湖に映る



外野の言葉に耳を傾けたって、いいことなんかひとつもない。ちゃんとわかっているのに、それでも聞き耳を立ててしまうのはどうしてなんだろう。

「この台本誰のー?」
「あ、それ七尾って人のじゃない?」
「あー、万年アンサンブルの人?」
「そうそう、あのオーラない人」
「まさに中の中の中って感じだよね」
「なんで芝居の道選んじゃったんだろうね」
「気の毒」
「向いてないってわかってないのかなぁ」

あの日、ロッカールームに入れなかった。俯いて唾を飲み込んだ。ドアノブにかけた手が震えてた。足元の床がひび割れて、真っ暗闇の奥底まで沈んでいくような感覚がした。

…扉を開けて、そんなのわかってるよって、でもやりたいんだって、笑って言える俺だったら。あの時そんな強さがあったら、俺はきっと自分のこと、あの時もっと好きになれたと思うんだ。
でもできなかった。扉の向こうから聞こえてくる会話を、ただ、そのまま聞いていただけだった。

好きに言わせておけばいいよ、外野の言葉なんて気にする必要ない。あんなのはただの野次で、心無い冷やかしで、ただの幼稚な陰口だ。
そう思いながらも震える両手が、感覚のなくなっていくつま先が、どうにも情けなくって、惨めで滑稽で、俺はそんな俺のことを「ああ嫌いだなぁ」って、思ったんだ。






「太一」
臣クンの優しい声が降ってきて目を覚ました。
目の前に広がるのは105号室の天井と、俺を心配そうに覗き込む臣クンの顔だ。
「…臣クン」
両耳が濡れてて、ああ俺泣いてるんだと気づいた。視界がユラユラしてる。思考力はないのに胸の中だけがやたらハラハラしていて、涙が止まってくれない。
「…や、やな夢見た…」
「うん」
臣クンの手が俺の頭を撫でる。肩から上を柵のこちら側に持ってきて、臣クンは優しく頷いた。
「…っ…、ま、まって、今止める」
「…うん」
手が、優しいから。
ねえ臣クン、止まんないよ。かっこ悪いな俺、やだなあ。
「…だ、ださいから…あんま見ないで…」
「…太一の目がな」
臣クンは撫でる手の動きを止めないまま言った。
「ゆらゆら光ってて、綺麗だなと思って見てるだけだから」
「……」
「だから俺のことは気にするな」
笑う臣クンはズルい。その顔に溶かされてまた心臓がハラハラを増す。目の奥が熱くなって、壊れた蛇口みたいに涙が出るんだ。
「……ひっ…っ」
「湖みたいだなあ。見てたら落っこちそうだ」
「……っ、あは、なんスか臣クン……メッチャポエマー」
「綺麗なもの見ると詩興が湧くんだよ」
「え、突然の誉サンッス。びっくりした」
「あはは」
「あはは」
臣クンが優しい。泣いてる俺のことずっと見ながら、ずっと見ないフリしててくれてる。
いつもいつも優しくて、包んでくれて、見ていてくれる。
大好きだ。これ以上の好きなんてこの世界にない。この気持ちで心の中がいっぱいになって、外野の声なんてもう俺の耳には届かないのだ、きっと。

ねえ臣クン。
俺の目が湖ならさ、水面に映るのは月がいいなぁ。臣クンの目とおんなじ色の…それだけを映す湖がいいなぁ。