世界は二人だけのもの!



やっと、やっと、電車で20分で行ける街に大型ショッピングモールができた。
街中のポスターやテレビCMを見ていたから、実はだいぶ前からそのことは知っていたんだけど、こんなに完成を心待ちにしていた人はもしかしたら俺くらいなんじゃないかと思う。
なんでかって言うと、テナントの中には大型スポーツ用品店(スケボーが沢山置いてある!)と、俺の好きなハンバーガー屋(今まで電車乗り換えないと行けなかった!)と、俺の好きな服のショップ(県内ではまだ二店舗目!)が入っていたから。
一つの場所に俺の行きたいお店がこんなに集結してるなんて、なんかすげえ!奇跡だ!と思った。

俺が丸一日空いてるのは明日の土曜日。明日は学校もないし秋組の稽古も特にない日だ。
もうこんなの行くっきゃないし、例え誰かに止められたとしても俺は必ず何がなんでも100パーセントどうやったって絶対に行くと心に決めてる。
…で、誰と行きたいかって、そんなの決まってるじゃないッスか!!!



その夜、夕飯後にキッチンで洗い物をしている臣クンの所へ駆け寄った。
「手伝うッス!」と腕まくりをしながら言ったら、臣クンはにっこりと笑って「ありがとう、頼んだ」と返してくれた。
「このフライパンの焦げ付きがなかなか取れなくてさ。時間かかってたんだ、助かるよ」
大物と格闘している臣クンの隣で、俺は洗い終わった食器を拭く作業を進める。
「年季入ったフライパンッスね、新調した方がいいんじゃないッスか?」
「うーん…そうだなあ。ほんとはな、鍋も大皿も買い足したいものだらけなんだ。近々食器屋でも覗いてみるかな」
臣クンの言葉にハッとした。
ショッピングモールの店舗の中に、キッチン用品専門の店があったのを思い出したのだ。えーとほらなんだっけ、よく名前聞くとこ。ナントカカントカって。

「臣クン!」
俺の突然の呼びかけに、臣クンは少し驚いてから首を傾げて「ん?」と微笑んだ。
「臣クン明日ヒマ!?」
「ああ、明日は特に用事はないが…」
その言葉に内心ガッツポーズをする。俺ははやる気持ちを抑えきれず、いつもよりずっと早口で誘いの言葉を唱えた。
「あのね俺っちも明日ヒマなんだけど!良かったら臣クン一緒に◯◯駅のそばにできたショッピングモール行かないッスか!?キッチン用品のお店も入ってるんスよ!」
金タワシでフライパンの縁を擦っていた手を止め、臣クンは嬉しそうに笑った。
「いいな。行こうか」
臣クンの回答に目の前がブワッと明るくなる。やった、2人でお出掛けだ!
「ほんと!?何時に行く!?昼は向こうで食べるッスよね!俺っち何着てこーかな!」
ワクワクしながら言うと、臣クンは顎に手を当てて数秒考えるような顔をしてみせた。
「臣クン?」
「…せっかくだから、駅で待ち合わせにするか」
臣クンの提案に俺は首をかしげる。だって朝は一緒に起きて、その後一緒に支度して、一緒に寮を出るんだとばかり思っていたからだ。
「待ち合わせ?ッスか?」
「ああ。その方がデートみたいで、なんかワクワクしないか?」
ニヒ、と笑う臣クンに俺はいとも簡単に釘付けになる。時たましてくれる臣クンのイタズラっぽいこの笑い方が俺は大好きだ。他のももちろん全部大好きなんだけど。

「…う、うッス、了解したッス」
駅で臣クンを待つ自分を、はたまた俺を待つ臣クンの立ち姿を想像して、なんだか無性にドキドキしてしまった。だってなんか、なんか、本当にデートみたいだ。
「太一?」
妙なところで動揺してしまったのでそれを悟られないようにって俯いたけど、結局その行動自体が臣クンには不自然に見えたみたいだ。顔を覗きこまれてしまった。
「…いや、うん!なんでもないッス!じゃあ後で待ち合わせの時間決めよ!」
明るく振る舞うと、笑顔に戻った臣クンが「ああ、そうしよう」と頷いてくれた。

その夜、臣クンと部屋に戻ってから待ち合わせの時間を決めたり行きたい店のことを話した。そして「おやすみ」と声をかけあってから数十分。…ああどうしよう。楽しみでなかなか眠れない。
思えば臣クンと付き合うようになってから2人でお出かけって初めてじゃなかったかな。…え、初めてか。うわ緊張する。
だってこれ正真正銘デートだ。そうだよ、デートだ。その単語で頭の中がいっぱいになってしまって、思わずベッドの中で一人鼻息が荒くなる。
明日はどんな一日になるだろう。ああ何を着ていこう。楽しみだな、でもはしゃぎ過ぎて空回りしないように気をつけよう。臣クンも楽しんでくれるといいな。笑った顔たくさん見れたらいいな。楽しい一日になったらいいな。



翌朝。
枕元に置いていたスマホのアラームで起きると、臣クンはもう部屋にいなかった。あくびしながらハシゴを降りて、ふと気づく。テーブルの上に臣クンの書いた置き手紙があったのだ。
『太一おはよう。用事があったから先に出てる。待ち合わせには間に合うから駅で待ってて。また後で』
手紙の最後には『朝ごはん作っておいたぞ』の言葉と共に、サンドイッチの絵が添えられていた。
「うわ、かわいい…」
朝一から俺の胸を鷲掴みにしてくるんだからたまったものじゃない。
なんでこの人は、あんなにカッコいいのにこんな可愛いんだろう。カッコいいと可愛いって矛盾してないんだなぁって、臣クンを見てて初めてわかった。両方兼ね備えてる臣クンは最強で、向かうところ敵なしだと思う。

着ていく服は悩んで悩んで悩み抜いて、なんとか決めることができた。
深いカーキ色のパーカーと、その上に幾何学模様のカラフルなニットカーディガンを着た。ボトムスは黒のサルエルとスキニーのどちらにしようか心底迷って、結局どちらにしようかな神様の言う通りで決めた。結果、スキニーパンツに軍配が上がった。それからこの前買ったキャップを頭に被って、同じ色のスニーカーを合わせる予定だ。
ピアスもつけたし、黒のマスクも耳にかけたし、ネックレスも首から下げた。洗面所の鏡で髪の毛をバッチリ整えて、我ながら思う。今日の俺は完璧だ。
談話室で臣クンのサンドイッチを食べる。急いで食べるには勿体ないくらい美味しいから、ゆっくりよく噛んで味わった。臣クンの作るたまごサンドは魔法の味がする。
何人かに「気合い入ってるね」と言われたので、俺は不敵に笑って親指を立てた。
当たり前じゃないッスか。だってこれから大好きな人とデートするんスよ!

キャップの色とお揃いのスニーカーを履いてしっかり靴紐を結ぶ。「行ってきます!」と大きな声で言ってから、俺は寮の扉を開けた。

駅までの道のりは十分ちょっとだけど、心なしかいつもより早歩きになっていたみたいだ。予定より数分早く到着した。
ドキドキしながら辺りを見渡すが、臣クンはまだ来ていないようだ。
「…はー…緊張する…」
キャップを一回外して、別に暑くもないのにパタパタと団扇みたいに仰ぐ。
この辺で待ってたら分かりやすいかな。券売機の手前の通路、両側にある大きな柱の一つに寄りかかって俺は臣クンを待った。
臣クンどんな格好で来るかなあ。今日もカッコいいんだろうなあ。電車の中では何話そう。どの店から回るか一緒に話せばいっか。でもそういうのってちゃんと決めても結局その場の流れで変わっちゃったりするしな。目的地着いたらガイドの冊子見ながら回ればいいよね。ああ臣クンどんな格好で来るんだろう。いやこれさっきも思ったな俺。
とにかく俺はすごくソワソワしていた。どうしよう、待ち合わせってこんなドキドキするものなんだ。同じ屋根の下で暮らしてる俺たちには、だってこんな手順は必要ない。ああそうか、だからこそドキドキするんだ。
臣クンが笑顔で「太一」って言いながら駆け寄ってくるところを想像して、俺は何故だか思い切り赤面してしまった。なんかなんか、カップルって感じだ。

ふとスマホに表示された時刻を見る。ちょうど待ち合わせ時間になったところだったのだけど、俺がそれに気付くのと同じタイミングで、向こうからバイクの音が聞こえてきた。
あ、あれ臣クンが乗ってるバイクとよく似てる。もしかして同じやつかな。わー、乗ってる人も背丈が臣クンに似て…え、ま、ま、待って。
そのバイクは俺の目の前で止まり、響かせていたエンジン音もそれと同時に鳴り止んだ。
フルフェイスのヘルメットを被った長身の男がバイクから降りて、俺の前に立つ。

「太一おまたせ」
ヘルメットを外した臣クンがとびきりの笑顔でそう言うものだから、俺はもう開いた口が塞がらなかったしなんなら腰が抜けそうになっていた。

「せっかくだから驚かせようかと思ってさ。バイクで行こう太一」
「…お、お…臣ク~ン!」
ただでさえドキドキしてたのに、こんな、こんな…こんなかっこいい登場のされ方したら俺、どうすればいいんスか。
濃いマルーン色のライダースジャケットと黒いジーンズ姿の臣クンは、はっきり言って景色から浮くくらいカッコいい。ハイカットの革靴が鳴らす靴音にさえ俺は異様にドキドキしてしまうのだった。
「…ま、待って、直視できない」
「うん?」
「かっこよすぎて、ほんと待って、無理ッス」
片手で顔を隠して、反対の手を前に突き出す。待って待ってほんとに待って。どうしようこれ。やばいやばい。全然、心臓の音が静かにならない。
臣クンの笑い声がした。俺の言動がおかしかったのだろうか。…いやあの、笑ってる場合じゃないよ臣クン。
「あはは。でも太一もメチャクチャかっこいいぞ」
「いい、もう。そういうのいいから」
「本当だって。運転してる時にな、かなり遠くからでも太一のこと見つけられたんだ。かっこよすぎて目立ってたよ」
「それ言うなら臣クンだからマジで!」
指の隙間からチラリと臣クンを見る。ほらだって臣クンの周りにキラキラ見えるじゃん。後光さしてるじゃん。一人だけフルカラーハイビジョンみたいになってるじゃん。
どうしたらいいのか分からなくてそのままでいたら、不意に臣クンが俺の手を取って言った。
「デート行こう。太一」
ホントに嬉しそうに、楽しそうにそう言うから。俺、臣クンに心ぜんぶ丸ごと持ってかれちゃうんだよ、いつだってこんな風に。

バイクのシートの中からヘルメットと上着を取り出した臣クンはそれを俺に手渡した。早速装着して、俺はバイクの後ろに乗った。臣クンの体に腕を回して、ドキドキしながら冷たい空気を吸い込む。
臣クン、このためにわざわざ寮を早く出て、待ち合わせ時間までどこかで時間を潰してくれていたんだろうな。それにしたって登場の仕方がズルすぎる。ムックンに言ったら卒倒しちゃうんじゃないだろうか。
駆け抜ける街の景色と身体中にぶつかる風の感覚を、一つも取りこぼさないように俺は噛みしめる。こうして臣クンの後ろに乗るのは、異邦人公演前のあの時以来だ。ああ心臓が鳴り止まない。
大きな背中にしがみつきながら思う。臣クンが好きで仕方ないよ、俺。



20分ほどしてバイクは目的地に到着した。
出来立てホヤホヤの建物は実際に見るとメチャクチャ大きくて、しかもピカピカだ。目の前の光景に思わず心が躍る。
ショッピングモール専用の駐車場は満車に近くて、周囲を見渡すとかなりにぎやかだった。家族づれで来てる人たちや、友達同士、恋人同士で来てる人たちもいる。人がたくさんいると何だかそれだけでワクワクしてしまう俺は、臣クンから借りたヘルメットと上着を急いで脱いだ。
「デカイッス!」
「ほんとだなぁ」
「行こう臣クン!」
ヘルメットを脱ぎバイクの鍵をかけてから臣クンも頷く。俺たちはこうして、昼の少し前くらいの時間に建物内へ入った。

正面の入り口から入ると目の前に大きな吹き抜けがドーンと現れた。一番上の階までエスカレーターが折り重なり、たくさんの人が上へ下へと移動している。
エスカレーターの脇に各階のフロア案内板とガイドブックがあったので、人の隙間を縫って手を伸ばし、俺はそれを一冊手に入れた。
「臣クン!どっから見る!?」
数歩後ろにいた臣クンの元へ駆け寄って冊子を開いてみせる。
「どこからでも。太一が見たい店からでいいよ」
臣クンが笑って言うので、俺はお言葉に甘えてしまうことにした。マップを見ながら提案する。
「んと、そしたら、この階の奥に俺っちの好きな服屋さんあるから、そっから見てもいい?」
「ああもちろん。そうしよう」
臣クンは頷いて「こっちか?」と進行方向に向かって指をさす。
「うん!よっしゃー!行くッスよー!」
それから俺も冊子を後ろのポケットにしまって臣クンと並び歩き出した。

館内は予想通りどこもかしこもだいぶ混雑していたけれど、臣クンが頭一つぶん飛び出てるから見失うことはなさそうだ。というか見失うはずないのだ。何故なら一人だけフルカラーハイビジョンだから。
やっぱりカッコよすぎて周りからちょっと浮いてる臣クンを見上げて俺は思う。この人が俺の恋人って、なんかの手違いとかじゃないよね?いまだにちょくちょく疑わしくなってしまうし、こうやって寮の外で二人になると、余計不思議に思ってしまうのだ。
だって、こんなカッコいい人がさぁ…こうやって、俺の隣歩いてるってさぁ…。

「なんか、ちょっと緊張するなぁ」
臣クンが鼻の頭をかきながらポソリと言うので、俺は「ん?」と短く聞き返した。
「いや、今日の太一かっこいいからさ。並んで歩いてるだけでもどきどきするよ」
「…」
胸が詰まって、言葉が出てこなくなった。ねえ、こんなに周りに人がいるのになんで臣クンそういうこと言うの。
好きの気持ちで苦しくなって、どうしようもなく体に触れたくなって、俺は心底困った。

目的の服屋に到着し臣クンがあげた第一声は「太一がいっぱいいるなぁ」だった。どうやら置いてある服から店内のディスプレイから、いたるところから俺っぽさを感じたらしい。
「えへ、好きなんだここのブランド」
ちょっと照れながらそう返して、俺たちは店の中へと進んだ。
「すごい。どれ見ても太一が着てるところが浮かぶな」
臣クンがハンガーにかけられた服を見ながら呟く。なんだかこそばゆいけど、自分の好きな服を見て自分を連想してもらえるのは純粋に嬉しかった。

「臣クンは好きな服屋さんとかあるんスか?」
「俺は、うーん…そうだなあ、◯◯とかたまに見に行くかな」
「あー俺っちも覗くよ!サイズいっぱいあるからありがたいッスよね」
「うん。値段もそこまで高くないしな」
「合わせやすいアイテム多いのもいいッスよねぇ」
「そうだな。色のバリエーションも豊富だし」
会話をしているとふいに、臣クンが手に取った商品が目に止まる。それは黒いオーバーサイズのTシャツだった。生地の感じも襟の開き方も片袖のワンポイントのプリントも凄く好みだ。
「うわ、それいいな」
「ん?これか?」
「うん!ちょっと見して…わー、メッチャいいなコレ。着てみたい」
広げて、自分の上半身に合わせてみる。サイズもメチャクチャちょうどいい。これなら中に長袖ポロとかネルシャツとか合わせてもよさそうだ。
「臣クン、試着してきていい!?」
「もちろん」
俺はすぐさま店員さんに声をかけた。試着室を案内され、急いで上半身の服を脱ぎTシャツを試着する。試着室の中の全身鏡で確認しながら、やっぱり予想通りサイズ感もデザインもバッチリだなと思った。
こんなに早く好みの服を見つけられるなんてツイてる。臣クンのおかげだ、やった!
待っててくれてる臣クンの為にまた急いで脱ぎ着して試着室を出る。左右を確認すると、レジ付近の財布や小物のコーナーで足を止めている臣クンを発見した。駆け寄り「お待たせ」と言うと「どうだった?」と返ってきた。
「メッチャ良かった!買ってくるッス!」
「そうか良かった。じゃあここで待ってるよ」
「うん!」
幸いレジに列はなくてすぐに買うことができた。服屋のロゴが入った袋を手にぶら下げ、臣クンと一緒に店の外へ出る。
「臣クン付き合ってくれてありがとッス。お陰で超いい買い物ができたッスよ!」
「あはは、そうか。役に立てたんなら良かった」
そして、臣クンが笑いながらいつもと全く同じ流れで俺の頭を撫でた。
…ああ、と俺は思う。
寮以外の場所でもこうやって、当たり前のことみたいに臣クンに触ってもらえるんだな、俺。なんだかそれが特別なことに思えて、いつも以上に嬉しくなった。
「…あ、悪い。外でこういうのは嫌だったか?」
臣クンが慌てて俺の頭から手をどけるので、思い切り首を横に振った。
「ううん、メッチャ嬉しいッス!」
嬉しいよ臣クン。嬉しいに決まってるじゃないッスか。いつでも撫でて。いくらでも撫でてよ。部屋でも外でもどこでもいつでも、俺、臣クンの手が、臣クンのことが大好きだよ。
「そっか。なら良かった」
俺だけに向けられた笑顔にもっと嬉しくなって俺も笑い返す。
ああでも、撫でられる時油断してると、好きの気持ちがいっぱいになって顔に出るかもしれないから、そこだけ注意しとこ。俺はそっと心の中で自分に釘を刺しておいた。

マップを確認しながら次に行く店を決める。
次は、食器や調理器具を買いたいと言っていた臣クンの為にキッチン用品専門店へ向かった。全然興味のない俺でも名前だけは何度か耳にしたことがある店名を、もちろん臣クンはよく知っているようだった。
店の前に着くとちょっと弾んだ声で「広いから見がいがあるな」と臣クンが言うので、俺の気持ちもつられて弾んだ。
「まずはフライパンと鍋を見てもいいか?えーと、こっちかな」
店内は女のお客さんが多いから、背の高い臣クンは今までよりもっと目立っていた。すれ違うお客さんが何人か臣クンを見上げる。俺はその光景を見る度にうんうんと一人頷いた。
そうでしょそうでしょ。臣クンでっかいっしょ。これで料理も手芸も得意っていうんだから本当にビックリでしょ。しかもこの人、俺っちの恋人なんスよ。すごくないッスか?へへん。

「このフライパン使い易そうだなぁ」
臣クンが目当てのコーナーで止まり、いくつかのフライパンを手に取って確かめている。正直どれがどういう風な使い心地なのか俺には全然わからない。けれど、楽しそうにフライパンを握る臣クンを隣で見ていられるのは幸せだった。
「これもいいな…うーん…ちょっと高いか…」
「ねえねえ臣クン、ここでの買い物って、もしかして臣クンが全額出すんスか?」
「いや、一応、寮の共用品だからな。買いたいやつを見繕って、大体の金額を監督と支配人に提示するつもりだよ」
「お~、なるほどッス」
「あとは左京さんにも報告が必要か。…穴が開くまで使ってからにしろとか言われそうだけど」
「絶対言うッス。今頭の中でしっかり再生できたッス」
そんなことを話しながら二人で笑い合う。好きな人といるとどこにいたって何してたって、こんなに楽しいんだな。自分一人で来ることはきっとない店の中で、俺はしみじみと感じた。
「あ、あと鍋も見ていいか?」
臣クンが尋ねるので「もちろんッス!」と頷いてその後をついて行く。
歩いている途中で、マグカップが並んでいる棚が目に留まった。
臣クンの背中をツンツンとつつく。
「ん?」
「見て臣クン。これ可愛いッスよ」
動物の顔が大きくプリントされたマグカップを手に取り臣クンに見せる。臣クンは「ほんとだ」と言って少しかがみ、その体を俺の方へ寄せた。
動物のシリーズは30くらい種類があった。棚の半分くらいのスペースをとって陳列されているから、もしかしたら結構人気商品なのかもしれない。
「あ、太一だ」
臣クンがそう言いながら犬のマグカップを手に取る。柴犬が口を開けて舌を出してるそれは、この中で言ったら多分まあ一番俺に似ているんだろう。でもこんな、口開けながら舌出してることなんて、俺あったかなぁ。
「あ、臣クンもいたッス」
柴犬のマグカップの二つ隣に、耳が垂れた大型犬のマグカップを見つけた。優しい顔つきが臣クンによく似てる。
「バーニーズだ」
「ん?」
「その犬の種類。バーニーズマウンテンドッグって言うんだ。似てるって言われたの初めてだなあ」
物知りな臣クンのお陰で俺は一つ賢くなった。へえ、バーニーズって言うんだ。覚えた!
「うん似てる。ほら、並べたら双子みたいッスよ」
臣クンの顔の横にマグカップを並べてみる。優しそうな目つきと、鼻と口の感じが、うん。やっぱり似てる。
「あはは、太一も。どっちがどっちだかわかんないぞ」
臣クンが同じようにして今度は俺の顔の横に柴犬のマグカップを並べる。柴犬を真似てベーと舌を出してみたら、臣クンは笑いながら「瓜二つだ」と言った。
それから鍋や夕飯の時に使うための食器、弁当箱、テーブルクロスなんかも見たりしながら俺たちは店内をゆっくりと回った。途中、電化製品のコーナーで臣クンが何度も「欲しいな…」と「高いな…」を繰り返していたのが面白くて、俺は何度か声に出して笑ってしまった。

店を出る頃にはだいぶ時間が経っていて、スマホで時刻を確認すると昼時を少し過ぎているところだった。
「臣クン、そろそろお昼ご飯食べる?お腹空かない?」
「そうだな、どこか入ろうか」
「臣クン食べたいものある?」
「いや、俺は特にこれって言うのは。太一は?」
臣クンの言葉に「実はね」と打ち明ける。
「俺っちの大好きな店があってね、ハンバーガー屋なんだけど。…行ってもいい?」
「ああ、じゃあそこに行こう」
「やったッス!ありがと臣クン!」

その店は一番上の階にあるようだった。一緒にエスカレーターに乗り最上階へ移動する。飲食店が並ぶその階を歩いていると美味しそうな匂いの数々につい誘われそうになってしまう。
ほどなくして、目的地であるハンバーガー屋に到着した。昼を少し過ぎているにも関わらず店内は満席に近い。もう少し早い時間に来ていたら座る席がなくて立ち往生していたかもしれない。
注文する列に並びながら、レジ上に掲げられたメニュー表を見上げる。
「どれにしよっかな~。スパムとテリヤキチキンが美味しいんスよ!迷うな~」
「へえ、そうなのか。じゃあ俺がどっちか頼むよ。半分こずつ食べよう」
「え!いいの!」
「もちろん」
なんかさっきから俺、臣クンの厚意に甘え過ぎてる気がする。
本当は臣クン、あそこ行きたいとかあれが食べたいとかあるんじゃないかな。でも俺に気を遣って言わないでいるとか、ないかな。もしそうだったら嫌だな。だって俺は、俺が今全力で楽しいのと同じように、臣クンにも100パーセント楽しんでほしいのだ。
「…臣クン」
「うん?」
「俺っちばっかりワガママ言ってごめんね。臣クン食べたいものあったら、それ頼んでね」
不安だけど、その気持ちを押し付けないように、と気をつけながら伝える。すると臣クンはちょっとだけ目を見開いてから、柔らかい顔で微笑んだ。
「太一が好きなものを一緒に楽しみたいんだ。それが一番楽しくて幸せなんだよ、俺は」
「…」
ねえそれ、ハンバーガー屋のメニューを注文する列の途中で聞くようなセリフじゃないよ臣クン。どうして彼はこんな言葉をそんな顔で、時と場所を選ばずに言ってしまうんだろう。
胸の奥がジワリと溶けて漏れ出してゆくような感覚に陥った。臣クン以外の世界全部がぼやけていく。
「…うん」
臣クンの目を見つめながら頷く。好き。大好き。心の中で繰り返し、何度も何度も唱えた。ああ臣クンにこの想いが聞こえないかな。聞こえちゃえばいいのに。

「お客様、大変お待たせ致しました」
まるで夢の中から現実に引き戻されたみたいに、俺は店員さんの声で我に返った。
あ、あぶねー!いま完全に二人っきりの時の気持ちになってた!
慌ててカウンター前まで移動し、臣クンに「俺、そしたらスパムの方頼むね!」と言ってから注文をした。
その後臣クンがテリヤキチキンを頼み、俺たちは番号札を渡され店内の空いている席へ座った。頼んだ料理が完成したら店員さんが持ってきてくれるシステムなので、あとは座って待つだけだ。
「…こ、ここのね、コーラがメチャクチャ美味いんス!」
さっきの自分を誤魔化すため少し大きな声で話した。向かいに座った臣クンは変わらず穏やかな表情で「うん」と相槌を打ってくれている。良かった、さっきの変な間に臣クンは気付いてないみたいだ。

数分後、店員さんが俺と臣クンの頼んだセットメニューを運んできてくれた。
「おお、結構本格的なんだな。野菜も新鮮だし」
「そうなんスよ!パンのとこも美味しいから!食べてみて!」
二人で手を合わせ「いただきます」を言う。それから俺たちは同時に最初の一口を口に運んだ。
「あ、ほんとだ。うん、うまいな」
口をもぐもぐ動かしながら臣クンが言う。驚いたようなその表情から、きっと本当に美味しいと思ってくれているんだろうなとわかり、俺は嬉しくなった。
「でしょ!あ~俺も久し振り!やっぱうめー!」
スパムの味が濃くてたまらない。ここのハンバーガーは何度来てもやっぱり美味しい。好きな人と一緒に食べているからか、その美味しさは今までの何倍にも膨れ上がって感じた。
「…ん、うん。ほら太一、こっちも」
臣クンがテリヤキチキンバーガーを俺の口の前まで持ってきて差し出す。俺は口の中のぶんを飲み込みながら考えた。…えと、これはつまり、このまま食べていいってこと?
「ほら、あーん」
「!」
慌てて周りを見渡してみるが俺たちの方を見ているお客さんは特にいない。目の前の臣クンに視線を戻すと、同じポーズと表情のまま俺の口が開くのを待っている。
俺は戸惑いを振り切って大きく口を開け、臣クンが差し出してくれているハンバーガーにかぶりついた。大好きなテリヤキチキンの味が口の中に広がるはずなのに今の俺には味わう余裕がなくて、よくわからない。そのまま急いで噛んで飲み込むと「そんなに急いで食べなくてもいいのに」と、臣クンに笑われてしまった。
「…へへ。美味しくてつい」
誤魔化してそう返したけれど、普通に言えていただろうか。
ああ、なんだか俺ばっかりあたふたしててみっともないな。昨夜、空回りしないように気をつけようって決めたばかりなのに。もっとこう…自然に、臣クンとの時間を満喫したいし、できるなら俺も臣クンを楽しませたい。
そうだ。臣クンも俺があーんしたら食べてくれるかな。ちよっとだけでもドキドキしたりしてくれるかな。
意を決して、俺も臣クンのマネをした。
「えと、臣クンもこっち食べてみる?」
食べかけのスパムバーガーを臣クンの口の前まで持っていく。
「いいのか?じゃあお言葉に甘えて」
臣クンは特に動揺することもなくそう言って身を乗り出した。
自分の手のすぐそばに臣クンの口がやって来る。ハンバーガーを挟む上唇と下唇の動きを、俺は目で追ってしまった。それから噛み切る時に一瞬見えた臣クンの歯にも釘付けになる。この唇に、何度もキスされたことがある。この歯で、ベロを優しく噛まれたことがある。
良からぬことばかり思い出してしまって顔が熱くなった。…結局、ドキドキしてるのは臣クンじゃなくて俺の方だ。
「うん、こっちも美味いな」
かじったぶんを飲み込んで臣クンが笑う。
うう、臣クン。俺いま変なこと考えてたッス。ごめんね。

トレイの上を食べ終えた俺たちは店内が混んでいたこともあってすぐに席を立った。各階に設置してある案内図を見ながら、次に向かう場所を一緒に決める。
俺が行きたいと思っていたスポーツ用品店は、館内の、今いる場所とは対極の場所にあった。せっかく一階の真逆側まで移動するんなら、途中途中でブラブラしよう、ということになった。
「ここからならエスカレーターよりエレベーターの方が近いな。乗ろうか」
臣クンの提案に従ってエレベーター前まで移動する。偶然にも他にエレベーターを待っているお客さんはいなかった。ちょうど下の階から上がってきた一台が扉を開けたので、俺たちは二人で一緒に乗った。

「んーと、何階にしよっか。3階行くッスか?俺っちそういえば消しゴム買いたくて、3階に文房具のお店が…」
階数を示すボタン部分を見ながら話していたら急に自分の上に小さな影ができた。何かと思って見上げると、どうやら臣クンが後ろから腕を伸ばして「閉じる」のボタンを押したみたいだ。エレベーターの扉がゆっくりと閉じられていく。
臣クン、行きたい階が見つかったのかな。何階に行くのか確認するため振り返ったその時だ。
なぜか俺は臣クンに、唐突にキスをされた。
予告も前触れもないそれに俺は目を瞑ることもできない。臣クンの閉じられたまぶたと綺麗なまつ毛を、ただ見ることしか。
唇は数秒後に離れた。キスされたということを理解したのは、それから臣クンが俺の頬を撫でた時だった。唇の感触が蘇って、どうしようもなくドキドキする。
「…さっきからずっと我慢してたんだ」
「…へ、が、我慢」
「ああ。…昼飯食べる前あたりからかな…ごめん」
「……そ、そ、そーなんスか…」
キ、キスされてしまった。こ、こんな場所で。
間近で見る臣クンの顔はやっぱり最高にかっこよくて、見つめられるとそれだけで体温が高くなる。
俺って、こんなかっこいい人と両思いで、しかも恋人になれちゃって、デートまでできちゃって、それどころかデート中にキスしたいって思ってもらえて、こんな風にキスされちゃったりするんだ。
事実を並べただけなのに頭の中が大噴火して木っ端微塵になりそうだ。どうしよう、だって全部すごいことじゃん。ドキドキするなっていう方が無理だ。
俺の目にはもう臣クンしか映らない。体全部が心臓になって、臣クンに向かって鼓動を打つ。好きだよ、好き。臣クンが好き。
「…太一」
臣クンが両手で俺の顔を包む。その手にそっと自分の手を重ねたら、それが合図になった。
もう一度臣クンの顔が近づいてくる。今度こそはと思いながら目を瞑り、二度目のキスをしようとしたその時だった。「チーン」という音と共にエレベーターの扉が開いたのだ。
「!!」
お互い、これ以上ないほど俊敏に反応して体を離した。そのお陰もあってか、扉の向こうでエレベーターを待っていた人達は特にこちらに変な顔を向けることはなかった。どうやら見られなかったみたいだ。よ、良かった。
俺たちと他のお客さん何人かを乗せて移動するエレベーターの中、隣に立っている臣クンをチラリと見上げる。臣クンも俺の方を見ていたみたいで目が合った。
その瞬間に見せてくれた照れ臭そうな顔があんまりにも可愛くて、俺の心臓はまたその音量を上げたのだった。

それから俺たちは文房具屋、雑貨屋、いくつかの服屋を見て回った。途中、臣クンにサングラスをかけてみてもらったり、二人で色違いのキャップを被ってみたりした。
俺が思い描く「ショッピングデート中のカップルあるある」のほとんどは臣クンによって実現され、なんていうか本当に感無量で幸せ過ぎて、今日こんな幸せだったら明日メチャクチャ嫌なこと起きるんじゃないかなって不安に思うくらいだった。

最後にスポーツ用品店へ向かった。ここも俺が行きたいと思っていた場所だ。
「また付き合わちゃってごめんね臣クン」
「いや、俺も稽古の時に着るウェアを買い足そうかと思ってたんだ。ちょうどいいよ」
会話しながら店の前まで進むと、店の前のショーウィンドウにスケートボードが飾られているのに早速気づく。
うわあれ欲しかった新作と同じシリーズのやつだ!もっと近くで見たくなり、俺は駆け寄ってガラスに張り付いた。
「うわぁ~かっけぇ~、欲しい~…」
「ボードってこれくらいが相場なのか?」
「ん~これはちょっと高い方かなぁ。でも高いやつはもっと高いよ」
「へえ、そうなのか。う~ん…結構な値段がするもんなんだなあ」
「そうなんスよ~、だから眺めてるだけの事が多いッス」
「うーんそうなるよなあ」
ガラスの向こうに夢を馳せていたら男の店員さんが一人、こちらへやって来た。
「お客様、ボード探されてます?もし良かったら店内の奥にもありますので、見ていってください」
軽く会釈をして「どうも」と返すと、店員さんは俺の目線の先のボードに気付いて少し鼻息を荒くした。
「これ、◯◯から出てる新作なんですけどこの色すごいレアなんですよ、飾ってるのうちくらいじゃないかな、かっこいいですよねえ!」
「そうなんスね!ほんと、メッチャかっこいーッス、メッチャ欲しいッス!」
「あの、コンプリートで買われる予定です?もし良かったらパーツごとでも探せますし、他の色も奥に飾ってますんで、店内見ていかれるんでしたら是非」
「マジッスか!う、臣クン…見てもいいッスか…?」
恐る恐る尋ねると、やっぱり臣クンは笑って「もちろん」と答えてくれた。
「そしたらさ太一、俺はウェアの方見てきてもいいか?見終わったらすぐに太一の方に行くから」
臣クンの提案に俺は頷き、少しの間だけ俺たちは別々の場所を見て回ることにした。
軽く手を振って、俺は店員さんの案内してくれる方へ向かった。

「……ん~…やっぱだめだ、高い…」
スケートボードを買う方法は大きく分けて二種類ある。こうやって店頭で買う方法とネット通販で買う方法だ。店頭で買う時は色味の確認も試乗もできるというのが大きなメリットだけど、やっぱり通販に比べて高い。
ウンウン唸って考えたけれど、ここで購入してしまう前にネットと比較する方が絶対にいい。いいな、買っちゃおうかなと思ったウィールがあったが、俺は伸ばしかけた手を引っ込めた。
「太一、おまたせ」
手をポケットにしまったちょうどその時、臣クンが戻ってきた。
「臣クン!いいウェアあったッスか?」
「ん、良さそうなのはいくつかあったんだけどな。でも今日は買わないでおくよ」
「そうなんスか?…俺っちもね~、今日はやっぱやめとく…もうちょっと考えるッス…」
「あはは、そっか。じゃあもう出るか?」
「うん。臣クン、付き合わせてごめんね。ありがとう」
「いや、太一が行きたい所に全部行けて良かった。俺も見たいものはちゃんと見れたから大丈夫」
自分から行きたいと言っておいて収穫ゼロなのは少し罪悪感があったけど、臣クンの優しさにそれもゆるりと溶かされていく。
優しくてスマートでカッコよくて、臣クンってほんとにスーパーヒーローみたいだ。そんな人を一日中独り占めできるなんてなんだか奇跡みたいだなと思って、俺は一人嬉しさを噛み殺した。

並んで建物から出ると、外はすっかり暗くなっていた。眼前に広がる駐車場は来た時よりもだいぶ空いていて、少し寂しくなった景色が余計に時間が経ったことを感じさせる。
「…あっという間だったなぁ」
臣クンが紺色の空を見上げながらぽつりと呟いた。
「ほんとッスね。まだ全然、3時くらいの感覚だよ俺」
「うん。今日は太一がずっと楽しませてくれたからなぁ」
「臣クン、そのセリフは十倍にして返すッス」
「じゃあ俺は二十倍」
「じゃあ俺っちは三十倍」
「あはは」
「あはは」
幸せだ。幸せで仕方ない。
今日のどの瞬間を振り返っても楽しいしかなくて、それはどの瞬間にも臣クンがいたからで、もしもこの気持ちが臣クンと一緒なんだとしたら、それだけで泣きそうになるくらい、幸せだ。
並んで歩きながら臣クンのバイクが止まっている場所まで進む。ふと、今まで自分たちがいたショッピングモールを振り返ると、ビックリするほど綺麗にライトアップされていた。
俺は思わず足を止める。
「…超きれい」
「うん、ほんとだ」
こんなロマンチックな瞬間を俺もいつかは恋人と一緒に過ごせるかなぁって、ちょっと前の俺なら夢みてただろう。羨むようにして、指をくわえるようにして。…それが今、叶ってしまっていると言うんだから本当に驚きだ。もし臣クンに出会う前の俺にこの光景を見せたら、一体どんな顔をするんだろう。

「…あのな、太一」
「うん?」
臣クンが鞄の中から何かを取り出す。小さな紙袋を目の前に出されたが、その中身がなんなのか俺には見当もつかなかった。
「これなに?」
「あけてみて」
臣クンに言われるまま、紙袋の上の部分に貼られたテープを剥がし中を覗く。透明のカバーでラッピングされたそれを見て俺は驚く。…臣クン、ねえ俺、全然気づかなかった。いつ買ってくれてたの?
キッチン用品のお店で見た柴犬とバーニーズのマグカップが、そこには入っていた。
「…臣クンこれ」
「太一が使ってるとこ想像したら欲しくなってさ。ついでにお揃いにしたら、今日の記念になるなと思って」
「…臣クン」
「もし良かったら、使ってくれ」
「…臣クン~…!」
使うよ。使うに決まってるじゃん。大事にするよ。ずっとずっと大事にする。
…ああどうして、臣クンのやることなすことは、こんなにも俺の心を奪っていくんだろう。
「…いつ買ってたの…?」
「さっき太一がボード見てる間にな。そういえばあの店、割と近かったなと思って」
「…全然気づかなかった」
「はは、気づかれないようにしたからな。驚かせたくてさ」
「…も~…!」
キャップを目深に被って俯く。目の前の人がかっこよくてズルすぎて、どうしようもない。ねえ、今日ずっとズルイよ臣クン。わかってる?
「…コーラもココアもお茶も水も全部これで飲むッス。毎日使うッス」
「あはは、そんな風に言ってもらえたら俺も嬉しいよ」
「臣クンありがとう…」
「うん」
ゆっくり顔をあげたら、ライトアップの光に反射してキラキラ光る臣クンの瞳が見えた。それがあんまりキレイでかっこよくて、俺は思わず見惚れた。…ああそうか、キレイとかっこいいも矛盾しないんだなぁ。

「太一、今日は誘ってくれてありがとうな。すごく楽しかった。また一緒に来よう」
臣クンの言葉に頷きながら俺は思う。振り返ると今日は本当に一瞬だった。楽しいもドキドキも幸せも充分すぎるほど与えてもらったのに、過ぎてしまうと全てが恋しくて、もっと欲しくなってしまう。
「…帰りたくないなぁ…」
だって帰ったら、臣クンとのデートは終わってしまう。寮の部屋で二人きり一緒に過ごす時間は大好きだけれど、それは俺たちにとって「日常」だ。でも、こうして外で一緒に過ごせる時間はなんだか特別なものに感じた。臣クンが少しだけいつもと違って見えたし、俺はそれにずっとドキドキしていたのだ。そんな臣クンを独り占めしているのだと思うと、尚更。
もう少しだけ臣クンを独り占めしていたくて、ドキドキしていたくて、名残惜しくて俯く。
次はいつデートできるだろう。俺が「行こう」って言ったら、臣クン。また頷いてくれる?

「……帰したくない」
臣クンが、ポツリと呟く。
見上げるとやけに真剣な表情の臣クンと目が合った。見つめられて、俺はまるで縛られたみたいに全身を動かせなくなる。
「…臣クン…?」
「太一のこと、帰したくない」
少し冷たい風が吹いて髪が揺れる。臣クンのライダースジャケットの、袖のファスナーがユラユラするのを俺は見ていた。
まただ。また、臣クン以外の全てがぼやけて遠くに消えていく。臣クンしか見えなくなる。世界にまるで臣クンと俺しかいないような錯覚に陥って、心臓は脈を打つたび熱さを増した。
今俺の目に臣クンしか映っていないように、臣クンの目にも俺しか映っていなかったらいいなと、欲張りな願い事を心の片隅でそっと、唱えた。
「…うん」
目の前の彼に釘付けになったままで頷くと、頬に手を添えられた。少し冷えた臣クンの指先がピアスに触れて、俺の体は一瞬震えた。
「…帰さない。お前を連れてく」
おでこをくっつけて、掠れた声で臣クンが言う。俺はこれ以上ないほどドキドキしながら、でも確かな声で「はい」と返事をした。
どこに、って聞かなくたって俺にも分かる。
ねえ俺、右も左も分かんないけど、ちゃんとできる自信これっぽっちもないけど、それでも臣クンと一緒に行きたいよ。一緒に気持ちよくなりたい。臣クンと一つになりたい。朝までずっと一緒にいたい。…連れてって。

臣クンの手に力が入り、俺の頭を少しだけ上に向かせる。ゆっくり目を閉じてキスを待とうとしたその時だった。リュックの中でスマホが震えた。
ああもうそんなの今はどうでもいい、いいから誰も邪魔しないでよと思い、俺はもう一度目を閉じた。…けれど館内にいたさっきまでとは違い夜の駐車場はすごく静かだ。そのせいでスマホのバイブ音はやけに響き、臣クンにも聞こえてしまっていた。
「……太一、携帯鳴ってる」
「…う、うん…」
臣クンが困ったように笑って手を離すので、俺も一旦息を吐いた。仕方なくリュックからスマホを取り出すことにしたけれど、ほんとは舌打ちしてやりたくて仕方ない。チクショー誰だよ。俺と臣クンの邪魔しないで!
リュックから取り出した瞬間に震えが収まる。どうやら着信が切れたみたいだ。なんだよもうタイミング悪いなと思いながら画面を見たら、表示されている通知数と発信者の名前で度肝を抜かれた。
着信が8件。全部、左京にぃからだった。
「ひ、ひえっ」
思わず悲鳴が漏れた。ただ事ではないと思ったのか、臣クンが心配そうに「どうした?」と聞いてくる。
「さ、左京にぃから…電話…メッチャきてる」
「左京さんから?」
「お、俺なんかしたっけ、え、やばいどうしよう臣クン」
「落ち着け、大丈夫だ。なにかの確認の電話かもしれないぞ?着信切れたのか?太一からかけてみたらどうだ?」
「…う、うん…」
ゴクリと唾を飲み込んで、俺は通知履歴の中の一つを横にスワイプした。「発信する」のボタンをタップし、ビクビクしながらスマホを耳のそばへ持っていくと、コール音は2回目の途中で途絶えた。
『七尾テメェ、俺が何回電話したと思ってんだ、あぁ!?』
スマホの向こうからメチャクチャ怖い左京にぃの声が響いて、俺は思わず目を瞑ってしまった。
「ひ、ひぃ!」
『ひぃ、じゃねえ!携帯はこまめに確認しろ!持ち歩いてる意味がねえだろうが!!』
「お、おす!ごめんなさいッス!!」
『はぁ。とりあえず今すぐ帰ってこい。この後全体ミーティングをするつもりでいる』
「え」
『風呂も消灯も、最近時間を守れねえ輩ばかりだからな。ここらで一度お前らのケツを叩くことにした。全員強制参加だ。わかったな』
「…え、あの、でも」
『でもじゃねえ!とっとと帰ってこい!!』
「ひぇっ」
あまりの気迫に耳からスマホを離してしまった。向かいで様子を見ていた臣クンにも左京にぃの声が聴こえたのだろう。臣クンは「代わるよ」と言って俺の手からスマホを抜き取った。
「もしもし、左京さん。俺ですけど」
冷静な臣クンの声に左京にぃの熱も一旦引くかと思われたが、しかし。左京にぃは電話の向こうで更にその怒声のボリュームを上げたのだった。
『あ!?伏見か!?お前にも何回電話したと思ってる!!てめえら一緒にいて二人とも電話に出ねえとはどういうことだ!!なめてんのか!?』
ひ、ひぇ~。左京にぃメチャクチャ怒ってるどうしよう。ただでさえ倹約生活への意識が下がった寮の雰囲気にイライラしていただろうに、俺たちが全然電話に出ないものだから余計に腹が立ったに違いない。こ、怖い。
「…あ、すみません。電源切ってて」
臣クンはポケットから自分のスマホを取り出して、思い出したように電源を入れ直してみせた。
「あ、左京さんから9件着信入ってますね…」
『あ、じゃねえ!いいからお前らとっとと帰ってこい。今すぐにだ』
ここまで言われたら帰るしかない。っていうか今すぐ帰らなきゃあとが怖い。とりあえず寮に着いたら真っ先に左京にぃに謝ろう。それからそれからミーティング中は誰より大きな声で返事をして、なんならメモを取る姿勢も見せよう。深呼吸しながらそんなことを考えていたら、臣クンが予想外の言葉を放った。
「あの、左京さんごめんなさい。今日はどうしても帰りたくないです」
『は!?』
…え、ええぇ!電話の向こうの左京にぃとユニゾンして俺も驚く。
「俺と太一は帰らないです、もう決めたんです」
臣クンは俺の頭をポンポンと撫でながらそう言った。す、すごい。この状態の左京にぃに怯むことなくそのうえ己の意志を貫くことができるなんて。さすが元ヤン。さすが狂狼。
『…決めたんですじゃねえ。ダダこねてねえで今すぐ帰ってこい』
「いや、すみません。今日は本当に…帰りたくないんです。お願いします」
『帰れ』
「お願いします」
『意味がわからん。いいから七尾連れて帰ってこい』
「いえ、太一のことも帰したくないです」
『てめえらは話の通じねえバカップルか!のぼせてねえでとっとと帰ってこい!!』
こちらまで聴こえてくる左京にぃの怒鳴り声に、思わず臣クンも耳からスマホを遠ざけている。ちなみに俺は臣クンの言った「帰したくない」という言葉が無性に恥ずかしくて顔を赤くしている最中だった。か、帰したくないだって。臣クンてば。照れるッス。
『…わかった。帰って来ねえならお前ら二人、今日から3ヶ月間風呂トイレ掃除担当だ』
「え、ええ!?やだ!」
瞬時に口から漏れた俺のブーイングを電話の向こうの左京にぃはキャッチしたらしい。通話口から一層けたたましい左京にぃの声がする。
『だったらさっさと伏見のアホを説得して帰ってこい!!』
「ひっ」
電話はそこで切れてしまった。「ツーツー」の音と共に俺たちは立ち尽くし、お互いに顔を見合わせた。
「…お、臣クン」
「…」
「左京にぃメッチャ怒ってたッスね…」
「そうだな…」
「…風呂トイレ、3ヶ月だって」
「…嫌だな…」
「嫌だね…」
臣クンはため息を吐いた後、俺をちらりと見て「ごめん」と謝った。
「…帰ろう。左京さんの言う通りだ。…ダダこねちまった。太一のことも、困らせてごめんな」
臣クンはそう言って、ヘルメットを装着してバイクのシートを開けた。俺のためのヘルメットと上着を取り出し、上着から俺に着させてくれる。
「……」
俺は上手く言葉を返せなくて、黙ったまま臣クンの後ろに乗った。ああこれで本当に、デートは終わってしまうんだ。
エンジンがかかりバイクは走り出す。街の光がまるで特別なイルミネーションのように、視界の中をキラキラ泳ぐ。夜の街は行きの景色と似ても似つかなかった。すごく綺麗で、でも流れていく光はあまりに速くて、なんだか寂しい。
このまま寮に着いてしまう前に、この時が終わってしまう前に、臣クンに言いたい。言わなくちゃ。

「ねえ臣クン!!」
ビュウビュウと、すごい音で耳を駆けていく風に負けないよう、叫ぶようにしてその名を呼んだ。
「んー!?」
俺の前でハンドルを握る臣クンが聞き返す。声はちゃんと届いてる。それだけのことが妙に嬉しくて、俺は臣クンの体に回していた腕にギュッと力を込めた。
「またデートしようね!!」
俺の言葉に、臣クンが力強く頷いた。
「ああ!もちろん!」
「そんで、次の時は!…その、えっと…つ、次の時はさぁ!!」
なんて言ったらいいかわからなくて言葉はつっかえてしまったけれど、それでも臣クンはちゃんと受け取って、答えてくれた。
「当たり前だろ!絶対帰さない!!」
臣クンの力強い言葉に胸がいっぱいになる。その体を後ろから目一杯抱きしめて、ムズムズする口元を俺は固く結んだ。








後日談…って言うんだっけ?こういうの。
あの後左京にぃにこっぴどく叱られた俺たちは、当分の間二人で遊びに行くことを禁止されてしまった。当分ってどの位ですか、と聞いた臣クンを睨む左京にぃの眼は、人をヤレるんじゃないかと思うほど鋭かった。だから結局、この禁止令がいつまで続くものかを俺たちは知らないままだ。

…ちぇ、そんなに怒んなくたっていいじゃないッスか。左京にぃの鬼。