(サンプル)
「これが太一のアバター?」
スマホの画面に現れたキャラクターを指差して伏見クンが尋ねる。俺は頷いて「うん、あんま課金してないからパッとしないけどね」と付け足した。
今日の配信タイトルは『なんでこんなことに』。伏見クンが横で「ふふ」と笑うので「全く笑えないッスねぇ」と添えてあげた。
配信開始。コメント欄の最初に「たいちさんが入室しました。」と表示される。ため息を吐く俺とは反対に、伏見クンは姿勢を正して気合を入れた様子だった。
「……誰も来なかったらどうするんスか?」
「別に、どうもしないよ俺は」
「え、その様子も撮るわけ?本気で?」
「もちろん。そのために俺は今ここにいるんだから」
「マジで言ってんの?そんな写真残されるの人生の汚点すぎるでしょ」
「あはは、その時は写真のタイトルどうしようか」
「マジで最悪すぎる、どんだけいい顔で笑ってんスか」
伏見クンとの問答に熱中していたらスマホの画面を確認するのが遅れてしまった。ふと目をやると、いつも来てくれるリスナーの一人が既にいくつかコメントを残してくれていた。
「あ!◯◯サン!ごめん気づくの遅くなっちゃった!」
慌てて体をスマホに向き合わせ、画面を長押ししてアバターに手を振るエモートを与える。◯◯サンは『お、珍しい』『お友達さん?』とコメントしてくれていた。
「あ、えっと、この人は同じ大学の〜…あ、配信で苗字言っても平気ッスか?」
伏見クンに目配せすると首を縦に振ってくれたので「同じ大学の、伏見クン!」と続けた。
『ふしみくんお初です〜』
◯◯サンのコメントを見た伏見クンが無言のまま頭を下げる。そうか、配信中は俺の邪魔にならないようにと、もしかしたら声を出さないと決めたのかもしれない。
「…伏見クン、見えないよ頭下げても」
「あ、そっか」
コメント欄にwが生える。伏見クンの素のボケがウケたみたいだ。
「えーと、初めまして。伏見と言います。今日は見学で来ました」
「見学…ものは言いようッスね…」
「本当だよな」
再び、コメント欄にwの文字列。その後に◯◯サンの投げてくれた【盛り上がってきた】って無料ギフトが降ってきたところで、また馴染みのあるリスナーが入室してくれた。
『タイトルなにがあった?』
「あ、△△サンやっほー。えーとね、話せば長くなるんスけど…」
どうやったら簡潔に説明できるかな、と考えていたら、伏見クンが不意打ちでシャッターを切ってきた。びっくりして、せっかくまとまりかけてた話の順序が全部こぼれ落ちてしまった。ああもう何してくれてんスかマジで!
「急に撮らないでよ!」
「無茶言うなよ、撮るために来たのに」
「言ってよ撮る前に!撮るよって!」
「言うわけないだろ」
コメント欄が『ふしみくん何者w』『個撮…⁉︎』という二つで更新される。【盛り上がってきた】のギフトがまた投下されて、それに便乗したかのように【わくわく】のギフトが降ってくる。どうしよう、いつもだったらコメントの一つ一つを拾って、ギフトにも一つ一つお礼を言うのに。伏見クンがいるから思うようにいかない。
『ふしみくんふしみくん』
◯◯サンがコメントで呼びかける。伏見クンは「はい、なんでしょう」と応えた。
『ふしみくんはカメコなのかい?』
カメコの意味を知らなかったのか、伏見クンは「えーと、亀の子どもではないです」と大真面目に答えた。またwで溢れ返るコメ欄。今度は【はなまるっ!】とか【すばらしいです】ってギフトが、画面を賑やかにした。
配信を開始して十分くらい経った頃だろうか。立て続けに相互サンや初見サンが、合わせて四人も入室してくれた。いいねのカウンターもいつもよりずっと速く回ってる。
『え!たいちの横に誰かおる!』
『タイトルどうしたw』
『お初ですー。オススメから来ましたー。』
『たいちーやっほーん』
続々と更新されるコメ欄に慌てる気持ちが一割、嬉しくて堪らない気持ちが九割。悟られないようにしなきゃ、でもテンション低くなり過ぎないように。焦らず、ミスらず、テンポ良く。
「あ、みんなヤッホー!あ、初見サン初めまして!えっと今日は隣に伏見クンっていう人がい…だぁっ!撮らないでって!」
「いいよ太一、今すごくいい顔してる」
「マジで超やだこの人!」
伏見クンとやりとりをする度、入室数がどんどん増える。いつもより画面を見れてないし、挨拶やコメントへのレスだってさっきからボロボロだ。なのに、リスナーの数はいつもよりずっと多かった。投げてもらうギフトの数も、押してもらったいいねの数も、全部。
『たいち今日キレ鋭いwww』
『わかる』
『ふしみさんもアカウント作らないの?』
『コラボ配信切望ネキ』
みんなのコメントが、いつもよりずっと楽しそう。…ああ、そっか。俺が今、楽しいから。当たり前だ、俺が楽しくなかったら楽しい配信になる訳がない。そりゃそうだよ、楽しそうな人の配信に、人はみんな、惹かれるんだ。
どうして簡単なことを見落としてんだろう。どれだけ丁寧にコメントを拾っても、どれだけ課金してアバターを着飾っても、どれだけ話のネタを用意周到に揃えていても、俺が楽しんでなかったら全部一つも光らない。
俺が楽しいことが、俺の配信を輝かすんだ。
『今日のたいち楽しそうでなんか良き〜!』
「……」
配信中なのに、ちょっとだけ涙目になってしまった。なんなんだ俺昨日から、すぐ泣くじゃん。
みんなに気付かれないように、伏見クンは音を立てず俺の頭を優しく撫でた。…やめてよ、もっと泣いちゃうじゃん。
『たいちー?』
『あれ?ミュート?』
『〜意味深な静寂タイム〜』
コメントを読んで、見兼ねた伏見クンが「えーと」と場を繋いでくれた。
「あー…それにしても今日はいい天気だったよな、みんな」
白々しい場繋ぎはド下手クソもいいとこだった。ネットの世界なんだからみんなのいる場所も晴れてるとは限らないのに。
『こっちはそうでもないんだが…?』
『急で草』
『ふしみくんどうした?』
『いい天気でしたね!朝から豪雨です!』
ほら、案の定だ全然ダメ。でもそのダメさを伏見クンは慌てて後ろ手に隠さない。穏やかに受け入れて「あはは、配信って難しいなあ」って優しく笑えるから、リスナーのみんなも『そうだねぇ』とか『これから萌えみんって呼ぶ…』とか『縁側ぽかぽかタイム』とか『ふんわりふしみん』って、安心しながらコメントを送れるんだ。
涙を拭いて、伏見クンをじっと見つめた。リスナーのみんなと喋る伏見クンは穏やかで、優しい笑顔で、時折照れたり困ったりしながら、なんにも気負わずゆっくり言葉を紡ぐ。
…悔しい。悔しいのに、心地良くて敵わない。いいな、伏見クン。素敵な人だな。…いいな。
「太一、もう代わって。ギブアップだ」
「……ひひ」
両手を挙げて降参のポーズをするこの伏見クンを、こんなに愛くるしい彼の全てを、リスナーのみんなはカケラも見れない。
ちょっとだけ優越感が湧くから、また自分のことを少しだけ嫌いになって、だけど嬉しい気持ちが消えてくれなくて、唇の内側を強く噛んだ。
「…太一」
「ん?」
「……それ、いい顔」
伏見クンは配信のことなんかまるで忘れちゃったみたいに、俺だけを真っ直ぐ見ていた。レンズがこちらを向く。伏見クンの人差し指がシャッターを押す。
どうしてだろう。今たしかに、時が止まった気がしたんだ。
「…いいの撮れた?」
「うん、すごいのが撮れた」
見つめ合って、小さく笑い合って、二人だけの内緒みたいに。
心地良い、不思議だ。この人といると取り繕わなくてもいい。無理しなくていい。頑張らなくていい。吸って、吐いて、思うままに息をしていい。
『おーっと』
『なにが始まってしまったんだ』
『腐女子ワイ歓喜(感涙)』
『えちえちなんだが⁉︎』
コメント欄がそんな内容でたくさん更新されるから、俺は慌てて釈明をするのだった。
翌日。俺は昨日スクショした配信リザルト画面を何度も見返していた。
入室人数、もらったギフトの総ポイント数、コメント数、いいね数。その全てがいつもの配信を大きく上回っていた。嬉しい。気持ち良い液体に体中がじゃぶじゃぶ浸っているみたい。
昨日だけでフォロワー数が五人も増えたし、参加しているイベントの順位も二百くらい上がった。こんなことは今まであったか?いや、ない。
『今日も撮っていいか?』
スクショ画面を見つめていたら伏見クンからラインが来たので、俺はすぐさま『いいッスよ』と返事をした。あ、またカメラに足が生えた生き物のスタンプ。しかもまたこの前と同じ「thanks」ってやつ。何で伏見クンこの一つしか使ってこないんだろ、それを考えてたら人知れず笑ってしまった。
今日も大学が終わった後、一緒に俺の家へ向かった。どうせなら違う場所で撮影する方が写真のバリエーションが増えるから良いんじゃないかと思ったけど、伏見クン曰く「いつもの場所ってのが良いのを撮るコツなんだ」だって。
今日の枠タイは『昨日に引き続き』にした。配信開始のマークをタップすると、十秒くらいしてすぐに数人が入室してくれた。
「あ、みんなヤッホー。来てくれてありがとー!」
伏見クンが隣でぺこりと頭を下げて、俺につっこまれる前に「あ、見えないんだった」と自分で笑った。もう、その笑った顔ずるいよ。毒気を抜かれてしまう。
『たいちやぽやぽ』
『もしや今日もふしみんおる?w』
コメントを目で追いながら「あは、伏見クンいるッスよ〜」と答えた。
「あ、どうも。今日もお邪魔してます」
伏見クンがそう言うと、リスナーの一人が『やはり声良〜〜〜』とコメントした。うん、わかる。わかるよ伏見クンの声超いいッスよね。俺は、でも、多分、言われたことないけどさ。
『ふしみくんは垢作らないの?』
『ワイもそれ思ってた』
コメントを見て、俺は伏見クンに「だって。作ったら?」と促してみた。
「はは、作らないかな。喋るの上手くないし」
『え!そんなことない!』
『配信してくれたら絶対行くんだが⁉︎』
わかる、伏見クン配信を始めたらいいのにって、だって俺もちょっと思ったもん。だけどきっと俺と伏見クンが同時に配信をしたら、みんな伏見クンの方へ行くんだろうなって未来も見えた。だから言葉にしないまま、人知れず打ち消したんだ。
「そーッスよねー、あは」
『ふしみん結構人気出そう』
『わかりみ』
『ガチ恋湧きそうみある』
「…あは…」
あ、やばい気をつけろ。自分の中のどこかで警報が鳴っている。なんで?やめてよ楽しい場で。でも、だって、じわじわと黒いものが近づいてくる。このままへらへら笑ってたら、お前絶対爆発するぞって。
…大丈夫、今までいっぱい配信で取り繕ってきたじゃないか。できるよ、こんなことくらいでいちいち、怒ったり傷ついたりしない。
入室者の数は昨日同様増え続ける。今まで毎日配信を続けてきた俺の記録が、伏見クンと二人ってだけで簡単に塗り替えられていく。簡単に、伏見クンが俺を追い越す。
『ふしみたいちコンビ好き』
まだ二回目なのに。まいにち配信を三桁超えた俺と、まるで隣に並んでるみたいに言うんだね。
『ふしみくんって彼女おるん?』
そんなことがもう気になる?アバターすら用意してない声だけの存在なのに?
『赤枠投げてしまう自信しかない…』
俺に投げてくれたことないのに、そっか、俺が聞いてる前でそんなこと言えちゃうんだね。
『ふしみん配信しなくても良いからとりま垢作ってほすぃ』
ねえ、そんな風に俺に思ってくれたこと、今まで一度でもあった?
『たいち!頼む!ふしみんをこの沼に落とすんだ!』
へえ、俺が?誰に見向きもされないこの俺が、自分の脅威になり得る存在をわざわざ自分から、誘えって?
「…あは、そうだね、いいかもね」
持って生まれたものがある。それは仕方ないことだ。俺だってわかるよ俺の話し方より伏見クンの方が絶対人気者になれるって。コメント拾ってほしくなるもんね。構ってほしくなる話し方してるもんね。赤枠投げたくなるよね支えたくなるよね推したくなるよね、わかる。わかる。…わかるよ。
「……じっくり時間かけて説得してみるッス。しばしお待ちを」
手を合わせるエモートでアバターを動かして、やっとの思いでそう答えた。今日はもう枠を閉じた方がいいかも。たぶんこの後も上手いことは何一つ言えないだろう。
「…太一?」
伏見クンが俺の顔を覗き込んでくる。夕焼けの手前みたいな色の瞳が、心配そうに俺を見ていた。
「なに?」
「どうした?腹痛いか?」
「別に?」
「気持ち悪い?」
「全然?」
しまった、ミュートにしとけば良かった。だってリスナーにこの問答を聞かせたら、今俺が変な顔をしてるんだってバレてしまう。伏見クンを通して間接的に、バレてしまう。
「あは、俺のことはいいから。ほら、みんな伏見クンのこと知りたいんだって!」
明るく笑って伏見クンの肩を叩く。でも伏見クンはコメントを一つだって拾わないまま、ずっと俺の方を見ていた。
『にゃ、たいちどしたの?具合悪くなちゃた?』
ほら、伏見クンが変なこと言うから。リスナーにも余計な気を遣わせちゃったじゃん。
『ふしみんに心配されるたいちきゃわわ』
入室人数、十五分で十六を突破。過去、俺が一度だけ十五分でぎりぎり二桁に到達した最高記録が、容易く更新された。
『ふしみくんに心配されたい…』
『ふしみくん!私もお腹痛いデェス!』
『ふしみんに心配されたい人の列はこちら』
『wwwww』
「………」
みんな、こんなにも俺のことがどうでもいい。ちょっと日を空けただけできっと「誰だっけ?」「なんだっけ?」「そんな人いたっけ?」ってなるに違いない。百日以上まいにち配信を続けた俺より、たった二回ゲスト参加した伏見クンの方が心に残るんだ。また会いたくなるんだ。
わかるよ、だって、俺が一番そう思ってるもん。俺だってリスナーだったら、きっと思うもん。
言ってあげようか?今みんなが思ってる「さすがに言わないけど」で始まるセリフ。
『たいちより、ふしみくんが配信した方が良くね?w』って。
「あのさあっ」
少しだけ大きな声を出した。腹から出した声は部屋中に響いて、空気の震える「キン」という音がした。
「これさあ、仮にもさあ…俺の枠なのにさぁっ」
やめろ、閉じろ、×のマークをタップして配信を閉じろ。
「こんなさぁっ、あは…惨めな思いしなきゃいけない理由ある…?」
やめろってば。せめてミュートしろ、マイクのマークを指先で触るだけでいい。ほら、早く。
「俺が…せめて、いない時にさ、そうゆうのやれば良くない?ねえ」
認めてもらえない自分を、才能のない自分を、一握りになれない自分を、誰かのせいにするな。悲しい気持ちを攻撃に換えるな。誰かに放つな。お前が選ばれない原因は、選ばないみんなにじゃなくて、お前の中にあるんだよ。太一。
「……俺のっ、俺の邪魔しないでよ伏見クン!」
結局全部攻撃に換えて、撃たれる理由の一番ない人に全弾、撃ってしまった。
なんちゃって、俺っちってば何言ってんスかねあはは。…ほら、笑えよ。取り繕え。今まで何度も取り繕ってきただろ。泣いてないで笑えよ、お前のことなんか誰も気にしてないんだから、せめて笑って人畜無害を振る舞えよ。
「……そうだよな、ごめん」
ああもうだめだ。伏見クンが謝ってしまうから、ほら、加害者確定だ。もう、最悪だ。
「太一の大切な場所なのに俺、出しゃばりすぎたよ。ごめんな」
「………」
スマホの画面にちらと目を向ける。コメントの更新速度はだいぶ落ちて、だけど数人、なにか発言をしてくれていた。
『おぁ、たいち〜ごめんよ…』
『全員土下座だ!土下座しろ!』
「……」
持って生まれたものがある。それは仕方のないことだ。
仕方ないのに、ずっと踏ん切りがつかないまま生きるから、もしかしたらって夢を見るから、ワンチャン俺にもって期待するから、こんな思いをする。
諦めようよ、もういい加減。手に入らないよ。笑顔でほら、一握りの人間に差し出してあげようよ。そしたらもうこれ以上、自分のこと嫌いにならないで済むよ、太一。
「…変な空気にしちゃった、ごめんッス!今日はこのへんで!またね〜!」
鼻を啜る音だけは絶対に聞かせたくなかった。泣いてるって思われたくなかった。配信終了と同時に涙を袖で拭って、思い切り鼻水を啜って、伏見クンへ向き直る。
「あは、今日もうおしまい」
「…うん」
「帰って」
「太一」
「帰って」
もう、ごめんねって言わないで。俺なんかにごめんねって言わないでよ。突っぱねて、針で刺して、喚いて汚して、ほら俺が泥水全部かぶるから。伏見クンは綺麗なまんまでどっか行ってよ。俺のこと忘れてよ。
「…うん、帰るよ。また明日」
伏見クンはそれだけ言って背中を向けた。靴を履く音、玄関のドアが開いて閉まる音。一度も視線を寄越さないまま、俺はただスタンドに立てられたスマホの画面だけを見ていた。