好きな人を紹介します。



「太一。今日と明日○○公園で催し物やってるみたいだぞ」

昨日の帰り、駅で貰ったパンフレットを見せながら、俺は太一に声をかけた。
○○公園とは二駅先にある、敷地の広い自然公園のことだ。この土日で出店が軒を連ねるらしい。公園内の広場に設置された舞台ではタイムテーブルが組まれ、様々な出し物が披露されるようだった。
太一は俺からパンフレットを受け取るとそれに目を通しながら「おお!面白そーっスね!」と楽しげに言った。

「もし暇ならこれから一緒に行ってみないか?去年もやってたんだけど、行けずじまいだったんだ」
「行く行く!俺っち超暇!」
顔をパッとこちらに上げて、太一は満面の笑顔で即答した。
「やったー!臣クンとお出かけ!楽しみっス!」
嬉しそうにそう言う太一に、すぐに言葉を返すことができなかった。
「…そうだな、俺も楽しみだ」
一拍置いてから笑い返すと、太一は「支度するっス!」と言ってテキパキと準備を始めた。
…今、言葉に詰まった理由は簡単だ。愛しさで、胸が溢れたから。

俺はずいぶん前から、彼のことが好きだ。



太一とは、良好な関係を築けていると我ながら思う。
言い争いをしたこともなければ衝突をしたこともない。万里と十座のように、ぶつかり合って深まっていく絆もとても良いものだと思う。けれど太一と俺はそういった積み重ね方をした事がない。
俺が思ったままの言葉を発すれば、太一も素直な言葉を返してくれる。そこにはひずみが、まるで生まれないのだ。笑顔を見せれば、当たり前のように笑顔が返ってくる。
太一の笑顔を、いつも心から可愛いと思う。屈託がなくて真っ直ぐで、その眩しさはこの胸の真ん中にすっと届くのだ。

以前太一が何かの折に「俺、臣クンといると楽しくて、幸せっス」と、相変わらず可愛い笑顔で言ってくれたことがあった。
その時から俺は、この想いを「伝えたい」と思うようになってしまった。
…伝えてみたい。もしかしたら頷いてくれるかもしれない。俺の大好きな笑顔で「うん」と、答えてくれるかもしれない。

同じ劇団で、同じ寮で、しかも同室。言える瞬間は今までいくらでもあった。それでも今日まで言わないできたのは「もしもこの関係が壊れてしまったら」という不安も、拭いきれなかったからだ。
有り余るほど幸せで暖かいこの日々を、自分から失うようなことはしたくない。もう少しだけ、確信を持ちたい。「間違いない」と思いたい。約束された答えを知ってから、伝えたい。

…太一を好きになってから、自分は人並み以上に臆病で狡いところがあるのだと知った。
電車のドアの向こう、流れる景色の中に薄く映る自分を見つめながらそんな事を考える。

「臣クン!最初に出店で食べ物買っていーっスか!?」
俺の隣に立っていた太一がそう話しかけてきたので、慌てて思考を巡らせるのをやめた。
「ああ、もちろん」
「やったー!腹減っちゃったー俺」
太一は腹をさすりながら楽しそうに言った。その言動一つ一つにも、愛しさがこみ上げてしまう。

「…臣クン、なんか考えごとしてた?」
少し時間を置いてから太一が尋ねてきた。彼は時々ドキリとしてしまう程、こちらをよく見ている事がある。
首からぶら下げているカメラのストラップ部分を意味もなくなぞりながら、なんと言って誤魔化そうかと考えた。
「いや…どんな出店があるかなあと思って」
「絶対ウソ!俺っち分かるからね〜、臣クンがウソついた時」
目を細めながらこちらを見つめてくるので、苦笑しながら頭を撫でた。
「はは、太一には敵わないな」
「そうやってはぐらかすのも臣クンのお決まりの流れっスよね」
「…太一のこと考えてたんだよ」
「はいウソっス!」
「本当だって。色々振り返っててさ。やっぱり太一は可愛いなあと思ってたんだ」
…今の言葉は、意図しながら言った。太一がどういう反応をするか伺いたくて、わざと発した言葉だ。自分のこういうところが狡いと思う。
「…その、可愛いっていうやつ…」
「ん?」
「臣クンに言われると、困るっス」
俯いてしまった彼を見て、ああやっぱりもしかしたら、と思えた。

太一、好きだよ。俺はだいぶ前からお前のことが好きで仕方ないんだ。
言ってもいいかな。困らせたりしないかな。
なあ太一。そんな仕草を全て独り占めしたいと思ってしまうくらいには、俺は、お前のことが。

目的の駅に着き、太一は慌てて「臣クン!いこ!」と顔を上げた。
そんなに急がなくても、と笑うと「食べたいやつ完売しちゃうかもしれないじゃないっスか!」とたしなめられる。
早足になる太一に引っ張られるようにして、俺も少しだけ歩を速めた。

催し物は思っていたより賑わっていた。なるほど確かに、これなら太一の言うように人気メニューが完売してもおかしくないかもしれない。
家族連れが多い印象だ。みな楽しそうに過ごしていた。その景色の中で太一も元気にはしゃいでいる。

「臣クン臣クン!あっち!ホットドッグ!」
「ほんとだ」
「早く!」
「はは、わかったわかった」
腕を引っ張られる。無邪気な太一の後ろ姿を眺めながら、口元が緩んだ。
太一といると楽しくて幸せなのは、俺の方なんだけどなあ。

太一はホットドッグとコーラを、俺はハンバーガーとお茶を買った。
「どこで食べるっスか?」
「うーんと、あの辺りのベンチに座るか」
「了解っス!」
頷いた後すぐさまそちらへ向かい、空いているベンチに早々に座った太一が、俺を手招いた。
「臣クン!食べよう!」
「ああ」
少し遅れて隣に腰掛けると、太一は既に包装紙からホットドッグを半分ほど引っ張り出していた。
「よし、食べよう」
「うん!いっただきます!」
俺が重ねていただきますを言い終わる前に、太一は豪快な一口目を口の中に収め終えていた。随分と美味そうに食べている。お腹が空いていたのか、絶品なのか。きっと両方なんだろう。

「美味いっス!!」
そう言って、口の周りに少しついたケチャップとマスタードを、太一は乱暴に親指で拭った。子供のような無邪気さに、思わず心が和む。
「あはは」
「え、なんスか急に!」
「いや、ごめんごめん。可愛いなと思って」
「…だ〜か〜ら〜…」
「あ、また言っちゃったな、ごめん」
「…ごめんって思ってないでしょ…まあ、いいっスけど…」
視線をホットドッグに戻してから、太一は二口目を口に運んだ。
その横顔からは、真意は汲み取れない。拗ねているようにも見えるし、嬉しさを噛み殺してるようにも見える。はたまた、目の前の食べ物の味に、純粋に集中しているようにも見えた。
答えを知りたくてつい聞いてしまいそうになったので、俺は口を開く代わりに、太一に向かってカメラのシャッターを押した。
「あ!」
「うん。良いのが撮れた」
太一は今度こそ怒った顔をしてみせた。
「こんな至近距離で不意打ちは卑怯っス!」
「うん、でもほんとに今のはよく撮れたぞ?」
「ちょっと!撮れたぞ?じゃないっスよ!」
「あはは、ごめんごめん」
「だからー!臣クン悪いと思ってないでしょ!?」
「さっきは「まあいいっスけど」って言ってくれたじゃないか」
「それとこれとは別だから!!」
未だ抗議を訴えてくる相手の頭を撫でて俺はハンバーガーを頬張る。パティに胡椒が強めに効いていて、予想していたより美味い。

「臣クンはさぁ〜…ほんとズルいよ…たまにわざとやってるでしょ…」
太一が、先ほどよりゆっくりと咀嚼しながら呟いた。
「うん?」
「…なんでもないっス」
それから食べ終えるまで、太一はろくに会話をしてくれなかった。

食後、公園の中をブラブラと並んで歩いた。次の公演のことや晩御飯のメニューのこと、太一の学校での話。
並んで歩きながら、俺は何度かシャッターを押した。カメラの向こうに写る太一は、どれも愛しい表情をしていた。
撮った写真を見返せば見返すほど、これが俺の好きな人なのだと、何度も再確認する。

「あの展望台、登ってみるか」
途中で見つけた展望台を指差して、太一に声をかけた。
「うん!」
ゆっくりと夕暮れが訪れている。きっと頂上から見る景色は今、オレンジ色に染まってさぞ綺麗だろう。
先に階段を登る太一の背中を見上げながら、どうしよう、と考える。
伝えてしまいそうだったから。俺は、この想いを今すぐにでも。
好きだという想いは、毎秒ごと降り積もる。

「うわぁ臣クン!すごいっスよ!」
展望台の頂上に登りきった太一が感嘆の声をあげた。
追いかけるようにして俺もその景色を視界に収める。夕焼けが緑を優しく染め上げている。この一瞬を永遠に留めておきたくなるほど、美しい光景だった。

「キレーだね臣クン!」
「ああ、綺麗だな」
夕暮れの中で咲く太一の笑顔を収めるべくカメラを構える。すると太一が「ピース!」と言いながらポーズを取ってくれた。
「うん、良いのが撮れた」
「見して見して!」
手すりに背中を預けて、太一と肩を寄せ合いながらカメラの液晶パネルを操作した。
「今日も結構撮ってたんスね!気づかなかった!」
「うん、せっかく普段はあんまり来ない場所に来てるからな」
「前のやつも見て平気っスか?」 
「もちろん」
太一は俺の返事を聞いた後、今日よりもっと前に撮った写真のデータも遡って見ていた。

「…ねえねえ、臣クンってさぁ」
「うん?」
「写真撮ってる時って、どんな事考えながら撮ってるんスか?」
液晶パネルに視線を向けたまま、太一はそう質問する。
写真の中のモデルやモチーフにではなく、撮影している俺に対しての質問だったので、少し不思議に思った。
「うーんと…気になるか?そんなこと」
首を傾げて聞くと、勢いよく顔を上げた太一は「当たり前じゃん!」と言った。
「だって臣クンの事は何でも知りたいよ俺!」
「…」
太一は数秒後、少し顔を赤らめて「いや、えっと、今のは!」と続けた。
「違くて!臣クンのこと聞くのは、その…モテへの近道っスから!!」

太一の赤い髪が、染まった頬が、夕日に照らされて綺麗だ。
なあ太一。好きだよ。伝えたい。
さっきから俺の頭の中を駆け巡るのは、そればかりだ。

「…好きな人のことを、いつも考えてる」
「……え?」
「この写真も、この日も、この時の写真も、いつだって好きな人のこと考えながらシャッターを押してる」
俺は液晶に写る写真をスライドさせながら言った。

いつだって、太一を思い描いてる。
太一がいない場面でだって、今ここにいたらどんな顔をするだろうとか、この景色の中に太一がいたらとても映えるだろうなとか、一緒にこの光景を見たかったなとか、いつも、いつだって。

「………そ、そうなん、スか」
「…今日もだよ、太一」
「…え?」
太一の、揺らめく水面のような瞳を、真っ直ぐ見つめた。

「俺は今日だって、ずっと好きな人のことを想いながら写真を撮ってた」
そして、太一の手をそっと掴もうとした瞬間だった。
唐突に、カメラを突き返された。

「…もう、俺のこと撮るのは…やめてほしいっス」
想像もしていなかった言葉に、俺は瞬きをするのも忘れる。
「…太一?」
「…だって、そんなの聞いちゃったら、俺もう笑えないよ」
そう言いながら太一は笑っていた。でもそれはいつもの笑顔とはまるで違う。引きつっているような、張り詰めているような表情だったのだ。
「教えてくれてありがと。もう、なんも聞かないから、なんも言わなくていーっス」
「…」
それらの言葉の意味を正確に受け止められたのは、しばらくして太一が「帰ろっか!」と言ってからだった。

ああ、そうか。
端的に言うと、俺は振られてしまったのだ。
それどころか俺の好意は、太一には迷惑なものだったに違いない。「聞きたくなかった」「なに言っちゃってんスか」「やめてよ臣クン」…。そういった言葉の数々が、先ほどの太一の態度から、溢れ出ていた。

伝えたことを死ぬほど後悔した。
どうして言ってしまったのだろう。好きな人の笑顔を曇らせてまで、俺はなぜ自分の感情を優先してしまったのだろう。
淡い期待もすべて、的外れもいいところだったのだ。独りよがりな思い込みが重なってしまった。俺は馬鹿だ。
太一の返事の内容そのものが悲しい、というのも勿論あったが、それ以上に自分に腹が立った。
聞きたくなかっただろうに。知らない方が何倍もマシだったろうに。同じ劇団員で、同じ寮で暮らしていて、ましてや俺たちは、同じ部屋で生活をしている。
これから一体どれだけ、やりづらい思いをさせてしまうことだろう。

「…太一ごめんな」
帰路を辿る途中、少し前を歩く背中に言った。それだけ言うのがやっとだった。
「やだな、謝んないでよ臣クン…俺っちも、ごめんね」
太一の「ごめんね」が、心臓の奥に刺さって痛い。
「応えられなくてごめんね」
「うまくやれなくてごめんね」
「勘違いさせてごめんね」
どれもその一言の中に、きっと込められている。
謝ることないよ太一。お前が謝ることは、一つもないんだ。










×××××××××××××××××










それから一週間と少しが経った。
太一はいつも通りに過ごしていた。俺にも今までと変わらず接してくれている。何かが決定的に変わってしまうだろうなと恐れていたが、俺の不安は思い過ごしに終わった。
太一が笑ってくれる時は、俺も笑い返した。冗談も言い合うし、時たま夕飯のメニューのリクエストもされ、これまでとなんら変わりない毎日を送っている。

ただ、もう頭を撫でるのはやめた。稽古以外で体に触れるのも、極力しないようにした。
その変化に太一が気づいているかは分からないが、とにかく少しでも不快な思いはさせないように、注意しながら振る舞った。
誰かに何かを勘づかれることは一度もなかった。俺も太一も、きちんと演じられているということなんだろう。今までの演劇の経験が、こんなところで活きるとは思わなかった。
…思っていたよりずっと上手くやれている。

あの日から俺のカメラに、好きな人が写ることはなくなった。





「あの、話があるんっスけど」

寮に帰宅してすぐ、部屋で荷物を片付けていたらいつの間に俺の背後に太一が立っていた。
振り返ると、普段とは違う神妙な面持ちをしている。
俺をじっと見つめ、俺の反応を待っているようだ。
「…うん、なんだ?」
努めて穏やかに返したが、俺はどうしようもなく嫌な予感がしていた。

「…あの…あのね、臣クン」
目の前の太一の様子から続く言葉を予想する。できるだけ最悪のものから順番に。
そうすることで少しでも、言われる衝撃が和らげばと思ったのだ。俺はつくづく臆病だ。
例えば「この劇団やめるっス」。それとも「やめてくれないっスか?」だろうか。いや「部屋割り変えてもらわないっスか?」かもしれない。
考えながら続きを待つ時間はあまりに苦しく、胸が潰されるようだった。
…けれど。

「………俺っち、平気だから…また頭撫でたり、してくれないっスか…」

太一の発した言葉は、俺が予想していたものとはかけ離れていた。

「…臣クンがさ!いろんなこと考えて、俺っちの為にそうしてくれてるんだろーなってことは、もちろん、わかるっス!わかるけどさ、でも…でもさあ…」
太一が笑顔だったのはここまでだった。
そのあとは止めどなく涙が、太一の両頬を何度も滑り落ちていく。
「さ、淋しいよ…俺、臣クンに撫でてもらうの大好きだったから…だから、たまにでいいから、気が向いた時だけでいいから…前みたいに、触ってほしいっス…」
「……太一」
「俺大丈夫だよっ…勘違いしたりしないよ、臣クンが俺のこと好きじゃなくても、違う誰かを想いながらでも、カメラ向けてくれたら…俺、ちゃんと笑うから…っ…」
「………」
「す、好きだよ臣クン…っ…泣くのはこれで最後にするからっ…」

………ああ、そうか。そうだったんだ。
ボタンはずっと掛け違えられていたんだと気付く。それに気づいた瞬間、自分の愚かさに呆れ苦笑してしまった。

俺はあの時「好きな人を想いながら」としか言わなかったのだ。それが誰であるかを、言葉にして伝えていなかった。
太一はその言葉を「自分以外の誰か」だという意味で受け取ったのだろう。思い返せば確かに、そうとられても仕方のない台詞だったかもしれない。
そしてあの時太一は「もう撮らないでほしい」と言った。「もう笑えないよ」と。
それはつまり、俺の想いを拒否する意味ではなくて、嫌悪や拒絶ではなくて、むしろ、その逆の。

…なあ太一。今言ってくれた言葉が、今流してくれている涙が、こんなに嬉しいなんて。ああ、本当にどうしよう。ごめんな。

今からちゃんと伝えるから。

「…太一」
放たれた俺の言葉に、太一がギクリと体を揺らす。
「…な、なんスか…」
「俺の好きな人を、紹介してもいいか?」
「………」
太一は流れる涙もそのままにしてこちらを見つめる。
「……お…臣クンが…そうしたいなら…」
弱々しい声でそれだけ言って、太一はまた俯いてしまった。
ここで太一がこういう反応をするのは当たり前だ。それが分かっている俺はすぐにベッドの上に置いていたカメラを手に取った。
「…臣クン?」
「ここに写ってるんだ」
カメラの液晶パネルを操作しながら伝える。
あの日、夕焼けをバックに大好きな笑顔で笑ってくれた太一の写真を、写っている本人に見せた。
「…?」
太一は液晶を覗き込みながら眉をひそめた。
画面を隅々まで見ているのだろう瞳が、キョロキョロ忙しなく動いている。
自分以外の誰かが写っているとでも思ったのだろうか。
ああもう、本当に。

「太一だよ」
「え」
「俺の好きな人は、太一なんだ」
「…」
ゆっくりと顔を上げた太一は、まさに「目が点」状態だった。

「…え、う、嘘っス!だって臣クンあの時…」
「嘘な訳ないだろ。俺はいつも太一を想いながらシャッターを押してる」
「そ、そん、そんなわけ」
「太一こそあんな言い方して。俺はてっきり振られたんだと」
「はっ!?俺っちが臣クンのこと振るわけないじゃないっスか!!」
太一の張り上げた言葉に、胸がジワジワと熱くなっていく。
「…そのセリフは、俺もそのまま返すよ」
笑って言うと、太一の顔はみるみる赤くなる。
…かわいいなあと心底思った。ここでカメラを向けたらさすがに本気で怒られてしまうだろうか。

しばらく沈黙が続いた後、太一が先にそれを破った。
「………え、ど、どーしよ…」
頭を抱えて、両方の手で髪の毛をクシャリと掴み、小さな声で、そう零す。
「うん?」
「…臣クンの好きな人って、俺なの…?」

自分の髪を掴みながら震えている両手に、それはそれはもう、愛しさが溢れてしまって。
その体ごと、思いきり強く抱きしめた。

驚いたのか石のように固くなる太一の耳元で「そうだよ」と答えたら「うわあ!」と叫ばれてしまった。
「み、耳は!ダメっス!」
…ああ、愛しくて、可愛くて、いじらしくて。一体どこまで好きになれば良いのだろう。
笑いながら彼の全てを腕の中で独り占めした。
しばらくしてから、おずおずと腰のあたりに手が回されたのを感じた。またジワリと、愛しさが浸透していく。

「…紛らわしい言い方してごめんな。まさかこんな風に伝わってたなんて思わなかった」
「…俺っちも、あの…思い込んじゃって…ごめんなさい」
「いや、いいんだ。誤解が解けてよかった」
腕の力を少し緩めると、太一はゆっくりと顔を上げて俺を見つめた。
「……あのね」
「ん?」
「臣クン、俺っちのこと好きだったらいいなってずっと思ってたんだ。勘違いしそうに何回もなって、でもその度に勘違いじゃないかも、とも思って」
「うん」
「だからあの時…臣クンに、他に好きな人がいるんだって思った時、自分が恥ずかしくなった。…俺っち態度できっとダダ漏れだったから、だから臣クン、牽制のつもりでああ言ったんだなって思って…」
「…そうだったのか」
「それがメチャクチャ悲しくて…だから、もう言わなくていいみたいなこと、言っちゃったんっス。…臣クン、ごめんね」
あの時の心情を知り胸が軋んだ。俺のせいでそんなに悲しませていただなんて思いもよらなかった。
太一が謝ることなど、何一つないのに。

「もう二度と、そんな悲しい思いさせないから」
太一の頬を包んで、その瞳を真っ直ぐ見つめた。
「…好きだよ太一」
「………う、うん…」
そのまま耳やうなじ辺りを撫でるように触っていたら、次第に太一はふるふると震えだしてしまった。
「…お、お、臣クン」
「うん?」
「む、無理っス…!」
「…うん?」
「こんな急に、いっぱい触られたらっ…お、俺…!」
「…」
耳まで赤く染め、声を震わせている。

この愛しい人が俺を好きだと言う。そして今こんなにもすぐそばにいる。
その奇跡に、急に胸が高鳴り始めた。

「…キスしてもいいかな、太一」
「…へっ!?」
「どうしよう、俺もどきどきしてきた」
「お、臣クン…?」
「太一が俺のこと好きなのが、夢みたいだ」
太一の手を取りその甲に唇を落とすと、太一ははっきりわかるほど大きく肩をあげて反応した。
唇を押し当てたまま顔を見上げる。
すると、今まで見たことのない表情をした彼が、そこにいた。
「…臣クン…」
名前を呼ばれただけで何故だかたまらなくなり、ひどく興奮した。

返事を待てず、今度は太一の左頬にキスをする。
一瞬だけ固く目を閉じた太一はその後ゆっくりと瞼を上げてこちらを見た。
「…俺も、臣クンとキスしたい…っス」
「…ああ」
後頭部に手を回すと、太一はまた目を瞑った。俺の服の裾を遠慮がちに掴んでいるのがたまらなく愛おしい。

ゆっくりと唇を押し当てる。
太一とのキスは想像の何倍も気持ちよく、そして全身が幸せで満たされた。
角度を変え、その唇に何度もキスをする。
緊張しているのか必要以上に体を固くしている太一に、大丈夫だと言い聞かすように頭を撫でると、少しだけ呼吸が柔らかくなったのでほっとした。
「……っ…」
声になる手前の吐息が聞こえる。
このまま押し倒してしまいたくなる衝動を抑えて、一度唇を強く押し当ててから離した。

「…臣クン、お、俺…」
「…ん?」
「どーしよう…大好き…」
泣き出しそうな顔でそんな台詞を言われたものだから、たまらない。理性がグラグラと崩れそうになるのを感じた。
いつか、こんな事を頭の片隅で考える余裕さえ消えて、欲望のまま太一を抱いてしまうのではと考えて自分が怖くなった。
その未来は意外とすぐそこまで来ているのかもしれない。だって今でさえ、こんなに自制するのが大変なのだ。
「…大丈夫かな…」
「え?なに?」
「いや、はは…なんでもない…」
「…」
何かを隠されたのでは、と思ったのか、太一は不安そうに俺の顔を覗き込んだ。
「…太一のこと考えてたんだよ」
「ほんとっスか…?」
「ああ。もっとすごいことしたらどうなるかなあって」
「…も、もっとスゴイコト…!?」
あまりに分かりやすく顔を赤らめるので、いけないと思いながらもついからかいたくなってしまった。

「今、どんなこと想像したんだ?」
何食わぬ顔をして尋ねると「えっ!?…いやなんも想像してないっス!」と早口に答え、首をブンブン横に振る。
「はは。太一はやらしいなあ」
「!!?そ、そんなことないっス!!」
「大丈夫。そんな太一も俺は好きだ」
「〜…っ!臣クン!!さっきから俺っちのことからかってるでしょ!?」
「あはは」
「あははじゃないっス!!」

胸の辺りを数回ポカポカと叩かれ、その行動すら可愛くてまた抱き締める。
耳元で「かわいい」と伝えると、途端に太一はおとなしくなった。
抱き締めているから顔は見えないけれど、じわりと赤く染まる耳先のおかげで今どんな気持ちでいるのかを想像できた。

「臣クン、さっきからずっとズルい…」
「…ずるい俺は嫌い?」
覗くと、太一は困ったような顔をしている。
そして少し間を空けてから、彼はそっと俺の問いに答えてくれた。
「………好きっス…」

俺は、胸から溢れる愛しさを止められないまま、太一にもう一度キスをした。
ああ、まいったなあ。自分の理性のあてにならなさが、今日だけでよく分かってしまった。
困ったなという気持ちと、その何百倍もの幸福を抱えながら、好きな人とのキスを俺は何度も重ねる。





明日から俺のカメラには、きっとまた好きな人が写るのだろう。
今までよりもっと、数え切れないほど、幸せで大切なーーー…。