恋は再び

06 - 08

06.


あ〜…疲れた。

俺が久しぶりの大地を踏み締めてまず思った事は、これに尽きる。
心身ともに疲労困憊していたので、まさに「待ちに待った」ものだった。きっとこの上陸を誰よりもありがたく感じているのは俺に違いない。



サンジが俺に謝ったあの日から、何故だかやけに話しかけられたり観察されたりする事が増えた。
やり辛くて仕方ないので距離を取るのだが、そうするとその分サンジがその距離をつめてくる。一度、ウンザリしながら「疲れるからやめてくれ」と言ったら「思い出そうと努力してんじゃねえか、むしろ感謝しろ」と言われた。
いや、それは確かに、思い出して欲しいんだけども。それに伴って俺がしんどさを感じるなんて聞いてねえっていうか…何だか俺、不憫すぎねえか?俺の協力がねえとダメなのかよそれ…突然ポンと思い出せよ…。
そうやって俺がどんなに冷めた対応をしてみせても、サンジはまるで気にする様子もなく俺に話題を振るのだった。
食べ物の好き嫌い、趣味趣向、俺たちの出会いや今までどんな会話をして笑い合ったのか…次から次へとまるでそれは取り調べのように、俺は色んな事を聞かれまくった。
答えながら過去を振り返る作業ははっきり言って苦行だ。
どうしてわざわざ、楽しかった思い出をなぞりながら目の前のこの男を見ては現実に戻る、なんていう行為を繰り返さなければいけないのか。温かい湯に浸かって体が温まるたびに冷水をぶっかけられるようなバカバカしさがある。
サンジは俺の話をウンウンと聞きながら、合間合間で「それ本当か?」とか「嘘だろ」と聞き返してくる。嘘じゃないと返すと「信じらんねえなぁ…」と顎に手を当てて考え込んでみせるのだ。
そして俺をチラと見てから「俺がお前をなぁ…」と、やっぱり信じきれないといった様子で独りごちるのだった。…大概にしろよと思う。俺にとってはサンジのそれら一つ一つの言動全てが、針のようにチクチクと刺さるのだ。
「だから…信じたくねえなら信じなくていいし、早く思い出してくれとも言わねえから。俺の事は放っておいてくんねえか」
「ばかお前、俺が早く思い出してえんだよ。それと信じたくねえ訳じゃねえ、ただの相槌だ。続けろ」
この会話を、一体何回繰り返しただろう。もうため息を吐くのも飽きた。



 
「ログが溜まるまで一日半。今後の航海に必要な物資、各自きちんと調達するようにね!」

ナミがログポースを見ながらそう言ったのが数時間前。

今回上陸した国はかなり栄えているようで、街は多くの数の人でごった返している。
観光場所としても有名なスポットがあるらしい。街の至るところに「絶景をその目に!」という謳い文句が踊っている。
どうやらその絶景スポットは船を停めた反対側の海岸にあるみたいだ。
時間があったら折角だし見に行きたいけど、今日は恐らく街の中を歩いて回るのと買ったものを船に積む作業で終わってしまうだろう。見に行くとしたら明日になるだろうか。

一泊分の寝泊りについて、俺が予想するにこの島で一番安い宿に泊まることになると思う。
ナミがその宿の中の一番高い部屋を一人で使うんだろうし、俺たち野郎は最安値の部屋に詰め込まれる筈だ。…メリーの男部屋以下でない事を祈ろう。
あとはゆっくり浸かれる湯船がありますように。

俺は単独で街をぶらついていた。
さっき見かけた屋台で買ったたこ焼きをつまみながら往来を進む。探しているのは画材屋だ。
ほどなくして目的の店を発見し、ワクワクしながら店の入り口である引き戸を引いた。

店内をざっと見渡して、申し分ない品揃えに嬉しくなる。
欲しい物はスケッチブックとまっさらな練り消しゴムだ。
他にも、海水で溶くと色が変化する絵の具だとか雨風に当てられてもヨレない画用紙だとか、それはそれは色んなものが売られていた。今まで出会った事の無い画材の数々に心が躍る。
財布の中身を再確認して、当初の目的ではなかったものもいくつか買って行く事にした。最終的にカゴの中身は予想していた量の二倍くらいになってしまったけど、まあいいや。

カウンターへ持っていくと、声をかける前に店主のじいさんが奥から出てきた。
深緑色のポロシャツを着たじいさんは「毎度どうも」と笑いながら、古びたキャッシャーを操作する。
「全部で7580ベリー。…兄さん、変わった鼻してるね」
店主のじいさんはこちらを見て少し目を丸くした。
「ふ。じいさんラッキーだったな。この鼻に気づいた者は本来ならただで帰す訳にゃいかねえんだが、偶然にも今日は海賊業が休みでよ。見逃してやるぜ、恩に着な」
面白おかしく返すと、じいさんも同じトーンで「そりゃ良かった」と笑いながら応えてくれた。
「雑貨屋と木材店も探してるんだが、この近くにあるか?」財布の中から札を8枚出しながら問う。じいさんはそれを受け取り釣銭と領収書をトレイに乗せた。そしてワンテンポ遅れた後で「出て右にな、しばらく歩けばあるよ」と教えてくれた。
「絵描きと大工の掛け持ちかい?」
じいさんの質問に「おう、あとキャプテンもやってる」と付け足しておいた。

店を後にして、所持金の残高を大体計算しながら歩いた。今の店で7500ベリー使ったから、あと残ってるのは…。
俯きながら進んでいたら、前方から「よお」と声をかけられた。

…嗚呼、こんなにでかい街なのに、何で。
その短い掛け声だけで、声の主が誰であるかを判別した。
それは俺の心身を疲れさせている張本人だった。全く嫌になるぜちくしょう。画材屋で弾んだ気持ちがパアだ。
「おいおいそんな顔すんなよ。一応恋人だろ」
「………恋人じゃねえです」
ジトリと睨みながらそう言うと、サンジは肩を竦めて「お前俺にだけノリ悪くねえか?」と言った。

「その袋、何だよ」
俺の左手にぶら下げられた紙袋を見ながらサンジが聞いてきた。
「…画材」
「ほー。絵でも描くのか。そういや海賊旗のマークはお前が描いたらしいな。ルフィに聞いたぜ」
「…あ、そうですか」
「何買ったんだよ、見せろよ」
「…見たって仕方ねえだろ、いいよ」
「何勿体つけてんだよ、見せろって」
「いいって!」

…どうして、こんなにイライラしてしまうのか。
サンジがこうしてわざわざ、俺を気にかけてくれているというのに。きっとこいつなりに、思いやりを持って接してくれているのに。
思い出そうと試行錯誤してくれているだろうこいつに何故だか優しく接してやる事が出来ない自分が腹立たしい。
冷たくされたら傷つくくせに、構われたら放っておいてほしいと思う。そんなの、自己中心的過ぎる。自分勝手もいいところだ。
いつもの俺でいれば良いだけなのに、そんな事も出来ない自分が恥ずかしくなった。

俺が強い口調で返してしまったにも関わらず、サンジは特に取り乱す様子もなく「ちぇ、冷てえの」と言うだけだった。その反応に、少しだけ救われる。
「…ごめん」
俯いて謝ると、すぐに「何が?」と返ってくる。本当に分からなくて聞いているのだとすぐにわかった。
「何でもない」
小さな声でそれだけ言うと、サンジは困ったように笑って俺の頭に手をぽんと置いた。
「…なんか、お前ってさあ」
見上げると、目頭に皺がよる、昔と全く同じサンジの笑顔がある。
「気苦労が絶えねえんだろうな。大変だな」

なんて返せばいいか分からなくて、何も言わずに俯いた。何で笑いながら「なんだそりゃ」って言えねえのかな。それも謝っとく。…ごめんな。



日が沈む頃、それぞれ何とか買い物と船への積み下ろしを終えて、俺たちはメリーを横目にしながら船着き場に集まった。
「今日の宿なんだけど、あそこの黄色い看板見える?あの建物だから」
ナミが言いながら自分の後方にある建物を親指で指した。外観はそんなに悪くなさそうに見える。まあ、決してグレードの高い宿泊施設にも見えないけど。
「あんたら全員を一部屋にまとめたかったんだけど…さすがに五人一部屋は無理って言われちゃったのよね、二部屋とっておいてあげたから適当に分かれて泊まって。これ、部屋の鍵」
ナミは俺に鍵を二つ託して「さて」と一息ついてみせた。
「今からこの街中全てのベリーを手中に収めてくるわ。あんたら邪魔しないでよ!」
ナミの人差し指がビシと力強く突き立てられる。その決め台詞の後、ナミは弾んだ足取りでこの街一番のカジノへ消えていった。あんなに生き生きしたナミを見るのはいつ振りだろうと俺はその遠ざかる後ろ姿を見つめながら思った。

「俺!ウソップと同じ部屋!」
ルフィが唐突に俺の肩に腕を乗せてきた。
「え!じゃあ俺も!ルフィとウソップと同じ部屋がいいぞ!」
チョッパーも続けて言う。
正直、サンジ以外とであれば誰とでも何人でもいいと思っていたので、この状況は非常にありがたい。
「おいふざけんな。おめえら三人が一緒になったら俺がこの藻と二人きりになるだろうが。何の罰ゲームだよ」
サンジが箱から煙草を一本抜き取りながら、本当に嫌そうな顔でそう言った。
「部屋割りでダダこねんなよ、ガキかお前は」
「…あ?もういっぺん言ってみろクソマリモ」
「部屋割りでダダこねんなよ、ガキかおま」
「一言一句間違えずに復唱しようとしてんじゃねえ!!なめてんのか!あ!?」
そうして恒例の、レベルの低い喧嘩が始まる。このまま黙って見ていようか、どちらかの手が出る前に止めてやろうか決めかねていると、ルフィが一言「じゃあジャンケンすっか」と言った。
「俺とチョッパーでジャンケンして、負けた方がゾロサンジと同じ部屋な!」
ルフィが屈んで、チョッパーにグーの手を差し出した。
「…ええ〜…分かった…」
明らかにテンションの下がったチョッパーが、おずおずと片手を前に出す。
「…おい、おいおい。チョッパーお前なんだその態度。クソゴム、テメーも負けた方って言ったか?罰ゲームかよ」
横やりを入れるサンジを無視して、二人はジャンケンを開始した。結果はチョッパーがチョキでルフィはパー。一発で決着がついた。(ちなみに半獣型の今のチョッパーはチョキかグーしか出せないのだから、グーを出しておけばルフィは負けることがなかったのに、というツッコミはこの二人以外の全員が思っていたに違いない。)
「あ〜負けちまった〜、ウソップと怖い話とかしようと思ってたのに」
がっくりと肩を落としてルフィが言った。

と言うわけで、部屋割りは俺とチョッパーの二人と、ゾロとサンジとルフィの三人に決まった。
ルフィは項垂れていたが、サンジに「怖い話の代わりに肉の話してやるよ」と励まされるとすぐに元気を取り戻し「肉!食いてえ!」と目を輝かせていた。(サンジのそれが励ましと言えるのかどうかは、正確には分からないけど。)

そして俺たちは五人で宿へと向かった。





07.


「あ〜…至福だ」
決して最高ランクとは言えないベッドだけど、足が伸ばせて寝返りがうてる。俺は天井を見上げながらそれがどれ程贅沢な事なのかを痛感した。

宿の一階奥にある食堂で久々にサンジ以外の誰かが作った飯を食べ、その後、階ごとに設けられた浴場施設で体を洗った。
どこも設備はボロくて、料理の味はイマイチだったし風呂も湯の温度の調節が難しくて手こずったけど、それでも俺は充分過ぎるほどのありがたさを感じていた。
サンジの存在を気にしなくて良いのが良い。船の上ってのがどれだけ限られた狭い空間なのか、こうして陸に上がると身にしみて分かる。

「なあなあウソップ、なんか話してくれよう!」
チョッパーが隣のベッドで寝そべり、首だけをこちらに向けてそう言った。
「面白いのと、奥深いのと、怖いのとどれがいい?」
「面白いの!」
チョッパーは腕を上げて元気に答えた。
「よーし、じゃあ特別にチョッパーだけに話してやろう。これは俺が数年前に体験した話なんだが…」
天井を見つめながら物語を紡ぐ。あ、あのシミの形が蛇に似てるな。大蛇が出てくる話にしよう。
片手を頭の後ろに差し込み、もう片方の手で簡単なジェスチャーを交えながら頭の中で繰り広げられる壮大なストーリーを語る。
チョッパーは合間合間に「うんうん」「本当か!?」「ウソップすげえ〜!」と、こちらが気持ち良くなる相槌を沢山打ってくれた。しかしその相槌が数十分のうちに急激に減ってしまうのは、よくある事だ。

「……その時その蛇が呑み込んだはずの大剣が、腹を突き破って出てきたんだよ、俺様は勿論そのチャンスを見逃さなかった……チョッパー?」
呼びかけに応じない。チラリとチョッパーの方へ目を向けると、やはりチョッパーは気持ち良さそうに寝息を立てていた。
「まだ9時前だぞ」
笑いながら突っ込んだ。ベッドから起き上がり、ずいぶん硬い生地の掛け布団をその体に掛けてやる。久々の上陸に胸を躍らせていたのは、きっとチョッパーも同じだったんだろう。
少し部屋の照明を落として、さてどうしようかと腰に手を当てた。
はっきり言ってまだ眠くない。ぼうっと外を眺めるにはこの部屋の窓は小さ過ぎる。食堂にドリンクカウンターがあったから、何か飲みながら数時間の過ごし方を決める事にしよう。
財布だけ持って、できるだけ物音を立てないようにしながら俺は部屋を出た。

一階へ降りて食堂に向かう。
積み重ねられた紙コップを上から一つ取って、ボタンを押したら自動で出てくるコーヒーをその中に注いだ。ドリンクマシンの横に置いてあるスティックシュガーとコーヒーミルクをたんまり拝借し、紙コップの中のコーヒーに溶かした。
「…は〜…」
穏やかな気持ちでコーヒーを飲めるの、いつ振りだろう。あいつが淹れてくれたコーヒーの方が100倍は旨いけれど、今はこの瞬間が100倍心地よい。

目を瞑ってゆっくり味わいながら、そうだ、絶景と謳われている海岸を今からでも見に行こうか、と思いついた。滞在時間は一日半。予定通りなら明日の昼過ぎにはこの島を出なきゃいけないんだ、楽しみを後回しにしてしまったら、それが叶わないままタイムリミットが来てしまう可能性だって十分にある。
どんな景色なんだろう。折角だから買ったばかりの画材を持って、絵を描くのもいいかもしれないな。
考えながら紙コップの中を飲み干した。チョッパーを起こさないよう部屋に戻って、持てる分だけの画材道具を持ってくるか、と思って踵を返した瞬間だった。
「げっ」
唐突に冷水をかけられたのかと思った。…だって咥えタバコをしたサンジが、食堂の入り口を今まさに跨ごうとしているから。
「げ、とは何だテメェ」
ムッとした表情の後、舌打ちをセットでくっつける。サンジは咥えたタバコを唇だけで上下にプラプラ動かしながら、一番上の紙コップを取った。
「…いや…いえ別に……」
俯いて、食堂の古びた床を見つめる。なんだよ、せっかくお前の顔見ないで済んでたのに。やっと気持ちが凪いできてたのに。突然やってきた大時化にげんなりした。…出くわすなよもう。お前だって別に俺の顔なんざ見たくなかっただろ?避けろよ。顔見て逃げ出すくらいの不自然さだっていいから。
「…チョッパーは?もう寝てんのか?」
背中を向けたサンジが、コーヒーが注がれるのを待ちながら俺に尋ねる。黙って小さく頷いた後、バカこいつ背中向けてんだから頷いたって見えないだろと自分にツッコんだ。
「…そうだよ」
言い方がぶっきらぼうになる。体が勝手に、コイツから距離を取ろうとする。…なんか磁石みてぇだな。他所ごとのように俺はそんなことをぼんやり思った。
コーヒーが注がれきってしまう前に、ここから立ち去ってしまおうか。うん、その方がいい。コイツだって俺と居合せちまって内心「げ」と思ったのかもしれないし、だけどそういう態度を取るとまた俺が傷つくからとか考えて、無理して堪えてるだけかもしれないし。
そうだよ、そうに決まってる。今すぐここから立ち去るのは俺にとってもコイツにとっても最善に違いない。よし行こう。「じゃあな」と言って切り上げるなら今がベストタイミングだ。
「よぉ、お前よ」
そして最初の一歩を踏み出した瞬間、出鼻を挫かれたように声を掛けられてしまった。サンジの手元の紙コップにはもう一杯分のコーヒーが注がれている。ああバカ、このタイミング逃したらこの後早々好機には恵まれない。お前も、声なんか掛けんなよ。黙って行かせろよアホ眉毛。
「……なんだよ」
また、さっきより顕著な言い方になった。サンジもそれに気付いたのかちょっとだけ眉をひそめる。咄嗟に心の中で「ごめん」と謝って、だけどそれからすぐにかぶりを振った。なにが「ごめん」だ。別にいいんだよ俺、謝んなくたって。
これ以上無駄に傷つきたくねえもん。もう、傷ついたりムカついたり、その次の瞬間にごめんって思ったりすんの、疲れんだもん。コイツから距離を取るのは、だから、全然不思議なことじゃない。
「見た?これ」
サンジが壁に貼ってある一枚のポスターを顎でしゃくって指し示した。ポスターには「世界・絶景百選認定!」と煽り文句が印刷されていて、全面に大きく地図とその場所までの道順が載っていた。手書きの赤い丸印がこの宿なんだろう。どうやらここからだと、さほど遠くないらしい。
「今日、魚市場のオッサンに勧められてよ。この島出る前に一度は見とけって」
「…へえ」
相槌を打ちながら、どうか頼むこの後に続く言葉が俺の予想しているものじゃありませんようにと願った。
「お前もう見た?」
「…いや…」
いやいやまさかそんな。バカだな、予想している言葉が続くわきゃない。こんだけ態度で示してんだからさすがにそれはねえだろハッハッハ。そうだよ、デンと構えてりゃいいんだ。なんだコイツやっぱ絡みづれぇなって、やっぱやーめたって、そのうち相手も飽きて放置してくれるだろうからさ。

「じゃあ、今から一緒に行かねえか?」

それで、俺はサンジの言葉に後頭部を思いっきり殴られた。冷水ぶっかけられた次は頭を大岩でぶん殴られたってか?…あのなぁ。
「いやなんで!?」
目の前にいるこの男の思考回路がマジで分からない。意味不明だ、解読不可能だ。なに、なんなのコイツ?宇宙人か?俺はいま未確認生物と宇宙を隔てた交信でもしてんのか!?
信じられんと思ってサンジの顔を見たら、同じような顔で「なんでってなんだよ」と返された。いやなんでって、なんでってなんだよってなんだよ!俺のセリフだよ!
「暇なんだろ?俺も暇でよ。部屋いても汗臭えマリモと肉肉うるせえゴムがいるから抜けてきたんだ。部屋で鼻と耳塞いでるくらいならお前とここ行った方が少しは有意義じゃねえか」
「……」
いや、いやいやいや。俺は全然有意義じゃねえよ。ご遠慮願いてえよ。
久しぶりの上陸でどれだけ俺が安心したと思ってる?これで一日半の間だけはサンジの近くにいなくても済むって、心底胸を撫で下ろしたって言うのに。
なあ、俺がそう思うのも、ちょっと考えりゃ分かるだろ?え、なに、分かんないわけ?もしかして伝わってねえわけ?なんにも?…え、なんで?
「……いや、いいです。俺は」
頭を抱えながら断った。言葉で一から十まで懇切丁寧に説明してやる余力が、もうだめだ。これっぽっちもない。
「なんだよ、やけに元気ねえな」
不思議そうに首を傾げるその仕草に、ちょっと本気でうんざりした。キョトンって言葉がお前の後ろにくっきり浮かんでやがるから、その文字を黒マジックで乱暴に塗りつぶしてやりたい思いにかられた。
「……あのさ、こんなこと何回も言いたくねえんだけど」
「あ?なに」
「俺、言ったよな?ほっといてくんねえかなって」
「……」
サンジが数回瞬きをする。面食らってるんだろう。いやでもお前の言動に面食らったのは俺も一緒だからな?
「ほっといてほしいんだよできれば。同情も気遣いもホントに要らねえから。頼んでねえから」
「……」
「俺だって別に、もう慣れてきてるし。お前のこと責める気もねえし。…だから、ホントに…あの、構わないでほしい」
「……」
オブラートに包んでちゃ、きっと伝わらない。だから決死の覚悟で、はっきり言った。いい加減伝わったかな、伝わったよな?さすがに伝わってくれ頼む。

「……そうかよ…」
そこでいっそ、舌打ちでもして俺に腹を立ててくれりゃあ良かったのに。
なのにお前ときたら口をすぼませて眉尻をこれでもかと下げて、感情丸出しの傷ついた顔を、そのまま晒してきやがる。その瞬間俺の心臓はギュッと音を立ててきつく絞られた。
…なんて顔だよもう、小さいこどもじゃねえんだからさ。
「……俺といるのがそんなに嫌とは知らなかった。…いいよ、わかった」
そんなことないよ、とは言えない。だけど「やっとわかってくれたか」と追い討ちをかけるような言葉も言えなかった。なんだかあまりに可哀想で、気が引けたのだ。
肩をガックリ落として、サンジは短く重たいため息を吐き出した後、力なく笑って「邪魔したな」とだけ言った。紙コップのコーヒーを片手に、サンジがトロトロと食堂を出て行く。進むたび右に左に揺れる上半身はまるで亡霊だ。
「……」
落ち込むなよ。これじゃ俺が悪いみたいじゃねぇか。物分かりよく撤退すんなよ。俺が器の小せえ奴みたいじゃねえか。理不尽に怒れよ。意味わかんねえこと言い返せよ。逆ギレして振り回して、いつもみたいにワガママな振る舞いしろよもう。…もう。……もう!

「っだー!!」
あからさまに落ち込む後ろ姿を、もう黙って見送ることができなかった。慌てて追いかけて腕を掴んだらサンジの持ってたコーヒーが数滴、床に溢れてしまった。
「……なに」
振り返ったサンジが小さい声で言う。しょんぼりの中にほんのちょっとだけ嬉しさを滲ませるから、もうホントやだコイツと思った。
「悪かった!俺が悪かったから落ち込むのをやめろ!」
「……」
力任せに掴んでた腕を離して、俯きながら「ごめん言い過ぎた」と謝った。いやホントは言い過ぎてないんだけど。全部丸ごとそのまま俺の本音だったんだけど。
「…でも行きたくねえんだろ、俺とは」
「……いや、それは…」
それはまあ、そうなんだけど。…だからその捨てられた犬みてぇな顔をやめろ。
「いいよ。俺ぁ一人で行く。お前は明日ゾロとかルフィとかと行けよ」
なんでそういう言い方をするんだよいちいち、かまってちゃんかお前は。…あーそうだ、そうだった。かまってちゃんだったコイツ。忘れてた。
「俺だけお前のこと忘れてんだもんな。俺だけハブられんのは、そりゃあクソ当然だ。いいよ、俺が知らねえ思い出話に花でも咲かせろよ」
自分だけハブられてんのは俺の方だろうが。俺のことだけ脳内からハブって傷つけまくってんのは、俺じゃなくて!お前だろうが!!
でも、喉元まで出かかったその言葉を無理やり飲み込んで、その代わりに息を吐いた。吐くしかなかった。…ダメだもう、コイツはホントに。
俺の記憶だけ丸ごとなくしたお前は、だけどそれ以外の全部がお前のままなのだ。参るよなぁ、メチャクチャ面倒クセェ。この状況もお前の性格も、ダブルコンボで面倒クセェ。

「……行くよお前と。今から行こう」
溜息を通路に垂れ流しながら、俺はサンジを追い越して歩いた。
後ろからお前の足音が聞こえる。ちょっとだけホッとする。機嫌直してくれたんなら良かったという気持ちと、なんで俺はこんなこと言っちゃうかなという気持ちが同じ大きさで胸の中を巣食うから、溜息はますます長くなった。

あーあ、自分のこういう性分もほとほと面倒クセェな。ダブルじゃなくてトリプルコンボだ。





08.


なるほど確かに、これは絶景と呼ぶに相応しい光景だ。夜の海はチカチカと蛍光の黄緑色にあちこちが光って、まるで数万の電飾を散りばめてるみたいだ。
ツブホタル、というらしい。この辺の海にだけ繁殖してるプランクトンの一種だ。波に寄り添って、光は押したり引いたり、緩やかに揺らいでいる。

ちなみに今の情報は、斜め後ろでイチャイチャしてるカップルの彼氏が全部言ってた。イヤになる。なにからなにまで丸聞こえだ。
「キレイだね。私…幸せ」
「僕もだよ。すごく幸せだよ」
…はあ。そうですか。それはそれは結構なことで。
「ねえ、手を握って…?」
「いいよ。…もっとこっちに来て」
あー無理。無理だ無理。俺は真顔のままそこから移動した。

サンジはちょっと離れた風下の方でタバコを吸っている。お互い会話もないままここまで歩いて、今の今までずっと微妙な空気だ。
浜辺に着いた途端「風下で吸ってくる」とサンジから言ってくれたから、内心助かったと思ってしまった。何が楽しくて男二人、こんなロマンチックな煌めきを並んで見ないといけねえのか。一人で眺めてる方が百倍マシである。

「……さむ」
たまに強い風が吹いて、その度に俺は身震いした。昼間は思わなかったが、夜は割と冷えるんだなと思った。失敗したな、もう一枚羽織ってくりゃ良かったか。
ツブホタルは変わらずユラユラと光って夜の海の表面を優しく彩っていた。じっと眺めていると、自分もなんだか水の中をたゆたってるような気になってくる。大きな海に身を任せて、波に揺られて、アテもなくどこかへ運ばれる。
…楽だろうなぁ。ああ俺も今この数万の光、その中の一つになりたい。

「…おい鼻、入水すんなよ」
後ろから声をかけられ、慌てて思考を呼び戻した。振り向く。サンジがすぐ後ろに立って俺を見ていた。
「……しねぇよ、なんだそれ」
「そういうツラに見えたんだよ」
「…あ、そう」
会話は一つだって盛り上がらないまま下に落っこちて、砂に紛れた。拾い集める気なんてもちろん起きないままオーバーオールのポケットに両手とも突っ込んで、ただ、海を見る。
夜は、水平線がよく見えない。だから途方もなく感じる。ああ、やっぱりスケッチブックと鉛筆一本くらい持ってくりゃ良かったな。なにかに没頭したい。途方がないから、きっとずっと、なんもかんも忘れて描けただろうになぁ。

「…ウソップ」
俺を呼ぶ声が昔のお前の声とそっくりそのまま重なって、だから悲しくなった。その声の奥に俺との思い出はひとつもない。空っぽのくせに声が同じだからイヤだと思った。…イヤだな。呼ばないでほしい。
「…なに?」
振り返らないまま返事をする。後ろにいる男の顔を見たくなかったからだ。だって、顔まで同じなんだもん。おんなじなのに、お前に会えないんだもん。
悲しい。さっきからずっとなんなんだろう。やけに、無駄に、悲しい。
「なんか話せよ。間がもたねえだろ」
「……」
無茶言うな。お前と話すことなんかなんにもない。なにを話したって空振りで、俺は空ぶる度にサンジに会いたくなってさ、それでお前はきっと、そんな俺に困るだけだ。俺たち、一緒にいたってお互い困るだけなんだよ。
見てるものが違えんだもん。だっておんなじ思い出を持ってねえんだから。そんな二人が言葉を交わしたって、なんの実りもない。
「…じゃ、帰るか?そろそろ」
振り返って笑った。優しい気持ちではなく放り捨てるような気持ちで。ツブホタルだってこんな気持ちで見ててほしくねえだろう。ごめんな。せっかくこんな綺麗に光ってくれてるのに。
「……んだよ、さっきから胸糞悪ぃなお前」
「あ、そう」
舌打ちがひとつ聞こえて、そうそう、それだよと心の中で頷いた。
そうだよサンジ、俺のことなんかほっときゃいい。楽しくねえだろ?一緒にいてもなんもいいことないだろ?だからもういいよ。今まで気ぃ遣わせて悪かったな、もう明日からは一切同情なんてしてくれなくていい。
俺にはもうないんだ。サンジと同じ顔をしたお前のことを自然に、笑顔で突っぱねる元気が。もう、残ってない。
…会いたい。お前といると会いたくなるから、だから、お前と一緒にいたくない。
「…俺にも俺の気持ちってもんがあんだよ。分かってねえだろテメェ」
サンジが胸ポケットの一箱から一本取り出して咥える。海風に煽られてライターの火はなかなか点かなかった。お前はまた舌打ちをした。
「テメェと…普通にもっと、こう、話してみてえと思ってんだよ俺は」
「…へえ」
「知らねえんだから当然だろ、知りてえと思うのは。昔のテメェと俺にどんだけ大層な思い出があんのか分かんねえけどよ。…んな冷たくするこたねえだろうが」
「…ふうん」
「なんなんだよそっちからも歩み寄れよクソ面倒臭え。ハナから他人だったみてえに壁作りやがって。なにか?忘れてごめんって土下座でもすりゃ良いのか?すいません何も覚えてませんつって」
「…別にぃ…?」
「っち、点かねえクソ」
サンジが何回、何十回とライターのヤスリを回して苛立ちを募らせた。ライターを軽く振ってまた懲りずにトライする。
いい加減諦めりゃいいのにさ。もういいやって。…俺みたいに、諦めちゃえよ。
「…何してんのお前」
ヤスリの音がしつこく聞こえるから俺は呆れて、ライターを握る手を風から守るように、両手を添えてやる。三つの手の中でやっと火がついて、サンジのタバコの先端が赤く燃えた。
うんざりするなぁ。お前に会いたい。…うんざりするなぁ。
「…悪い」
「いいえ」
「悪い。今の嘘」
「いいえ」
「ごめんウソップ」
「……」
口の端が震えた。お前に会いたい。やだなぁもう諦めて蓋したのに。やっと慣れてきたのに。
おんなじ顔で俺を見るなよ、おんなじ声で俺を呼ぶなよ、会いたくなるだろ、もう、やめてくれよ。

「…ごめんな、ウソップ」
その時お前の全部がそのまま、俺の知ってるサンジと丸ごと全部重なった。ピッタリおんなじ図形は綺麗に重なって、いよいよ境界線が、消えてしまった。

「…サンジと見たかったよ、俺」
呟いた声が自分の発したものだとすぐには気づけなかった。気づいたらその途端、どうしようもなくなってしまった。ああ、いっそホントに入水しちまいたい。
バカだな、言ったって何にもならないことは、絶対口にしたらいけないのに。

「……サンジと、見たかった」
「…そうかよ」
「…サンジとここに来たかった…」
「…まあそりゃ、そうだよな」
「サンジと…見たかった。サンジと来て、くだらないこと話して、クソ綺麗だなってサンジが言って」
「ああ」
「そんで俺が…綺麗にクソを付けるなバカタレって小突いて、サンジがそれに笑って、二人で一緒に笑って…」
「…うん」
「サンジと、笑って…っ…見たかったよ…」
「うん」
お前の手が俺の背中をさする。優しい手のひらに、涙が押し出されてしまった。

お前じゃないのに。だけどこの手のひらを俺は知ってる。悔しいよ、お前はきっと俺の背中の感触を知らないのに。だけど俺だけが、全部を知っている。

「……サンジに会いたい…」

一回漏れてしまったらもうダメだ。途中で止めることは叶わない。
俺の知ってるサンジじゃないのに。俺の会いたいサンジじゃないのに。だけど手があったかいんだ。イヤだよ。触らないでくれ。壁作ってごめん。普通に接してやれなくてごめん。自分のことばっかりで、上手くやれないで、本当にごめん。
でもさ、だけどさ、お願いだから触らないでくれ。頼むよ。

しゃくり上げてたら、男は背中をさする代わりに両腕全部を使って俺を抱きしめた。

「…どの口がって、お前は思うかもしんねえけど」
咥えタバコの煙が耳元から鼻先まで泳いでやってくる。匂いまで一緒で、これじゃあどこにも逃げ場がねえじゃねえかと思った。
「そんな辛いならさ、溜めねえでちゃんと吐けよ。…俺の胸貸すから」
「…うぇっ…」
「…ごめんなウソップ。忘れてごめん」
ホントにどの口が。どの口がそんなことを言うんだよバカ野郎、アホコック、グルグル眉毛、クソったれ…。
だけど俺もバカ野郎だ。抱きしめられて嬉しいとか思ってる。懐かしいとか思ってるんだ、大バカヤロウだよ。

俺の背中の後ろで灰を落として、お前はまた俺を抱きしめ直した。
ふと、疑問に思う。俺の会いたいサンジとは違うこのサンジは、いま俺をどんな気持ちで抱きしめているんだろう。
同情かな。憐れみかな。クソ可哀想な奴って思って、仕方なく抱きしめてくれてんのかな。
…そうだとしたら、きっとお前だって可哀想だ。知らない奴に泣かれて訳のわかんねえことを言われて、でも反論したい気持ちをグッと堪えて、好きでもなんでもない男の体を、黙って抱きしめてる。

「…ごめん、いいよもう。…付き合わせて悪かった」
腕を伸ばして体を解いた。鼻を啜って目元を乱暴に拭いたら、お前が小さく「別に」と言った。
「悪くねえだろ、なんも」
「……」
サンジとおんなじようなこと言うんだな。もう一回鼻を啜りながらぼんやり思った。
でもそりゃそっか。俺のこと忘れちまった以外は、だって全部、お前なんだもんな。サンジとよく似た別人だと思い込むなんて、本当のところ無理がある。今更当たり前のことに気づいて、ちょっと笑ってしまった。
「…おん、なんだよ?なに笑ってんだ」
「……サンジみたいなこと言うなあって思っただけ」
俺がそう答えるとすぐさま「は?」と返ってきて、その声のふてぶてしさにまたちょっと笑った。ホント、よく似てる。双子みてえ。
「俺がサンジだっつんだよクソッ鼻」
「……うん」

顔を上げてお前の顔を見る。左目が時折、ツブホタルの黄緑色を映して小さく光る。

俺のことだけを知らないコイツにだって、どこにも行き場のない気持ちがきっとある。自分だけが知らない疎外感とか、思い出せと周りから何度も言われて膨れ上がる苛立ちとか、他にも焦燥感とか喪失感とか、なんかいろいろ、あるのかもしれない。
瞳の奥の光を見つめながら、また今更、そんな当たり前のことに気づいた。
…自分のことばっかでさ、お前自身の気持ちを無視してたんだな、俺。

「…ごめんな」
「あん?」
「ハナから赤の他人みたいにってヤツ。お前の言う通りだ、ホント」
「……」
「…やだったよな。今までごめん」
頭を下げて謝ると、目の前の男はそれからしばらくの間沈黙を貫いた。

「…あの…サンジ?」
「……テメェが何でアイツらにこんな肩持たれてんのか、よぉくわかった」
「あ?」
沈黙の間に一体どういうことを考えていたのかサッパリ分からなくて、俺は思わず首を傾げる。
サンジは吸いかけのタバコを人差し指と中指で挟み、その先端をまっすぐ俺に、まるで銃口のように向けた。

「クソが付くほどのお人好しだテメェは」

それからサンジは銃口を俺に向けたまま俯いて「は〜なるほど…なるほどなぁ…」とひとりごちてみせた。
「…えーと…え?急になに…」
状況がよく分からなくて質問しようとしたらタバコの先端をもう一度、今度はさっきよりビシッと強く鼻の真ん前に突き出されて「黙れ」と言われてしまった。…あ、はい。じゃあ黙ります。

「いいか。俺は一日でも早くテメェのことを思い出す」
「……」
「もう決めた。なにがなんでも全力で思い出す。だからテメェも全力で協力しろ。いいか分かったな」
「…え?いやえっと…え…別に全力出さなくてもい」
「うるせえ黙れっつってんだろクソッ鼻!!」
「ひえっ」
慌てて口を両手で抑えたが、サンジは余計に青筋を立てて俺を睨みつけてくるだけだった。な、なにをどうせいっちゅうんだよ。
「……黙ってんじゃねぇ!返事っ!!」
「は!?ちょ、言ってることメチャクチャじゃねえか!!なんなんだよお前!!」
「クソうるせえんだよハイかイエスで頷けこの野郎!!」
この世の理不尽をまとめて煮詰めたみたいなコイツのセリフに、俺の「頷けるかあ!!」というツッコミが夜の海の遠くまで響き渡る。

…ああそうだ、サンジって理不尽だったんだ。なんでかなぁ、すっかり忘れてたなぁ。