『大和くんが好き』
寝耳に水やった。
ポツポツ更新されるLIMEトーク画面は睡魔を運んでくるんもえらい上手い。もう夜も更け込んでええ時間やったし、俺はウトウトしながら布団の上で、衣装班の女の子と文字のやり取りをしとった。
ほんで、向こうがなんかの折に「大和くんはかっこいいね」言うてくれはったから、俺もお返しせな思て「そちらさんもかいらしよ」と送った。
いやな、あの、ほんま眠かってん。しゃんとした頭やったらちゃんと言葉の意味汲んだやろし、多分そないな一文送らんかった思う。「おおきに〜」の文字と一緒になんや動物が照れとるスタンプでも送って、ほんでうまいこと、別の話題に移っとったはずや。
…眠かってん、ほんま。と言うかまずな、嘘やないんよ?女の子らしくてかいらしなぁてほんま思っとったもん、前から。そやから、そう…あー…。
まあ要は俺が、相手の「かっこいい」てメッセージにむっちゃ勇気が込められてたことを、気付いてあげられへんかった訳や。
『ほんと?』
『ほんまや〜』
『どうしよう、すごく嬉しい』
『そか〜』
『あのね、私ね』
『なに〜?』
『大和くんが好き』
「………」
眠気が一気に吹っ飛んだ。
数回まばたきして、改めてトーク履歴を遡ってみたらようやっと気付いた。ああこれ、俺むっちゃアプローチされとるやん。相手の子むっちゃ頑張ったはるやん。数秒前までの自分を呪った。鈍いにも程があるよ。「眠かってん」やないよ。
「……あー……」
思わず声が漏れてしもた。あかんやんか、あかんて。なにしてんのよ自分。なんでなんも気付かんまんま言葉放ってもうたん。阿保や。ド阿保。
「……」
こんな時、恋愛の神さんが憑いとる人はどんな風に返すんやろう。…教えてほしいわ、ほんま。
『好きな人おるから、ごめん』
■ ■ ■
10月の頭。今月の終わりには毎年恒例のハロウィンコンテストゆうんがある。天鵞絨商店街丸ごと派手な装飾でキラキラして、街じゅうの劇団がペア組んでストリートアクトしながら、お客さんからのおひねりをもらう。
おひねりを一番多くもろたペアは最後、イベントの特設ステージに上がってエチュードを披露する権利ももらえる。劇団のええ宣伝にもなるし、お客さんは普段見られへん衣装着た役者さんを間近で見れるしで、とにかくえらい盛り上がるイベントや。
俺が所属しとるんは大道具班。このイベントに向けて用意せないけんもんがうちらの班には特にないさかい、この時期の大道具班は大体ゆるゆるしとる。商店街の装飾やら当日のイベント設営なんかを頼まれることはあっても、一から作るゆう作業があらへんから、やっぱりこの時期は俺たちにとっては「休暇」に近いのや。
そやけど衣装班だけは別で、この時期がほんまにいっちゃん忙しい。役者さんらの衣装作りはもちろん、その他裏方組の友達からも仮装の服を作ってほしいとか個人的な頼まれごとをされてまうんやろう。そやから必死でミシン鳴らして、針に糸通して、切って、縫って、徹夜で衣装を作る。
俺のことを好きやと言うた女の子も、今頃必死んなって衣装を作ってはるんかもしれへん。ヘルプの声がかかればもちろん大道具班一同手伝うつもりやけど…どうやろうか。今年は俺に、その声はかからんかもしれへん。俺が送ったあの一文を最後に、その子からのLIMEはあらへん。
「ハロウィンまでに彼女作ってさ、商店街回るから俺」
駅から歩いてちょっとの場所にある居酒屋。大道具班で仲良うしとるうちの一人が、ビール飲みながらそう言うた。
「…去年もおんなしセリフ聞いたなぁ、それ」
「今年こそ本気だから。二度目の正直だから」
「それ言うなら三度目の正直ちゃう?」
「三度もあってたまるかって。ほんと今年で決める。決めるの俺は」
「ほうか。…うん。ほんならきばりや」
焼酎をちびちび煽るんと一緒に返したら、向かいの席に座っとる友達は不思議そうな顔して俺を覗き込んできはった。
「大和さ、元気ないね」
あ、あかん。バレてもうた。
「…なんでよ、元気モリモリや」
「なんかあった?」
「……」
そう。元気ないんや最近ずっと。理由はあるけど、どこまで言うていいんやろ、分からんなあ。
…あんな俺、今な、好きな人おってな。ほんでその人、他の人に掻っ攫われそうなんよ。当たって砕けることもできひんのよ、笑ろてまうよな。なんもできひんまんま、その人、違う誰かのモンになってしまいそうなんよ。
好きな人の顔を思い浮かべて、また憂鬱な気持ちんなった。
唐突に現れた俺にとってのライバル。そいつさんはお天道様みたいに眩しくて、俺の好きな人のことをこんでもかと照らしはる。なんぼでも照らして、俺には到底できひんようなやり方でその人の心のドア開けて、ほんで簡単に、その中に入りはる。
…ねえ、なんでよ。なんであんたさんはこんなタイミングで現れたん。現れるんならもっと早よう現れな。俺が好きな人を好きになる前に、現れてくれな。…困るんよ、だって敵わん。笑ろてまうくらい、敵わん。
「…彼女できるとええね。応援しとるよ」
「うん。決めるから俺。そしたら一番に大和に言うから」
「ほうか。うん、楽しみにしとるよ」
テーブルの向こうに座る友達へ送ったんは、本当の気持ち。幸せになってほしい。おまえさんが好きな子と、両思いになるんを祈っとる。
友達の恋路はこんなに応援できるんに…あかんなあ。俺、自分の恋路は応援してやる自信てんであらへんよ。だって望みないんやもん。もう失恋待ったなしなんやもん。
ねえ弦ちゃん。今、なにしとる?…志太さんと一緒におるん?
■ ■ ■
弦ちゃんのことを好きになったんは、ちょうど去年の今頃やった。
一年前のハロウィンコンテスト、魔法使い役で挑んだ弦ちゃんは見事に優勝して、特設ステージの上から最高の笑顔を見せてくれはった。
その後、弦ちゃんから直接聞いたのや。これが最後のチャンスやったってこと。もしも優勝できひんかったら研修生に落ちるかもしれへんかったってこと。レニさんから、そう言われとったんやいうこと。
その時初めて弦ちゃんが泣いとるところを見た。怖いと思たて、ほんで怖いと思うことが嫌やって。あんまり泣くの慣れてへんのやろうな、そやから弦ちゃんの泣き方はえらい歪で、揺れる肩の動き方は、えらい不器用やった。
あ、好きや。そう思うた。こんな人ほかにいーひん。かっこよくて、真っ直ぐで、根性と気合で立ってはって、ほんでもそれを周りに全然見せへん。
好き。弦ちゃん大好き。そのかっこええ背中ずっと見てたい。泣きたなる時がもしもあるなら俺がそばにいてたい。抱き締めたい。他ん人に見られんように抱き締めて、ぎょーさん優しく背中撫でて、泣くのほんま下手やねって、かいらしいねって、大好きよって、言いたい。
GOD座でトップに立つ役者と、裏方組その他大勢のうちの一人。弦ちゃんと俺の肩書きは、これから先も隣に並ぶことは絶対にあらへん。そやけどそんなの、関係あらへん思た。関係ないくらい好きや思た。いつか伝えよう思た。当たって砕けても構わんし思た。俺が好きや言うて、ほんで弦ちゃんがちょっとでも嬉しい思てくれるんなら、それだけでええし本気で思うた。
そやけど俺が行動に移す前に現れよったのや、志太さんが。唐突に、風のように、現れてしもうた。
突然現れた志太さんは周りがとやかく言う暇もないくらい急に、トップの座についてしもうた。ずっときばってはった弦ちゃんのこともあったさかい、俺は内心、不満だらけやった。
だって、なんでよ?あんたさんの何が弦ちゃんより上なん?こんなん納得できひん。ちゃんと説明してもらわな、こっちかて心の整理できひんわ。
ほんでも、説明なんてほんまは必要ないことは、俺だって分かっとる。華があるとか、才能とか、天性とか、そういうモンで決まってまうシビアな世界なんよね。そういう世界でずっと戦ってきたんやもんね。それを俺以上に分かったはる弦ちゃんは、もちろんトップに立った志太さんのことを、男らしく受け入れとった。
ねえ、悔しかったんやない?ぎょーさん泣いたんとちゃう?誰にも気付かれん場所で、ねえ弦ちゃん。不器用に肩を震わせたんとちゃう?
そやけど、弦ちゃんはちっとも落ち込んだり暗い顔を見せたりせえへんかった。なんなら今まで以上にきばって、準トップとしての役目を立派に務めたはった。俺が思う以上に、その何倍も弦ちゃんはかっこええ人で、いつだって男らしいのや。
…あんな、正直な?志太さんがいけ好かん人やったらなって、俺、思たよ。自分の居場所にあぐらかいて、自分以外を見下すような人やったらどんなに良かったやろうって。
そやけど志太さんは、さっきも言うたけどほんまにお天道様みたいな人やった。胡座かきもゴマスリも謙遜も何一つしいひん。誰に対しても笑ろてて、その笑顔で簡単に周りを照らして、自分が追い抜いてしもうた弦ちゃんのことさえ、なんの裏もない笑顔で照らしてまう。
大道具の人から聞いてん、俺。二人がえっらい仲良しやってこと。
一緒にうどん屋さん、ようけ行っとるらしいね。志太さんの家にも何回か呼ばれとるらしいね。二人が一緒に帰っとるとこ見たって、他の人からなんべんも、ようけ聞いたよ。
…弦ちゃん。ねえ、弦ちゃん。俺イヤや。こんなのイヤでたまらん。
弦ちゃんの柔いとこ知っとるのは、だって、俺だけかもしれへん思っとったのに。想い続けとったらいつか、弦ちゃんの心のドアの内側、入れるんちゃうかなって、思っとったのに。
■ ■ ■
もう連絡はきいひんかもと思っとったけど、数日後に衣装班の女の子からLIMEが来た。内容はやっぱり衣装作りのヘルプ要請やった。
内心、ホッとした。えらい傷つけてしもたやろなぁと不安やったけど、女の子から送られてきた文面は今まで通りの明るさやったのや。
みんなが集まる作業部屋へ向かうと、中には衣装班のメンツ以外にも多くの人がおった。彼女作ると豪語しとった友達も、向こうの方で裁断を手伝ったはる。
「あっ大和くん!来てくれたんだね、ありがとう」
後ろから声をかけてくれたんはLIMEで話した女の子やった。気まずくなってしまうんやないかいう俺の不安は呆気なく、女の子の笑顔にかき消されてしもうた。
「…うん。こちらこそ、あの…声かけてくれておおきに」
「ううん。もうね人手がいくらあっても足りなくてほんとに…あ、○○ちゃん!言われてた刺繍糸まとめ買いしたら安くなったからお釣りある!精算お願いしてもいい!?」
女の子は俺を置いて部屋ん中へ駆けていった。忙しそうな背中を眺めながら思う。ああ自分、憂鬱なっとる場合ちゃうなぁて。
最高の衣装作らなね。俺にできることあるなら全力で手伝わんと。
「…よっしゃ、やろか」
近くにおった衣装班の人に声をかけて、俺でも手伝えることを聞く。腕まくりして、ほんでから俺は他の人らと一緒にチャコペンで布に線を引いた。
その日は夜の8時過ぎまでみんなで作業を進めた。腹が減るんと同時に首や肩がバキバキ言うから、これを一ヶ月くらいぶっ続けでやる衣装班の人らを、ほんますごいなぁ思た。
「大和、一緒になんか飯食いに行く?」
「うん行こか。もうお腹ペコペコや」
友達が声をかけてくれたので、腹をさすりながら頷く。どの店に行こうか二人で話しとると、後ろから聞き覚えのある声がしはった。
「お前な、たまには違うもの食べようってならないのか?」
「え〜、だって旨くないっすか?毎日3食でも平気ですよ俺」
「いい加減うどん以外が食べたいんだよ僕は」
振り返らんでも誰と誰の会話か分かった。…分かったから、振り返りたないなぁ思た。
「…あれ?大道具班の人?すよね」
気付かずに行ってくれへんか思たけど、あかんかった。俺たちにすぐ気付いた志太さんはいつも通りお天道様みたいな笑顔で、明るく会釈した。
「遅くまでお疲れっす。たぶん衣装班さんの手伝いですよね?」
「……」
笑顔に、気圧される。俺がなんも答えられんでおると、隣におった友達が「ちす!」と、おんなしくらい明るい笑顔で挨拶を返した。
「なんかあったら俺らにも言ってください。稽古の空き時間とかさ、たぶんちょっとなら手伝い行けるんで!ね、晴翔さん」
志太さんに名前を呼ばれた弦ちゃんは、ため息を吐きながら「あのな」と言うた。
「お前は人を手伝う前に自分のことだろ」
「えぇ?俺やってますよ」
「完璧にこなしてからって言ってるんだよ。今日のお前のどこが完璧だったわけ?言ってみなよ」
「え〜やだなぁ他の人の前で?言わなきゃダメ?晴翔さんだけの秘密にしといてくださいよ」
志太さんが弦ちゃんの肩をポンポン叩くから、目を背けたくなってしもうた。…イヤやな。今のセリフ。二人だけの秘密みたいにしてから。…えっらいイヤやわ。
「俺らこれからうどん食いに行くんですけど、良かったら一緒にどうっすか?」
晴翔さんの「だから僕は嫌だって言ってるだろ」いう横やりを適当にいなして、志太さんは俺らに微笑んだ。名前すら知らへん裏方のメンツを、ああこの人さんはこんな風に誘ってしまうのや。そういう人なのや、志太さんは。
「え、大和どうする?大和行くなら俺一緒に行く」
友達がそう言うさかい、俺は首を横に振った。
「行かへん」
「え、行かない?」
「行かへん。別のモン食べよ。俺らなんか一緒おったらお二人さんの邪魔んなるさかい」
言いながら歩き出して、友達を手招きする。早うここから去りたい。見てたくないもん、イヤやもん。こんな気持ちでうどん啜るんなんか、絶対イヤや。
「…邪魔ってなに」
俺に向かってそう言うたのは、弦ちゃんやった。
「お前さ感じ悪いんじゃない、今の」
「……」
目が合うた。腕組みしながら俺を睨む弦ちゃんは、一年前、心のドアの取っ手に指先が触れたかもて思えたんがまるで嘘みたいに、いけずな目をしてはった。
「…さよか。すんません」
頭を下げる。ほんで弦ちゃんを見つめ返す。なんでよ、黙って行かせてくれればええのに。…なんやの、もう。弦ちゃんの意地悪。
「…あ〜、まあいっか?じゃあ二人で食い行きましょ晴翔さん」
志太さんが相変わらず明るく笑うから、悔しかってんけど、ちょっと救われた。
「晴翔さんさ、うどん飽きたんならトッピングのいなり寿司は?あれも旨いんだよなー、昔ハマっちゃってとり天と一緒によく頼んでさー」
「うっさいわ、もういいようどんで」
二人が俺たちの前から遠ざかるのを、黙って見送った。胸の奥がチリチリ焦げる感覚がして、イヤでたまらんで、俯いた。
「…大和?大和ー?…え、どしたの、腹痛い?」
友達が心配してくれはるから、嘘ついて「うん」頷いた。痛いんは腹やなくて別んとこやったけど…ごめんな。かんにんして。
■ ■ ■
その夜、布団の上に転がってても一向に眠気がきいひんで困っとったら、衣装班の女の子からLIMEがきた。「寝てたらごめんね」ゆう一文に既読をつけて「起きとるよ」と返す。
『ほんと?あのね、もし良かったら通話したいです』
少しビックリして体を起こす。なんやろ…あ、もしかしたら今日の衣装の手伝い、なんやミスしとったんかもしれへん。あかんな、もしそうやったら謝らんと。
布団の上で胡座かきながら「ええよ」と返したら、数秒後すぐに女の子からの着信音が鳴った。
「はい、もしもし」
『あ、大和くんこんばんは。ごめんね急に…』
「んーん、ええよ。全然寝れんで困っとったとこやし」
俺が笑うと女の子も電話の向こうで小さく笑ろた。ほんで、もっとちっさい声で「緊張するなぁ」て呟いた。
『…あの、今日は手伝いに来てくれてありがとう』
「ええよ。むしろ嬉しかってん、声かけてくれはったの。こちらこそおおきに」
『ううん、大道具の人たちみんな優しいから、いつも本当に助けられてるんだ。ありがとう』
女の子の声を聞きながら、今日自分がどんなミスしてしもたんかと振り返る。チャコペンで線引いた時やろか。それとも裁断?あ、片付けの時かもしれへん。間違うた場所に間違うたモンしまってしもたんかな。
『…あのね、えっと…』
「うん、ええよ。何でも言うて」
俺の言葉に女の子は頷いて、ほんでから少し時間を置いた。え、なんやろ、そない言いにくいこと?相当でっかいミスしてしもたんやろか。
『…大和くんが好きって、ちゃんと、言おうと思って』
「…へ」
また、寝耳に水やった。
『文字じゃなくて…ちゃんと言わなきゃって、思って』
「……」
鼻を啜っとる音が、聞こえた。
『今日、直接言えたらって思ってたんだけど…言えなくて…勇気出なくて、ごめんなさい』
「……」
そんなん、思てたなんて…全然気付かへんかった。ほんまに、ちっとも気付かへんかった。ああ俺、やっぱ阿保や。恋愛の神様がもし今ここにおったら、きっとどつかれてまう。
『大和くんが好きです。この前、ちゃんとお返事してくれてありがとう』
「……いや…あの…」
『…ん?』
一回振られとるのに。もう、傷を負わんでええのに。ほんでも言わな思って、自分で決めたこと守って、きばって、泣いて、ほんでも言うんか。
ねえ、勇気出なくてなんて、そんなん嘘や。勇気ないんは俺や。…俺なんよ。
「…おおきに。むっちゃ嬉しいよ、俺」
『ほんと?…あはは、ごめんね。ちょっと待ってねティッシュ持ってくる…』
ズビズビ鼻鳴らして、勇気振り絞って、俺に電話かけて。なんぼそれがかっこええことなんか、この子は分かっとるんやろうか。
いや、きっと分かってへんのやろう。かっこええ人ゆうんは大抵みんなそうや。まっすぐ前見てきばってはるから、自分さんの強い背中に、気付かへん。
…かっこええな。かっこええよ。俺も見習わな。
「……俺な、かっこ悪いんよ」
『え、全然…大和くんはかっこいいよ』
「いや、ほんまかっこ悪いんよ。しかも阿保やし」
『あはは。そうかな?…どうだろう…私は思ったことないけど…』
「…ほんでもな、そやから俺、こっから頑張るさかい」
『うん?』
「むっちゃ嬉しいよ。勇気分けてくれて、ほんまおおきに」
頭を下げたら、電話の向こうからまた鼻を啜る音がした。最後に電話の向こうから聞こえた「こちらこそ」は、泣きながらやったんやろか。それとも笑いながら言うてくれた言葉やったんやろか。
笑ろてくれてたら、ええな。そんなん願ってまうのはえっらい自分勝手やな思うけど、ほんまにそうやったらええなって、思うんよ。
■ ■ ■
次の日も衣装班の手伝いに向かって、その後9時くらいに作業部屋を後にした。昨日とおんなしように俺を飯に誘ってくれはる友達に「かんにんな」だけ言うて、俺は一人、上の階に上がって役者さんらが使こてはる稽古場へ向かう。
連絡先知らへんから、もうこうやって出待ちするしか方法がない。灯りが点いとることを外から確認して、分厚い扉の前、しゃがみ込んで中におる人を待つ。
10分くらい経った頃やろうか、ドアがようやっと開いた。顔を出したんは汗で濡れた髪をタオルで拭く志太さんやった。
「あれ?えーと…大道具の?」
座り込む俺を見下ろして、志太さんが首を傾げながら笑う。この笑顔に、気圧されたらあかん。あかんのや、きばれや俺。
「…そおです」
「晴翔さんに用事?っすよね。ちょっと待ってもらっていい?今着替えてて」
ドアを開けたまま志太さんが部屋の奥に向かって「晴翔さん!」と呼ぶ。中から「なんだよ」ゆう弦ちゃんの声が返ってきて、俺は唾を一度飲み込んだ。
「大道具の人!待ってますよ!えーと、あ、名前はー…」
壁を挟んで弦ちゃんと俺を交互に見る志太さんに「大和いいます」だけ答えたら、すぐさま志太さんは弦ちゃんに向かって「大和さん!」と叫んだ。
「…あの、急かさんでええです。急いでへんし」
「そうっすか?でも大事な話でしょ?」
「……」
なんなん、ほんまイヤや。なんで全部言い当ててきはるん。用事あるんは弦ちゃんやとか大事な話やろとかさっきから、わかりきっとるみたいに、自分の感じたこと疑おうともせんで。…ほんまイヤや。
数十秒後、志太さんの腕をくぐって弦ちゃんが出てきはった。髪が濡れとる。それが志太さんとお揃いて感じで、またイヤな気持ちなった。
「なに?」
「……」
「悪いけど早くしてくれる?荷物もまだまとめてないから僕」
「…あんな、弦ちゃん」
声にして、ほんでからハッとした。あかん、まずった。弦ちゃんのことは弦ちゃん以外の人がおる時「弦ちゃん」呼ばへんて約束しとったのに。
慌てて口を手で抑えたら、志太さんはちょっと目を見開いてから楽しそうに笑ろうた。
「うわ、いいっすねその呼び方。弦太の弦ちゃん?俺も呼ぼっかなー」
志太さんが弦ちゃんに笑顔を向ける。歯を見せて笑う。昨日チリチリ焦げるような感覚がした胸の奥は、今度はゴウゴウと火が燃えるようやった。
「ドアホ。いいわけあるかい」
「えーなんでっすか、俺と晴翔さんの仲じゃないっすか」
「うっさいわボケ、とっとと帰る支度しろ」
二人のやりとりを、火が燃えとるまんま見つめる。
…なんや、ほうか。志太さん、弦ちゃんの本名知っとるんか。ほんなら別に隠さんで良かったね。なんや慌てて損したわぁ。ねえ、しかも弦ちゃん。志太さんと話したはる時のあんたさんむっちゃ訛り出とるよ。隠さんでええの?いや、ええんか。志太さんには心のドア、だってもう開けとるもんね?
…当たり前なんよ、そんなん。いちいち傷つくな阿保。俺が知ってて志太さんが知らへんことなんか、一つもない。
「で、なに?僕になんの用?」
弦ちゃんの髪の毛の先から汗が一滴滑って、床に落ちてぶつかるんを見た。ぶつかった一滴が潰れて、弾ける様を見届けた。
「……」
もうイヤや本気で思た。失恋待ったなし?自分の恋路は応援できひん?そんなわけあらへん。あらへんのよ、俺の背中を押してやれるんは、だって俺しかいーひんやん。
ほんで立ち上がって、俺はギュッと両目を瞑った。
「…二人で話したいこと、あるんよ…」
「……」
「大事な話やさかい、二人っきりで話したい」
ゆっくり瞼を持ち上げたら、弦ちゃんの丸こい目が、もっと大きく丸なってはった。心臓がバクバク言うとる。ああほうか、知らへんかったよ、勇気を使うんはこんなにも難しいことなんや。
「…無理だよ」
弦ちゃんは腕を組みながら壁に寄りかかって、そう言うた。
「今日はね。でも明後日は夕方からオフだから、その時でいい?」
「…え」
「だから、明後日の夕方。そうだな…四時に駅。いい?」
「…へ、ええと」
「いいのかダメなのか聞いてるんだよ」
「…あ、えっと、ええ。…ええよ、もちろん」
「じゃ、今日のとこは帰って。あと稽古場の前で待ち伏せとかするな。このフロアに立ち入っていいのは基本的に演者だけだから」
「あ、はあ。…すんません」
「規律はちゃんと守って。知らなかった訳じゃないだろ」
「……」
弦ちゃんが俺を、手の甲でしっしと追い払う。これ以上ここおったら迷惑かけてまうな、あかん。俺は弦ちゃんからもろた約束の日時をギュッと胸ん中しまって、ほんでから二人に軽く頭を下げて背中を向けた。
歩き出す寸前、志太さんが「大和さん」と俺を呼び止めはったから、頭だけチラと振り返って視線を送った。
「なに?」
「関西出身なんすか?」
「…うん、そお。地元、京都なんよ」
「へ〜!いいっすね喋り方。ドス効いてない優しい関西弁って感じで」
「…さよか…そら、おおきに」
「西生まれ二人ともお揃いじゃないっすか。いいなー、羨ましい」
「……」
お天道様みたいな笑顔の向こうにほんの少し雨雲みたいな灰色が差した気ぃして、すぐにわかった。ああそうか今こいつさん俺のこと、敵なんか敵やないんか探ったはるんやな。
…そうやろ、えっらい羨ましいやろ。そこだけはあんたさんに見せびらかすことのできる、俺の唯一の手札よ。
「…そお、お揃いなんよ。あげんで、西生まれの特権」
笑い返して、心ん中で唱えた。志太さん俺な、あんたさんの敵やでって。
持ち前の明るさで「ずりー!」て返してきはるから、俺もまた笑ろた。弦ちゃんは俺たちのやりとりに「はぁ?」て首傾げとったから、なーんもわかっとらんのやろうな。
恋愛の神さんはきっと弦ちゃんにも憑いとらん。俺とおんなし。…ねえ弦ちゃん、あんたさん鈍いね。
■ ■ ■
翌々日、午後四時。俺はえらい緊張しながら天鵞絨駅の改札出口の前に突っ立っとった。
変なとこないやろか。券売機そばの壁にちっさい鏡を見つけて、今日の自分をもう一度確認した。持っとる服ん中で一番ええヤツ、着てきた。歯も磨いたし髭も剃ったし、むっちゃ久し振りに髪にはワックスも付けた。
「……緊張するわ…」
ひとりごとを鏡の向こうの自分に送りながら、衣装班の子からの、電話での告白を思い出す。
砕けるん分かっててぶつかりに行くん、ほんま怖いね。むっちゃ勇気使うね。あんたさんもこんな気持ちやったんやろか。俺のために勇気使こて、砕けてもええからって、当たりに行って。
…おおきに。勇気分けてくれてほんまおおきに。あんたさん見習って今日、俺も頑張るさかい。応援しとって。
「大和」
突然後ろから声をかけられ、全身に変な力が入ってしもうた。ゆっくり振り向く。弦ちゃんは腕組みしながら「何してるんだよ、身だしなみチェック?」と言うた。
「そういうのは出る前にやったら?」
「……うん、そうやね」
「恥ずかしいだろ、公衆の面前で」
「……弦ちゃん」
「なに?」
「来てくれてありがとお」
むっちゃ嬉しかった。弦ちゃんが約束通り来てくれはったことがこんなに。今、俺の前におってくれとることがこんなに。すっぽかされるとか思っとった訳やないけど、ほんでも、俺のために時間割いてくれたんやって実感してしもて、それがえらい嬉しくて、今日が始まったばかりやゆうのに、もう、抱き締めたくなってしもうた。
「は?約束したんだから当たり前だろ」
「うん、そうやね」
「僕が口先だけの男にでも見えるのか?お前は」
「んーん、見えへん」
「じゃあ何でそんな…」
「嬉しいんやもん、ほんまに」
「はぁ?」
「嬉しい、弦ちゃんほんまにありがとう。会えて嬉しいよ」
体の内側から言葉がぎょーさん溢れてきはる。そのまま全部声にしとったら、いよいよ弦ちゃんは俺をキッと睨みなさった。
「うっさいわ!どこ行くんか!早よ移動せえ!」
ちょっと照れながらドス利かすもんやから、なんやおかしくて笑ろてしもた。かいらしなぁ。…ああ、どないしよう。やっぱ大好きや。
「あんな、よく行っとる店あってん。弦ちゃんと一緒に行きたいんよ」
「…ふーん?店?なんの?」
「鉄板の店やし。一緒に食べ行こ」
弦ちゃんは俺の言葉に「へえ?粉物にはうるさいよ僕」と、不敵に笑ろてくれた。
電車で数駅分揺られて、目的の店がある最寄駅に降り立つ。まだ夕飯には早い時間やけど、俺のお腹はすっからかんで今にも音が鳴りそうやった。
「弦ちゃん、お腹空いたはる?」
「あんまり。でも別にいいよ。無理ない程度に食べるから」
「ほうか」
「お前は?」
「俺?もうペコペコ」
お腹をさすって言うと、弦ちゃんはちっさく笑ろた。
「まだ四時半だけど?」
「すぐ減るんよ、燃費悪いんや」
「…ふ。あっそ」
「……」
なんや今日、よく笑いはる。…かいらし。むっちゃ嬉しい。…好きや。
「…ねえ、弦ちゃん」
「なに?」
「……んーん、呼んだだけやし」
「なんなんだよ」
好き。砕けるんイヤや。好き。どないしよう、手ぇ繋ぎたい。
「ちょっと。店どっちだよ、ちゃんと案内しろ」
「うん、あんな、こっち」
弦ちゃんの隣に駆け寄った時、軽くお互いの手の甲が触れた。心臓が鳴った。触れたとこから自分の気持ちがバレてしまうんちゃうか思て、慌てた。
「……」
急いで手をポケットにしまって、ほんでからこっそり弦ちゃんの顔を見る。ちょっとがっかりした。だってなんも気にしとらへん様子やったから。
…もう。手ぇ繋ぎたい思っとったん、誰よ。なんでポケットにしまうんや俺の阿保。
少し歩いて店に到着する。先に引き戸を開けて弦ちゃんに「どーぞ」言うたら、弦ちゃんはまた笑ろて俺を見上げた。
「どうしたんだよ、今日」
「ん?なに?」
「いつものヘラヘラが三割減じゃない?」
「ねえ前から聞きたかってんけど、俺そないヘラヘラしとる?心外やわぁ…」
「よく言われるだろ」
「…うん」
「はは、やっぱりね。でも今日は気合い入ってる、いつもより」
「…そう?」
「うん。きばってるだろ?」
「……」
うん、きばっとる。だってあんたさんに好きって、伝えよう思っとるから。腹くくってきたんやもん。
「期待しといてあげるよ、ここの味」
えらい上からな物言いも、鼻を鳴らすいけずな笑い方も、全部あかん。ほんまにあかん。弦ちゃんがかいらしく見えてしゃあない。…好きや。
座敷に案内されて、弦ちゃんと向かい合わせで座った。てっきり足を崩して座るん思っとったけど、弦ちゃんは背中をピンと伸ばして鉄板の向こう、綺麗な正座をしはった。
「…姿勢、キレイやね」
「常に意識してるからな。当然だろ」
「ほうか。偉いなぁ」
「僕を誰だと思ってるんだよ」
「キレイ。弦ちゃん」
「……」
半分見惚れながら吐いてしもた言葉に、弦ちゃんは俺より顔を赤こうした。
「…やかましいんじゃボケ」
「ねえ前から言いたかってん、なんでこうゆう時素直に受け取ってくれへんの?受け取ってよ」
「じゃかあしい!早よ注文せえや!」
「…もう…かいらしなぁ…」
どないしよ漏れる、さっきから勝手にずっと。あかん、気ぃ抜いたら鉄板越しに好き言うてまう。堪えな。
「お前の、その…思ったことそのまま言う癖どうにかなんない訳…」
「そんなん言われたかて、勝手に口から出てしまうんよ」
弦ちゃんは視線落として、見開き一枚のメニュー表を睨みつけながらボソッとこぼした。
「…志太みたいなこと言うな」
「……」
うわ、いま心臓、えっらい痛なった。…イヤや。やめてよ弦ちゃん。あいつさんの名前出さんといて。
「どれが美味しいの、ここ」
「…えぇと…ほんなら俺適当に頼んでええかな、オススメのやつ」
「そうして」
店員さんに声かけて、まずは三つ料理を注文する。頼み終わって店員さんが捌けた後、弦ちゃんは思い出したように「そういえば」と口を開いた。
「この前、衣装班の手伝いしてたんだろ?」
「うん?この前?あ、そちらさんらにうどん誘われた日?」
「そう。…衣装合わせの時スタッフからよく聞くよ。大道具の人たちはホントに頼りになるって」
「え、ほんま?うわ〜そんなん言われたら嬉しいなぁ。俺らもお世話なっとるけどなぁ」
「…ありがとね」
弦ちゃんはメニュー表をテーブル端の背刺しに挿しながらちっさい声で言うた。
「いつも、スタッフのみんなに感謝してる。役者だけじゃ最高の舞台は作れないから」
「…弦ちゃん…」
「……普段言う機会ないから。一応ね。…伝えといてあげるよお前にも」
「……」
ああ、柔くなったなぁ思う。一年前よりずっと。笑ろてるとこ見る回数増えたし、訛りが思わず出てまうことが増えたんも知っとるし、他の役者さんらだけやなくて裏方組にも時折労いの言葉を、今までよりかけてくれはるようなった。
弦ちゃんが変わったんは、きっと志太さんが現れたから。志太さんが弦ちゃんの柔い部分に光を当てはったから。他の誰もしーひんかったことを、俺にはできひんかったことを、志太さんだけが、簡単にやってのけたから。
…そやからこそ、弦ちゃんの「ありがとね」を俺は上手に受け取れへんかった。だって、ねえ弦ちゃん。言葉の陰にいたはるんやもん。志太さんの存在を感じるんやもん。…やめてえや。いけずや、あんたさん。ほんまにいけず。
「お待ちどおさんハイこっちスペシャルミックス玉こっちゴム焼きそばこっちネギ焼きな。大和ごっつ久し振りやんか〜!どないしたん!忙しかったん〜?」
いつも良くしてもろてる店員のおばちゃんが一息で捲し立てる。息継ぎの隙間を縫うて「う〜んなんでやろなぁ」と曖昧に返したら、おばちゃんは玉が転がるように声弾まして「変わらんなぁ!相変わらず眠なる喋り方やわ〜!」と言うた。
「ほんで?あ、どうもなぁ初めまして〜ゆっくりしていきやぁ。こちらさんは?大和の友達なん?」
「うん。あんな、お世話んなっとる劇団のな、看板役者さんなんよ」
「はぁ〜!そうなん!すごいなぁ!劇団てアレやろほらアンタ言うてたやんごっつデカいとこって。はぁ〜言われてみたらほんまや、よう見たら芸能人みたいなオーラ出とるわ、え、どないしよサイン書いてもらおか!?なあ?せっかくやしな!おばちゃん色紙持ってくるさかい待っとってくれる!?」
ほんで、おばちゃんは弦ちゃんの返事を聞くことすらせんで店の裏へ行ってしもうた。
猪突猛進。おばちゃんを四字熟語で言い表すならこれしかあらへんと、俺はずっと前から密かに思うとる。
「…すごない?初めてここ来た時な、おばちゃんぜんぜん帰してくれんで、五時間拘束されたんよ」
コソッと内緒話したら、弦ちゃんはおかしそうに声を上げて笑ろた。
「あはは。完全に地元のノリと同じや、あかん」
「……」
弦ちゃんの訛りが、まるでお湯に溶けたみたいに、自然に出た。…嬉しい。笑ろてくれてる。楽しそうに笑ろてくれてる。
「で?お前ちゃんと作れるわけ?粉もん」
「うん、今まで散々おばちゃんに鍛えてもろてきたさかい、まかして」
「ふーん?生半可なモン焼いたら許さんからな」
「あは、うん。きばるわ」
おばちゃんに叩き込まれた技を駆使してスペシャルミックス玉を焼く。弦ちゃんが最初から最後まで俺の手元をじぃっと観察しはるから、ちょっと緊張してしもうた。
途中、おばちゃんから渡された色紙にサラサラとサインしたり、容姿をこんでもかと褒められたり出身地の話題で盛り上がったりで、弦ちゃんはずっと楽しそうやった。おばちゃんと喋ると弦ちゃんの口からもほとんど標準語が消える。スペシャルミックス玉を焼きながらそれを聞いとるんが、なんやえらい幸せな時間やなぁて、思た。
「うし、焼けたよ」
おばちゃんが弦ちゃんのサインをレジ台そばの壁にかけたはる頃、鉄板の上で真ん丸が一つできあがった。
「食べよ弦ちゃん。はい」
満月みたいな丸をヘラで半月二つにする。弦ちゃんは割り箸割って半月の片割れを自分の小皿に乗せると「いただきます」言うて、キレイに手を合わせた。
「……ど?」
恐る恐る、聞いてみる。弦ちゃんはゆっくり最初の一口を味わって、ほんでから飲み込む時に両目を閉じた。
「…まあ、悪くないんじゃない」
「えっ、ほんま?」
「うん、ほんま」
うそ、やった嬉しくてたまらん。俺はヘラを両手に持ったまま万歳をして「やた〜!」と叫んだ。
「どないしよ、むっちゃ嬉しい。今日記念日や」
「はぁ?なんの記念日だよ」
「弦ちゃんに美味しい言うてもろた記念日」
俺の顔がよっぽど間抜けやったんやろか、弦ちゃんはテーブル挟んだ向かいで、頬杖をつきながら「アホ」て、優しく笑ろた。
「……」
…嬉しい、好き。あかん漏れる。口から溢れる。好きや弦ちゃん。
ねえ俺ほんまに阿保なんよ。だって弦ちゃんのこと志太さんよりずっと前から好きやったのにって、今更な、こんなに後悔しとるんよ。好きやと思うた瞬間から全力出さんとあかんかったのやほんまは。阿保。なにしとったんか、ほんまに阿保。阿保。阿保。
…ねえ、好きや。そないな顔は他の人に見せんでほしい。志太さんにも、お願い。…見せんでよ。
「…お前の手」
「…へっ、あ、えと、なに?」
「手。デカいよね」
弦ちゃんがぼんやり俺の手を見つめてきはるから、俺はヘラを小皿の端に立てかけて、弦ちゃんへ向けて手のひらを開いた。
「そうなんよ、俺の唯一のアピールポイント」
弦ちゃんの顔の前でグーパーしてみせたら、いきなり弦ちゃんが俺の手のひらを触ってきはった。全身に稲妻が走ったんか思た。心臓が、止まるんか思た。
「傷多いな…うわ、痛そう。ちゃんと手入れしてる?ここの爪歪んでるし」
「……あ、え、うん…」
「指長いし手首も細いし…キレイな形してるのに。ちゃんとケアしなよ」
「…弦ちゃん」
「なに?」
「……ぎょーさん触って」
また口から勝手に漏れた言葉に、すかさず弦ちゃんが「は?」と眉を歪ませた。
「もっと触って弦ちゃん」
「…はぁ?なに…」
「触って。弦ちゃんの手、気持ちええ」
「……」
「…ね、俺も触ってええ?」
少しだけ身を乗り出したら、弦ちゃんが今日一番のでっかい声で「アホンダラ!!」と怒声を響かせた。
「うるさ…弦ちゃん…うわむっちゃキーン言うとる…」
「じゃかあしい!なめとんかお前はいつも!」
「なめてへんよ。弦ちゃんが言うたんやんか、思たら勝手に口から出る性分なんよ」
「うっさいわ人おちょくんのもええ加減にせえよワレ!」
ほうかこの人、照れが一定のライン超えるとキレてまうんやな。…えらい難しいなぁ、見極めが。
「……俺な、ちょっと自分の手ぇ好きなんよ」
両手とも自分の元に引き戻して、手の甲と手のひらを何度も交互に見る。
ボロボロの傷だらけ。トンテンカンテン、そらぁぎょーさん作ってきた。この手で。
「…ふうん?まあ確かに、キレイな形してる方なんじゃない」
「いや形やなくて。ボロボロやろ?それがな、好きなんよ」
弦ちゃんは不思議そうな顔しはったけど、ほんでも黙って俺の話に耳を傾け続けてくれた。
「子どもの頃から好きやってん、工作。その気持ちのまんまで大人んなったさかい…そやからな、子どもの俺が今の俺の手ぇ見たら、きっと喜ぶやろなぁ思て。好きなことずぅっとやってきはった手やーって、笑ろてくれる気ぃするんよ」
「…ふうん」
「そやから、この手ぇ好き。へへ、一個しかあらへんけどな、これ俺の自慢」
「……」
弦ちゃんはじっと俺を見つめたか思うと、何でか急に目を伏せはった。
「…そう。子どもの頃から本物だったんだ、お前は」
「本物?」
「…なんでもない」
弦ちゃんが半月の残りをヘラで切って口に運ぶ。なんやの急に、どないしたん。そないな寂しい顔。
「…んと、小学校ん時の…図工のセンセがな?」
俺も自分の半月を口に運びながら、ゆっくり、昔話を読み進めるように話した。
「神さんの話をようしはったんよ。この世にはぎょーさん神さんがおって、ほんで好きなこと頑張り続けたらな、その人のとこに神さんがやってくるんやって」
「…へえ。神様?」
「俺な、実はけっこう信じとるんよ、それ。俺の手ぇな、図工の…ん〜…まぁまだ卵くらいかもしれへんけど、ちっさい神さん宿ってんちゃうかなぁ思て」
「へえ、意外。お前そういうこと言うんだ?すごい自信だね」
弦ちゃんをチラと見る。寂しい目はまだ、さっきとおんなし色しとる。
「…弦ちゃんの心臓にもおるんよ」
「はぁ?」
「演劇の神さん。おるよね。俺いつもそう思っとるよ」
「……」
弦ちゃんの丸こい目がもっと真ん丸になる。そやけど数回の瞬きの後、弦ちゃんはまた目を伏せてしもうた。
「いないよ」
「なんで?俺は弦ちゃんのお芝居見とる時いつもそう思」
「神さんなんておらんわ」
「……」
締め出すように、空っぽの鉄板めがけて弦ちゃんが言葉を放る。あんまり強く締め出すさかい、俺は曖昧な相槌すら打てへんかった。
「…これ、焼かないなら僕が焼いていい?」
弦ちゃんがネギ焼きのタネが入ったボウルを手に取る。俺がやるよ言う前に、弦ちゃんは慣れた手つきで中をかき混ぜた。
鉄板の真ん中にゆっくり、タネが落ちる。三分の一ほどをボウルに残して、弦ちゃんはタネをキレイに形作った。
「…やっぱうまいね」
「ふん、人生で何百枚焼いてきたと思ってるんだよ」
別皿に分けられとった豚肉を丁寧に広げて乗せてから、ボウルに残しとったタネを全部注ぐ。弦ちゃんの手によって作られたネギ焼きは、ほんまキレイな真ん丸やった。
「はい。いいよ食べれば」
「あ、おおきに。ほんならいただきます」
弦ちゃんの作ったネギ焼きは、当たり前やけどむっちゃ美味しかった。本場仕込みの腕前ゆうんももちろんあるやろう、でもそれだけやなくて、大好きな人が焼いてくれたからゆうんもある。もう相乗効果や、ありえへんくらい美味しかった。
「むっちゃ美味しい、弦ちゃん」
「あ、そう」
「ほんま美味しい。どないしよ、嬉しいわ」
「……」
「弦ちゃん、今日ほんま付き合うてくれてありがとお。うわ、どないしよう、むっちゃ美味しい」
「…あのなぁ、支離滅裂なんだよ」
自分で焼いたネギ焼きを口に運んで、俯いて、少しだけ笑う。弦ちゃんのまつ毛がチラッと影を落とすんが見えて、なんやドキッとした。
「……同情とか、そういうのいらないから」
「へ?」
最初、何を言われたんかようわからへんで、思わず素っ頓狂な声が出てしもた。
「去年のハロウィンコンテストの時にお前がなにを思ったかは知らないけど。励ましとか同情なら迷惑だから」
あ。今、なんでかよう分からへんけどでっかい壁作られた。…なによ、急に。
「…そんなんちゃうよ」
「何が違うんだよ。可哀想って思いたいんだろ?今年は魔法使いじゃなくて狼男の僕にさ」
「ちゃうよ、なにそれ」
「神さんがどうのこうの…なんやねん知らんわ。好きなモンとたまたま両想いやっただけのお前のな、薄っぺらい励ましなんぞいらんねん」
「ちゃうよ、励ましでも同情でもないよ」
「ほんだらなんやねん。あ?今日はおのれの自慢話でも聞く会なんか?」
「なんやの、すかたん言わんで。なに急に怒ったはるの」
「教えるかアホンダラ。おのれには一生分からんわ」
「……なんやの…」
…なによ、どこ?どこで弦ちゃんキレはったん。分からへん。分からへんよ。せっかく弦ちゃんの作ったネギ焼き食べてはったんに。…阿保、冷めてしもうたやんか。
「…いけず」
「……」
「弦ちゃんのいけず。もうええ。焼きそばあげへんから」
鉄板の温度を調整し直してもう一度ヘラを持つ。これは地元でよく食べとった料理。ほんまはこれを一番、弦ちゃんに食べさしたかった。
ゴム焼きそばもメニューに置いてくれはる鉄板屋を、俺は近所でここ以外に知らへん。粉もんも好きやけど、ほんでも地元のことを一番思い出すんは、この料理や。
他の粉もんとは違ごて九割方完成しとる焼きそばは、いったん鉄板の上広げて、最後にソースと油回しかけて混ぜるだけ。普通の焼きそばの麺とは違ごてかなり弾力があるのやけど、なんでかたま〜に、これが無性に食べたなる時がある。きっと弦ちゃんにもあるんやろうな、ふと恋しくなってまう地元の料理。
さっさと作って、とっとと自分の皿に乗せる。割り箸で掬って息を吹きかけとったら、テーブルの向かいからちっさな「ごめん」が聞こえた。
「…ちょっと、言い過ぎた」
「……どこがちょっとなんよ」
「……」
神木坂さんにはなんぼでも頭下げて素直に謝れるくせに。ほんまに同一人物なん?なんやの、もう。
「…食べる?弦ちゃん」
「……」
「はいあげる」
鉄板を超えて、弦ちゃんの小皿に焼きそばをちょっとだけ盛る。素直に口運んで、素直に「旨い」言うてくれたから…しゃあないな。許してあげるわ、もう。
■ ■ ■
会計を済まして一緒に店を出る。…ちなみに俺が全額出すつもりやったんやけど、弦ちゃんはそれを許さへんかった。
「はぁ?お前カツカツだろ?どう見ても」
「ねえ、むっちゃ失礼やし。俺が誘ったんやから俺が出すよ、決まっとるやんか」
「見栄貼るなよ鬱陶しいから。ほら、先出てて」
「ねえほんま無理、やめて、俺出すから財布しまいよし」
勘定台の前で喚く俺らに鶴の一声をかけてくれたんはおばちゃんやった。
「ハイハイほんなら割り勘ね、割り勘!」
ほんで結局、お勘定はほんまに割り勘になってしもうた。…なんでよもう。キマらへんわ。
駅までの道、人の数はずいぶん少ない。元々各駅しか停まらへんちっさな駅や。天鵞絨街とは違ごて静かな夜やった。
「……」
隣を歩く弦ちゃんを盗み見る。歩く姿勢までキレイなことにそん時初めて気付いて、なんでやろ、改めてキレイな人やな思て、見惚れてしもうた。
「……」
あかん、急に心臓がうっさい。駅に着いてまうその前に言わな。きばりよし、俺。
ほんで深呼吸をしよ思たんと同時、弦ちゃんが「大和」と、俺のことを呼んだ。
「…大事な話ってなに」
「……」
「それ聞くために来たんだけど。今日」
「…うん」
「言っとくけど、僕もう当分オフないから。ハロウィンコンテストに向けて志太と諸々詰めなきゃいけないしその後は冬公演の稽古も始まるから」
「…うん、さよか」
心臓がバクンバクンもっとうるさなった。あかん、うっさい。ほんでも言わな。弦ちゃんに伝えな。
あと少しで駅、ゆうところで立ち止まり、弦ちゃんをまっすぐ見た。弦ちゃんも足を止める。俺を見つめ返したはる。
「……あんな、弦ちゃん」
「……」
「俺…ええと、俺な……」
その時や、弦ちゃんのポッケに入っとったスマホが急に鳴った。まるで計ったみたいなタイミングで鳴るさかい、妙に、はっきりと、嫌な予感がした。
「ごめん着信だ、待って」
弦ちゃんがスマホ取り出して画面を覗く。ほんで親指で数回タップしてから、今度はそれを耳に充てはる。
「もしもし、志太?なんだよ」
ああ、嫌な予感当たってしもうた。最悪や。なんでこのタイミングで電話かけてくるんよ。なんでいま志太さんの名前を、弦ちゃんの口から聞かんといけへんのよ。
「うん、あーはいはい、うん。じゃあそれは僕からレニさんに伝えとくから。…え、なに?」
弦ちゃんが道の端っこ寄って俺に背を向ける。志太さんとの電話はまだ終わらへん。
「はぁ?今から?断る。もう食べたところだから」
ねえ、いつまで話したはるの。業務連絡にしては長いんとちゃうの。
「そうだよこれから帰…あのなぁお前、冗談言うのも大概に…」
「……」
もう我慢できひんで、場所も状況も脈絡も、そないなもん全部投げ打って、俺は弦ちゃんのことを後ろからギュッと抱きしめた。
スマホ充ててはるんは左耳。そやから空いてる方の右耳、その近くに口寄せて弦ちゃんに言うた。
「…切って」
「……」
「切って弦ちゃん。イヤや」
弦ちゃんが耳からスマホを離して、信じられへんて顔で俺を見たはる。
俺も、信じられへん。口だけやなくて体も勝手に動いてまう時って、あるんや。
「志太さんと話さんで」
「…なに言って…」
「早よう切って。お願い」
お願い。ほんまにイヤや。今だけは誰も入ってこんでよ。二人っきりにさしてよ。好きなんやもん。あんたさんのこと大好きなんやもん。なんや子どもみたいやけどひとりじめしたいって、思うんやもん。
好き、弦ちゃん。俺の心臓の音、聞いてよ。
「…また後でかけるから」
電話の向こうにそう言うて、弦ちゃんは画面の中の通話終了マークをタップした。誰とも繋がらんようになったスマホを片手にぶら下げながら、弦ちゃんは「離せ」とだけ言うた。
「…イヤ」
「離せ」
「イヤや。離したない」
「離せ!なにしてくれてんねん!」
「イヤやこのまま言わして」
「何をやねんアホンダラ!」
「…弦ちゃん好きや」
弦ちゃんの肩に回しとる両腕に、力を込めた。桃みたいな色しとる髪の毛に、自分のでぼちん、そっとくっつけた。
「弦ちゃんが好き」
弦ちゃんは、なんも言わへんかった。微動だにもせんで、ただじっと、俺に後ろから抱きしめられたはった。
「…大好き。ずっと聞いてほしかってん、俺」
視界の端っこが、じんわりモヤモヤ膜を張る。あかん嘘やし。自分、泣きそうや。
「住んどる世界違ごても、見えとるモン違ごても、ほんでも好き、弦ちゃん」
「……」
「志太さんが来るずっと前から好きやった…ほんま、一年前からずっと」
もう多分、二度と弦ちゃんをこうして自分の腕ん中にしまうなんてこと、できひんやろうから。そやから、噛み締めな。ほんで、ちゃんと砕けな。
砕けた後は、あんたさんが他の人のモンになる未来を受け入れな。…ね、そうやろ弦ちゃん。そうなんよ。そんなん絶対イヤやけど、俺はあんたさんを諦めなあかんのよ。
「…イヤや…」
…どないしよう、そんなんイヤや。絶対無理や。弦ちゃん好き。大好き。あかん涙出てきてしもうた。お願い、誰かのモンならんで。
「……離せよ」
「…い、イヤや…」
「離せ。ちゃんとお前の顔見て返事するから」
「イ、イヤや〜…そんなん……無理やし…」
「大和」
「イヤや待ってよ、いま顔見せられへん…」
抱きしめたまんまべそべそしとったらいよいよ堪忍袋の緒が切れたんか、弦ちゃんはでっかい声で「どつくぞワレ!!」と吠えた。
「早よ離さんかい!」
「…無理、待って、まだ返事聞きたな」
「アホンダラ!!」
鼻水を啜る音が、怒号に丸ごと全部掻き消された。
「…なめとんかワレ」
「な、なめてへんよ…」
「なに泣いとんねんゴラ…」
「…な、泣いてへんし」
「きばれ!!」
「……」
「男やろうが!きばらんかい!!」
…敵わん。敵わんわ、あんたさんには一生。例え自分が嫌われてでも、そんなん構わへんって相手に厳しくできるあんたさんは…ねえ。一体今までその何倍、自分に厳しくあり続けてきたんよ。
足元にも及ばへん。かっこええ。弦ちゃんかっこええなぁ。…俺、情けないなぁ。
「…うん」
腕を弦ちゃんの肩からどけて、体を離す。ベチョベチョの目元を乱暴に手のひらで拭いて、ほんでから弦ちゃんを見つめた。
弦ちゃんの目は、弦ちゃんの魂によう似合うとる。まっすぐで、絶対途中で曲がったりせえへんね。
「大和」
「…うん」
「お前の気持ちには応えられない」
「……うん」
「これからもずっと変わらないから」
「……うん、わかったよ」
言い淀むとか目を逸らすとか、全然せえへんのやね。あんまりまっすぐやさかい、最後のダメ押しもできひんわ。
「…行くよ、駅。お前も天鵞絨駅でいいわけ?」
弦ちゃんが駅の方を顎でしゃくったけど、俺の足は未だに動かへんかった。
「…弦ちゃん」
「…なに」
「今度は目ぇ見ながら言うていい?」
「……」
「かっこつかへんまんまやし、イヤなんよ。やり直さして」
「……」
数秒後、弦ちゃんは「いいけど」と言うてくれはった。かっこええのに優しい。ありがとお弦ちゃん。今からきばるから、聞いとって。
「弦ちゃんが好き」
「…うん」
「大好きや」
「……うん」
「…今日、会うてくれておおきに」
「……」
一年ぶん募らした弦ちゃんへの気持ちを、やっとまっすぐ、弦ちゃんに届けることできた。…よかった。嬉しいよ。聞いてくれてありがとおな弦ちゃん。
「…大和」
「うん?なに?」
「おおきに」
お湯に溶かしたみたいに、標準語やなく訛り口調で、弦ちゃんは言うた。
「嬉しいわ。おおきに。…忘れんわ」
「……うん」
「…ほな行こか」
「うん」
俺の数歩先を進む弦ちゃんの背中を見つめる。まっすぐ伸びたキレイな線を見つめる。
ねえ、弦ちゃん。嬉しい言うてくれて俺も嬉しい。忘れんって言うてくれたこと、俺も忘れへん。
…大好き。今日のお月さん真ん丸やね。弦ちゃんが焼いてくれたネギ焼きみたいや。
■ ■ ■
10月終わりのハロウィンコンテスト、最高の衣装纏って参加した志太さんと弦ちゃんペアは、MANKAIカンパニーと同率一位で優勝した。
この日までに彼女作れへんかった友達と、それから他の人らとも一緒に、うちの看板役者二人の勇姿を見届けて心からの拍手を送った。
志太さんと並んで特設ステージに立つ弦ちゃんは、やっぱり去年とおんなし。狼男の衣装も最高に似合っとってかっこええ。
ねえ弦ちゃん。弦ちゃんが今羽織っとるケープのな、フワフワんとこ俺が付けてん。着心地どう?弦ちゃんがキレイな形て褒めてくれたこの手で付けたんよ。…ぎょーさん愛情込めてな、付けたよ。
今日くらいはええよね。恋愛の神さんにさ、頑張ったなぁて。
…笑ろてほしいなあ。