板に集合するように!」
「なんだ!?何かあるのか!?」
「いつになく嬉しそうじゃねえか、どうしたんだよナミ」
「雪遊び大会か!ナミ!!!」
チョッパー、ウソップ、ルフィの言葉を順番に聞いてから、ナミさんは口の周りを丁寧にティッシュで拭き取った。
そしてニコリと笑った後ゆっくりと、続く言葉を更に嬉しそうな顔で告げる。
「明日は100年に一度の、ストリングシャワーが見られる夜なの!」
「???」
残念ながら、ナミさん以外の全員、勿論俺も含めてその言葉の意味を知る者はいなかったようだ。
「ス、ストリップ…!?」
目をハートにしかけた俺にナミさんはすかさずゲンコツを下す。嗚呼いたい。が、甘美な痛みだあ。
「なんだ、その…スリーン…?シャワー、ってのは」
よく聞いていなかったであろうゾロが珍しく会話を繋げた。
「ス・ト・リ・ン・グ!大規模な流星群の事よ」
ナミさんはフンと鼻から息を出し、まったく、とむくれてみせた。
「おおおお!流星群!俺生まれてこのかた見た事ねえぞ!」
ウソップが目を輝かせて身を乗り出す。
頭をさすりながら、そういえば、流星群なんてもんは俺も見た事ねえなあと思った。
「ふふ、しかもこの流星群はね、夜空の奇跡と詠われる程美しいの。星が流れた後もその軌道が数秒間消えずに残るんだけど、あ、それは何でかっていうと、人間の目には光が強いから、そういう風に見えてしまうわけなんだけど」
「要するに!不思議空だな!」
ルフィの言葉を「まあ、そうね、不思議よ確かに」と否定もせずナミさんは受け入れた。
「たくさんの星の軌道が残るから、空が光の糸に埋め尽くされたように見えるの。だからストリングシャワーっていうのよ」
「でも、ナミ、まだ雪雲が覆ってるぞ?流星群…見られるのか?」
チョッパーが心配そうに質問するが、ナミさんはそう聞かれるのも予想していたのだろう、ご心配なく、と間髪入れずに答えた。
「私の予想によれば、明日のお昼になれば雪はやむわ。空も晴れる筈よ」
ルフィ達は「うおおお!」とガッツポーズをとり、今から待ちきれないとでも言うように肩を組んで歌いだした。どうやら即席で作った歌らしい。
「スートストスト・ストリング~!」と、中身がまるでない歌詞と音程不在のメロディーで踊った。
「100年に一度か…凄いですね、ロマンチックじゃないですか、ナミっすわん…」
キラリと効果音を出しながらナミさんを見つめるが、ナミさんはまるでそれが見えていないかのように、そのまま席を立ちキッチンを後にしようとしている。
「じゃ。今日は全員早く寝ておきなさいよ。おやすみ」
扉のしまる音と同時に「野郎共!風呂だ!俺が最初に入る!そして最初に寝る!」とルフィが起立する。
チョッパーとウソップは先を越されるものかと「俺が先だ!」と続いた。
ドタバタと三匹ぶんの足音が洗面所の方向へ吸い込まれるのを聞いてから、ゾロも一足遅れて席を立つ。
「…っち、スラ何とかが今日だったら見張りしなくて済んだんだがな」
マストへ向かおうとするその背中に「運がなかったなマリモくん」とからかいの言葉をかけてやるとジロリと睨まれた。
「明日がてめえだったか…ひどく嬉しそうじゃねえか。…顔緩んで馬鹿みてえだぞクソコック」
ゾロのクソ腹の立つ捨て台詞を聞いても、俺は浮かれたままだ。
そう、ゾロの言うとおり、明日の見張り番は俺の予定だった。だが顔がほころぶのはそれが理由じゃない。
100年に一度しか見られない流星群なんて、普段星や気象にまるで興味の無い俺でさえ胸が躍る。
それを、この仲間達と…そしてあいつとも見られるのだ、と思うと、そりゃあもう浮かれる。マジで浮かれる。どんな歯の浮く台詞だって言えそうな気がする。
その貴重な一瞬を、あいつは他の誰ともではなく、俺たちと見る事になるのだと思ったら、まだ出会った事もない知らない誰かに「ざまあみやがれ」と言いたい気持ちになった。
少し冷静になって考えてみれば、それはおかしな事だ。「俺たち」の中にはあいつが惚れてる「ゾロ」だっているのだ。
横恋慕の自分が何浮かれてやがる、と自嘲気味に笑う俺が、頭の隅の方から声をかけてくる。
「…クソうるせえな。嬉しいもんは嬉しいんだ。文句あっか」
独り言にしては随分と凄んだ声で、自分を笑うもう一人の自分を黙らせた。
ナミさんの予報はやはり百発百中で、本日午後のティータイム用にホットティーをカップに注ぐ頃、空は既に青く晴れ渡っていた。
「クソ野郎共!茶菓子だ!」
キッチンのドアを蹴り勢い良く叫ぶと「茶~~!」とこだまのように声が帰ってきた。
マストの上から空を見ていた様子のルフィはキッチンドア前の手すりに腕を伸ばし、弾丸のように俺のすぐ傍まで飛んでくる。
「クソ熱くしといたから火傷に気をつけろ。以上だ」
目の前でゴクゴクと紅茶を飲み干すルフィに告げたが、俺が言い終わる前にルフィは既に舌を大いに火傷していた。
「あっっっぢいいいいぃぃ!!!!」
船上のあちこちにまだ残る雪めがけて突進し、舌の上にこんもりと雪を乗せて悶絶している。
…うむ。元気そうだ。舌を冷ましているルフィにシュークリームを二つ投げ、他のクルーの元へ向かった。
「なあなあサンジ、相手してくれよう」
俺の足元にしがみつき、そうせがむのはチョッパーだった。
クソ珍しい。チョッパーの遊び相手といやあ、ルフィかウソップ、この二人が捕まらない時はゾロが担う筈なのに。
「?鼻野郎かマリモは空いてねえのか?」
「二人とも寝ちゃって、俺、つまんねんだよう」
ゾロが寝ているのは常日頃の事だから置いておいて、ウソップが昼間に眠るなんて初めてじゃねえか?少なくとも俺が知る限りは、太陽が見えるうちに眠っているウソップなんて見た記憶がない。
階段を降りながら甲板を見渡した。
そして俺は、もう本当に、信じられねえ程にショックを受けた。凹んだ。傷付いた。
…泣きたくなった。
日当たりの一番良い場所で、ゾロが壁に寄りかかり胡坐をかいて寝ている。そこまでは至っていつも通りだ。
その隣、並んで座り込み、体のほとんどをゾロに預けるようにして…ウソップが、クソ気持ち良さそうに眠っていた。
「………」
「二人とも全然起きねえんだよ!なあサンジー遊ぼうー」
「…あの、マフラーは………なんなんだ、一体」
「ナミが寒そうだからって巻いてた。一つしかないからって。…でもナミ、巻いた後笑ってたぞ。マヌケねーって」
ウソップとゾロはその首に、一つの長いマフラーを一緒に巻きつけていた。赤と白のボーダー柄のマフラーは少し子供っぽく、大の男が二人一緒に首に巻いているという光景は奇妙で異様だった。
端から見れば確かに「マヌケ」で微笑ましいのかもしれない。
…俺の目にもそう見えてくれたら、どんなに良かっただろう。
少し上を向きながら口を大きく開け、これでもかといびきをかくゾロとは対照的に、ウソップは下を向き、静かに寝息を立てている。
長い睫毛がたまに太陽に照らされて光る。クセの強い黒髪がふわふわと揺れて、ウソップが感じているであろう居心地の良さが、静かに語られてくるようだった。
「…クソつれえ…どうしよう…」
「サンジ?辛いのか?大丈夫か!?医者呼ぶか!?」
無意識の内に声を漏らしてしまう程、心が盛大に軋んでいる。
嗚呼俺は忘れてたんだ。本当に馬鹿だ。
一番重要で、目を背けてはいけない事柄から…いや忘れていたんじゃない。忘れた振りをして逃げていた。
忘れ続けていればその事実はいつか、ゆっくりと、消滅してくれるんじゃねえかとさえ、都合よく考えていた。
そうだった。そうだったじゃねえか。ウソップはゾロを、好きだったんだ。
「サンジ…!しっかりしろぉ…」
足元で、涙声になりながらチョッパーが訴える。俺はその声を聞いてやっと、今自分が思っていた事を声に出してしまっていたんだと気付いた。
「ああ…おう、大丈夫だ、何でもねえ」
チョッパーの帽子をポンポンと叩き、笑顔を向ける。けどその笑顔がひきつっていなかった自信は、ない。
「夜更かしするからよ、あんなに言ったのに。ばかねえ」
みかん畑から聞こえた声はナミさんのものだった。どうやら日課の水撒きをしていたようだ。
「あ~寒い」と両手に息を吹きかけながら、厚手のコートの袖を揺らしこちらへ歩み寄ってくる。
「サンジくん、これ貰っていい?冷えちゃって」
片手に掲げたトレイの上をナミさんは指差す。
正直、茶菓子を持っていた事すら忘れていた。俺は慌てて「どうぞ」と渡した。
「ウソップね、多分昨夜貸した本、ほとんど寝ずに読んだんじゃないかしら」
スヤスヤと眠る二人を顎で確認し、やれやれとナミさんは溜息をつく。
しゃがんでチョッパーにシュークリームと紅茶を渡した後、チョッパーはそれを「ありがとう」と受け取り器用に蹄でカップを支えた。
「何の本だ?」
ちびちびと飲みながらチョッパーがナミさんに尋ねる。
「例のストリングシャワーについて書いてある本よ。久しぶりに読み返してたら、ウソップが貸してくれって言うから」
ま、日が出てるうちは寝かしといてあげましょうとナミさんは優しく笑い、そのまま気にも留めぬ様子で女性部屋へと戻ろうとした。
「ナミさん」
「なあに?」
振り返るナミさんに、俺は一つ頼みごとをした。
「その本、俺にも貸してくれねえかな」
遊べとダダをこねるチョッパーを言い聞かすのは大変だったが、お前も今夜に備えて昼寝でもしておけとあやした。
ついでに、ウソップとゾロの間に潜り込め、あったけえぞと提案も。
チョッパーは「俺寒いの平気だぞ?」と言いながら、それでも数分後には言われたとおり二人の間で寝てくれていた。
しかも上手い事、触れ合っていた二人の肩の間へ、阻むようにして自分の場所を陣取った。
クソグッジョブだぜ青っ鼻。
「男部屋にあるんじゃない?返してもらってないから」
ナミさんの言葉を思い出しながら男部屋に吊るされたいくつかのハンモックを見た。
確かにウソップの寝床には表紙のしっかりした重厚な本が置かれている。背表紙に「ストリングシャワー、その輝きと実態」と書かれていた。
その本を携えキッチンまで移動した。
折角の晴れた昼下がりに薄暗い男部屋で読書するのは、自分が落ち込んでいる事を自覚するみたいで嫌だったのだ。まあ実際泣く手前まで来てるけどな。
煙草に火を点けてページを捲る。
本を読むなんざレシピ本以外で考えたらいつ振りだろう。この船の一味になってからは一度もない。
目次の前に載っていた前書きを読む。
『それを見られる者は幸福だ。神は百年に一度しかその奇跡を見るチャンスを我らに与えてくれなかった。なかなかに意地悪だ。』と、筆者である天文学者は綴る。
…誰かに起こされた時、もしくは自然とその瞼が開く時、ウソップはきっと驚いてその場から離れるだろう。
多分クソ慌てふためいて。ついでにその顔面を真っ赤に染めて。
それを決して見ない為の口実に、俺は読書にふける、という行動に、没頭するしかなかった。
見てしまったら多分、ちょっと、泣けてしまうだろうから。
「ええと、なになに」
わざとらしく独り言を呟く。誰にも届かない声が、誰にも知られずに消えていくので、嗚呼呟くんじゃなかったと少し後悔した。
第一章では、そのメカニズムを図解付きで紹介していた。
難しい事は分からないので本分はそこそこに、俺はストリングシャワーの構造図や百年前にそれを見た者の手によって描かれた絵を、ゆっくりと眺める事にした。
たくさんの光の糸が描かれたストリングシャワーは、まるで夢の中の景色のようだ。
流星群というよりは、何万と言う数の鳥が夜空を切る程の速さで、ある一方向へ、一心不乱に向かっていく一瞬のようにも見える。
星の軌道のそれぞれは短いが、そのいくつもが重なり大きなアーチを描いている。
幻想的で、何だか心ごと吸い込まれてしまいそうな絵だった。
第二章ではストリングシャワーの歴史と、その言い伝えや伝承、昔話などが時代ごとに細かく書かれていた。
人間とはいつの時も夢を見る生き物だ。それを見た者は野望が叶うだとか見た星の数だけ財宝が手に入るだとか、子供が聞いたら胸が躍るような内容ばかりである。
…その言い伝えの中の一つを読んで、俺のページを捲る手は止まった。
『現在まで色濃く語り継がれる言い伝え、まあ簡単に言ってしまえば「おまじない」の類であるが、人々は今でもこれを信じる事をやめられない。「愛する者と共にこれを見れば、二人は永遠に結ばれる。」-恋心と星、とは、大昔から深く繋がっているのである。』
俺は静かに本を閉じ、新しい煙草に火を点けた。
立ち上る煙の行き先を見つめながら、馬鹿みたいに感傷的な気持ちになる。
夜通し本を読み漁ったのであれば、ウソップだってきっとこのページを見た筈だろう。
読んだ後少しだけ嬉しくなって、今夜ゾロの隣で流星群を見る自分を想像して、胸を高鳴らせたに違いない。
そんなウソップの、百年に一度しかやってこない瞬間を、俺は同じ船の上から見る事になる。
…なる程確かに、神様はクソ意地悪だ。
「横恋慕の場合はどうすりゃいいのか、書いといてくれよくそったれ…」
さぞ美しいだろう、きっと胸打たれるような光景なのだろう。
そして星は容赦なく俺の心を何度も、何度も、貫いていくに違いない。俺の心情など見向きもしないで。
全てを考えなくていいように夕飯の支度に全力を注いでいたら、いつもより随分と手の込んだメニューになってしまった。
意図しないところだったが、他の奴等は「今夜にぴったりのご馳走だ!」と嬉しそうに騒ぎ立てた。
都合のいい誤解だったのでそのまま仲間の台詞を受け取り「百年に一度だからな、クソうめえぞ」と笑ってみせた。
「サンジ食えよ!これなんか天下一品だぞ!」
給仕に徹していた俺をウソップが呼び止める。
まるで自分が作ったかのような口ぶりで小皿に俺の分を取り分け、ずいと腕をこちらに伸ばし「ほら」と笑った。
「…おお、サンキュ」
皿を受け取り、ウソップの隣の席に腰掛けた。全然腹が減らねえのはおおよそてめえのせいだがな、と内心悪態をつきながら。
「ナミいっ!何時くらいから見れるんだ不思議空!」
「食べ物飲み込んでから喋んなさいよ!ちょうど日付が変わるくらいの時間かしら、多分ね」
「俺!昼寝したからまだまだ眠くねえぞ!エッエッエ」
「…俺もだ」
「てめえはいつもの事だろう」
クルー達が楽しそうに会話をしながら皿の上を消費していくのを、俺は箸を止めぼうっとしながら眺めていた。ウソップがそんな俺に気付いて「おい手止まってんぞ」と肘でつついてきた。
「なんだお前テンション低いなあ、楽しみじゃねえのかよ」
ウソップは誰にも奪われぬよう自分の分を皿にてんこ盛りによそい、伸びてくる腕に備えてルフィに背中を向けた。必然的に体ごと俺の方へ向く事になる。
なんだって、お前にだけは言えねえのにさあ。…お前だけがすぐ気付くんだろうな。いっそ知らん顔していてくれりゃあ余計な苦労もねえのにさ。
「…そう見えるか」
力なく笑うとウソップはいよいよ本格的に心配顔になった。
「な、なんだよどうした?疲れてんのか?」
しっかりと口と手を動かしながらも、俺の顔を覗きこむようにして見つめる。
嗚呼だから、やめてくれよ。全部気付いてほしくなっちまうじゃねえか。
なんでもねえよと笑う元気はなくて、でも、誤魔化せるような言い訳も見当たらず、仕方なく「内緒だクソ野郎」となけなしの悪態をついてやった。
「内緒って…。ふう。いいから、このウソップ様だけに話してみたらどうだ。ん?」
「ウソップ様だけには話したくねえな」
「なっ!?」
折角心配してやったのに、と続けるウソップの皿をルフィが背後から素早く盗んだので、それきり俺達の会話は終わってしまった。
ウソップは体の向きを180度反対にして皿の上を吸い込み続けるルフィに必死で抗議している。
結局俺は、ウソップがよそってくれた皿の上を平らげるので精一杯だった。
テーブルの向こう側、俺の正面でひたすら酒を飲み干す緑頭をちらと盗み見しながら、今夜だけ、こいつと体入れ替わったりしねえかなあ…なんて、馬鹿にも程がある考えが脳裏をよぎるもんだから、笑ってしまった。
神様は本当、俺にだけやたらと意地悪だ。