クズどもに捧ぐバラッド

アンコール



 調味料のやたら揃ってる台所。あれはどの料理に使うんだろうとか、これはどんな味がするんだろうとか、見たことも聞いたこともない横文字に思いをめぐらして、二つのカップ麺をシンクの上に並べる。
「……なんでカップ麺…」
呟いた独り言は、絶賛片思い中のある人へ向けた小さな疑問だ。プロ級の腕前を持つその人からさっき、とあるラインが届いた。
『たいちと同じもの食べたい』
…。あのねえおみクン、クズなニートをナメてもらっちゃ困るんスよ。一人の時の俺が何でもいいからと食べるご飯なんてね、そんなのカップ麺かカップ麺かカップ麺って、相場が決まってんスよ。
 冗談のつもりで、一番お気に入りのカップ麺の画像と共に『じゃ今日はこれかな〜』って送った。そしたら返ってきた返事が『いいな』『うまそう』『二つ買っておいて』なんだもん。おかしい。絶対おかしいあの人。
 ツッコんでもらえなかった冗談を思い返して、小さく笑う。ホント変なの。俺と同じもの食べたいとか言っちゃってさ。…かわいいな。
 帰りはきっと遅いだろう。今日が最後の出勤なんだって、笑ってたから。

 ホストのおみクンは、俺と出会って二ヶ月くらい経った頃その仕事を辞めることを決断した。理由はいくつかある。そんなに無理して金を稼がなくても良くなったこと、全然向いてなくて実はずっとしんどかったこと、あとはそれから、俺がおみクンを好きだってこと。
「へ、でも俺全然平気だよ?好きな人が他の人と寝てても全然オッケー」
それは間違いなく本音だったのに、おみクンは眉尻を下げて困った顔をした。
「…俺が嫌だな。俺のこと家で待ってる人がいるのに、他の人と飲んだりなんだりするのは」
「…そーゆーもん?」
「うん。そーゆーもん」
誤解のないよう言っておくが、この人は俺のことを一度振っている。…いや一度じゃないな。この前のアレとかその前のアレとか入れたら、多分もう五、六回は振られてる。

 同性との恋愛、考えたこともないんだって。まあでもさ、それは薄々わかってたし。わかってて好きになっちゃった俺にも非があるし。それで、じゃあしょうがないって出て行こうとするんだけど、それは何でか毎回必ず止められる。
 行かないでって。そばにいてって。段ボール箱から前足だけ出す犬みたいにおみクンは、いつも俺に縋る。
「…えー…マジで超ズルいんスけど…」
「ズルいかな…そっか、そうだな。すまん」
「…あからさまにシュンとするのやめてよ…」
「……たいちはさ、ズルい俺、いやか?」
「………」
い、いやじゃねぇぇぇ〜〜〜。超ズルい超好きもうやだ大好き。
 本音はグッと胸の中に仕舞い込んで、項垂れたおみクンの前髪あたりを撫でる。一人が寂しいこの人は、こうやって俺をそばに置いておく。だけど誰とも繋がりたくないこの人は、同時に俺を、いつもやんわり突き放す。
「おみクン、俺っちを恋人にしたらさ、あれだよ?出て行くとか言わなくなるよ?俺」
「ん?はは。うーん」
「どうする?そろそろ付き合う?出て行かれるのイヤでしょ?」
「でもたいち優しいからなぁ。行かないでって言ったら、ちゃんといてくれるの知ってるし」
「いやもう次は分かんないッスね〜そろそろ仏の顔も剥がれそうッスね〜」
「あはは、仏の顔か。たいちはもっとずっとかわいい顔してるよ」
「……」
ね?ほら、超ズルいでしょこの人。全部はぐらかして全部誤魔化して全部笑って全部流すくせにさ、挙げ句の果てに最後、俺の目だけを見てこう言うんスよ。
「…まだ一緒にいたい。そばにいて」
こんなセリフを、まっすぐ目を見て言われちゃったらさ。無理でしょ、もう。いるよもう。いくらでもいるよ俺でいいなら。セックスもキスもデートも、なんもできなくても、ずっとそばにいてあげるよ、おみクン。
 いやはや俺っちってば優しい。優しいにもほどがある。見込みがない片想いをぶら下げたままやっぱり今日も、きっと明日も、この人を待ってあげちゃうんだから。

「……おっそ…もう先に食べよっかな」
午前五時。最後の連絡から六時間は経ってるのに、おみクンからの新たな連絡はない。動画を観たりギターを弾いたりするのもいい加減集中力が切れてきた。
 もういいやと呟いて、二つ買ったカップ麺の一個にお湯をはる。スマホで五分測って、口先に挟んだタバコをプラプラさせながら、横浜家系ラーメン屋が監修した最高級の一杯が出来上がるのを待つ。
 先に食べるなんて酷いとか言われたって知らない。知らないからねおみクン。こっちは六時間待ってんスよもう。
 それで、完成まであと四十秒というタイミングだった。スマホに表示させたタイマーが急にラインの呼び出し画面に変わって、緑と赤の丸いマークの上に「おみクン」って四文字がデカデカと現れた。
「……タイミング悪ぅー…」
愚痴をこぼして通話ボタンをタップする。耳にあてると向こう側から、ベロベロに酔ったおみクンの声が聞こえた。
「…ふふ、たーいちぃ」
「ふふじゃないんスよ…」
「遅くなった、ごめんな」
「あーいい。いいッス別に。もう俺先にラーメン食べとくからね」
「ラーメン?へえ、ラーメンかぁ。いいなぁラーメン。最近食ってないなぁ」
あ、さてはこの人カップ麺のやり取り忘れてるな。マジで有り得ない、なけなしの金でわざわざ合計七百五十六円も出して二つ買ってあげたって言うのに。
「…で?なんスか。帰れなくなったの連絡?」
酔っ払いに小言を言っても無駄である。心を無にしてそう尋ねると、スマホの向こうでおみクンはヘラヘラと笑った。
「うん。全然歩けない。すごいんだ、右の足出そうとしたらな、左の足が前に出るんだよ」
「………」
「それで、おかしいなぁと思って自分の足を見るだろ?そしたら次はどっちの足出すんだっけって、わかんなくなるんだ」
それなりにしっかり喋れてるのに言ってることが頭おかしい。これは相当酔ってる。まともに帰ってこれないだろうな多分これじゃ。
「あのさおみクン、今日はお店に泊まらしてもらいなよ。帰ってくるまで俺っち家で待っててあげるから」
「そぉんなこと言ってたいち、あれだろぉ。黙って出て行っちゃう気だろぉ」
「出てかないよ、出てかないから」
「それでまぁた路上で誰か引っ掛けて。誰かにお持ち帰りされて。俺のことサッサと忘れて。知ってるんだぞ俺はぁ」
「もう分かった酔っ払いに付き合ってたら麺伸びちゃうから!切るよ」
「待って、切らないで」
ほら、またこれ。フラフラして全然捕まってくれないくせに、俺から線を引こうとするとそれはやめてって懇願する。必殺・手の平返し。世界で一番タチが悪い。
「…切ってほしくないなら、早く帰ってくれば?」
ちょっとムカついたから、仏の顔を半分剥がした。だってラーメン伸びちゃうし。お腹空いてきちゃったし。いい加減振り回されてばっかりだし。
「うまく歩けないんだ、どうしようたいち」
「知らないッスね〜意地で帰ってくれば?」
「本当なんだよ、水も飲んだしタバコもいっぱい吸ったのに」
「へ〜まあ頑張れば〜?俺っちもうラーメン食べるから」
「……あ」
急におみクンの声が、変にくぐもる。それからガシャとかドサとかガチンみたいな音が続いて、ちょっと遠くからおみクンの嗚咽が聞こえた。
「…おみクン?え、おみクン?だいじょぶ?吐いちゃったの?」
呼びかけるのに返事がない。吸いかけのタバコを水道水で慌てて消した。ちょっと待ってよもう、なんなの、どんだけ心配かければ気がすむのこの人。
「おみクンってば!今どこ?一人なの?お店の人近くにいないの!?」
何を言っても帰ってくるのは無言だけ。どうしよう、店の近くとかだったらいいけど、夜道で一人ゲロって倒れて、頭打ったり血流したりしてる可能性も、なくはない。迎えに行きたいけど居場所が分からない。ハラハラしながらおみクンの応答を待つ。とにかく名前を呼んで、とにかく返事を待つ。
「ねえって!おみクン!今どこ!?」
「………たいち」
やっと返ってきた声、その弱々しさに心臓がきつく縛り上げられる。待ちぼうけとすっぽかされのダブルコンボでこっちはもうボロボロの筈なのに、この声を聞いちゃったらてんでダメなんだ。
 好きだから悔しい。悔しいけど好き。悔しくて、だけど好きで、ちょっとだけ泣きたくなる。
「……迎えに来て」
「…あ〜もうだから!今どこってば!」
「××ってネカフェの、道路挟んだ反対側」
「××?あの信号の脇のとこ?わかった行くから!」
「ほんと?」
「待っててよちゃんと!そこいて!」
「…うん、倒れて待ってる」
通話が切れるのと同時に盛大な溜息がこぼれた。ついでにちっちゃい舌打ちも。なにが「倒れて待ってる」だ、そんなこと言われたら!全力疾走しちゃうじゃないッスか!
 財布とスマホをポッケに突っ込んで俺は部屋を飛び出した。湯を注がれたラーメンは結局、誰にも食べてもらえないまま放置プレイだ。あーあ可哀想。あーあやだやだ俺みたい!

 ××ってネカフェはこの部屋から歩いて十分、走れば五分の場所にある。その道のりを三分で駆け抜けた俺は健気だ。健気にもほどがある。誰か褒めてほしい。
「…はぁ、はーっ…おみクン」
おみクンは通話で言ってた通り、道の脇に倒れていた。仰向けで目を瞑って、今日もらったものなんだろうか、いくつかの花束を枕がわりにして具合の悪そうな呼吸を繰り返していた。
「おみクン、来たよ」
しゃがんで頬っぺたを触る。指でつつくとおみクンの瞼が微かに開いて、その奥の瞳がウロウロと俺を探した。
「……たいち」
「帰るよ」
「立てないんだ、どうしよう」
「立てるよホラ気合い入れて。あ〜もうダメじゃん花束こんな枕がわりにしたらさぁ」
うなじに手を差し込んで体を起こそうとすると、臣クンが「うぇ…」と呻き声を上げた。
「たいち…吐きそう」
「は〜…じゃあ吐きな。寝ゲロしたらスーツ汚しちゃうから、ほら、頑張って下向いて」
「…あっち向いててくれ…本当に出る、見ないで」
「はいはい目つぶってるから大丈夫」
薄目を開けながらおみクンの広い背中をさする。電信柱と壁の隙間に嘔吐したおみクンは、吐いた後もしばらく辛そうな呼吸をしていた。
「水は?持ってる?」
「……全部飲んじまった…気持ち悪い…」
「買ってこよっか?ここで待ってられる?」
「……」
え、首を横に振られてしまった。どうしよう困った。
「行かないでたいち」
「…わかった。じゃあもうちょっとね」
「ずっといて」
「はー。はいはい、いるいる。太一くんはー、ずーっとここにいるッスよー」
頭を撫でて、あやして、ついでに鼻歌も歌ってあげた。
 …最近のおみクンは顕著だ。ガタガタでグズグス。ダメダメでボロボロ。
 だって生きる指針にしてたものが、急になくなっちゃったんだもん。しょうがないよね。

 ずっと、死んだ親友のご両親に慰謝料を払ってた。そういう人生をずっと生きてた。それはおみクンの償いで、それこそがおみクンの生きてる理由だった。
 だけどある日唐突に言われた。親友のお父さんに「もういい」って。「忘れてください」って。それだけが生きてる理由だったのに、それだけになっちゃってから手を離されたんだ。かわいそうな話だし、ひどい話だし、腹の立つ話でもある。
 部外者だった俺は、部外者だからこそなんのてらいもなくおみクンに伝えた。泣きながら歌を歌って、おみクンに必死でお願いした。死なないで。好きだからそばにいたい。生きててほしい。いなくならないで。どこにも行かないで。
 全ての荷物を失ったおみクンは、空っぽのまま今を生きてる。一歩踏み違えたら「死んでもいいか」になっちゃうこの人の、だから俺が、たった一つの荷物になるって決めたんだ。
 死なないで。生きてて。そばにいてよ。そばにいてくれなきゃ俺、泣いちゃうよ。「困ったな」って言ってくれていい。「面倒だな」って思ってくれて構わない。なんでもいいから生きてて。その為なら例え邪魔だと思われたっていいんだ。たった一つの、邪魔な荷物になるよ。なれるんだよ、おみクン。
 ホントのところ、ずっと縋ってるのは俺だ。この人が勝手にどこかへ行かないように、どこにも行けないように。おみクンはズルいから笑ってそっと線を引く。だけどホントに優しいから、今日も生きてくれている。

「……すまん。本当に…家まで歩けそうにない」
「うーん、どうしよっか」
「…風呂入りたい…」
「困ったな…さすがにお風呂ここに持ってこれないよ俺」
言いながら、ふと気付いた。信号の向こう側にあるお店。そうだよあれはネカフェだったじゃないか。
 看板を見上げる。ダーツ・ビリヤード・カラオケ・コミック・インターネットの他に、うん見つけた。シャワーって書いてある。
「おみクンほら、シャワーあるって」
背中をトントン叩いて看板を指さす。おみクンはヨロヨロと首を持ち上げると、死にそうな声で「ほんとだ」と言った。
「信号渡るだけなら頑張れる?ね、頑張ろ。ほら」
潰れた花束を片手にぶら下げ、脇の下に頭を突っ込んでおみクンの上体を持ち上げる。酒とヤニとゲロが入り混じった匂いがして最悪だったけど、もういい、全部許す。生きててくれればなんだっていい。
「シャワー浴びて、水分とって、仮眠とって。ね、おみクンほら!もうちょいだよ」
「……うん」
「おみクンならいけるッスよ〜出来る男だ頑張れ〜…おっも!」
「……うん…」
こうして、ヨレヨレでグダグダのおみクンをなんとかネカフェへと運んだ。マジで重いしマジで疲れた。俺っち偉い。誰でもいいから褒めてほしい。

 おみクンの図体じゃシングルサイズのブースはキツイだろうなと思い、値段が張るけどVIPルームを取ることにした。ちなみに俺の所持金では到底足りない。ここが後払い制のネカフェで良かった。仮眠とってちょっとマシになったおみクンに、後で遠慮なく払わせることにしよう。
 無人の受付機で操作を終わらせた後、おみクンを引きずってVIPルームへ向かった。この××ってネカフェは他の店舗を何度も使ったことがあるから、諸々な勝手を俺はばっちり知っている。ブース内におみクンを寝かせ端っこに花束を置いた後、おしぼりと常温水と氷水と白湯をトレイに乗せて運んだ。俺の動きは完璧だった。まるでテキパキ仕事のように介抱する俺を、どうか誰でもいいから褒めてほしい。
「おみクンほら、水飲む?」
紙コップを乗せたトレイをキーボードの奥に置き、まずは常温水を差し出す。おみクンは力なく頷いて、ゆっくり体を起こした。
「…ここ、どこだ…?」
「ネカフェ。俺お金持ってないから出る時おみクンが払ってね。はい水」
「……ありがとう…」
最初はユルユル飲んで、だんだん勢いをつけてガブガブに変わる。空のコップを返され、俺は二杯目に白湯を渡してあげた。
「ちょっと楽になってきた?」
「…うん、だいぶ」
「そっか良かったね。じゃあちょっと休んだらシャワー行こっか」
「……うん」
素直である。メチャクチャかわいい。そうだった酔っ払うとこの人の可愛さは二割増になるんだった。厄介である。
 差し出されたものを大人しく飲むと、おみクンは壁に背中を預けて長く息を吐いた。うん、たしかにさっきより呼吸が楽そう。水が効いたかな、もう吐かないでくれることを祈る。
「…あれ?俺…臭いな」
「うーん、まあまあ」
「たいちが来る前も二、三回吐いた気がする。今日な、すごかったんだ。ヘルプ五人くらい入って」
「ふうん?盛り上がった?」
「ああ盛り上がった。ドンペリ二回入ってさ、歌わされたしコールも入ったし」
「さっすが売れっ子〜」
「エンジェル入れてくれた子もいたんだ。最後だからって。何杯飲んだかな今日」
「モテる男は格が違うッスねぇ」
おみクンに背を向け、インターネットブラウザを立ち上げる。さすがVIPルーム。液晶がやたらに大きい。
「……はー…やっと終わったー…」
背中越し、おみクンが安堵の声を漏らした。…見なくてもわかる。きっとボロボロの顔で今、眠るように目を瞑ってる。
「…お疲れ様。頑張ったねおみクン」
振り向いて、おみクンへ手を伸ばす。数年続けた慣れない仕事を、今日までホントに一人でさ。大変だったね。よく頑張ったね。
 スタイリングが崩れかけた頭を撫でたらじっと見つめられた。それで、その後なぜか優しく微笑まれた。
「…それ、もっと言って」
「……」
あ、今。やばい、今やばかった。メチャクチャどきっとした。
 動揺を悟られないようことさら明るい笑い声をあげ、頭を撫でる手の速度を限界まで速くした。
「へへ、超偉いッスよおみクン。ヨッ日本一!ヨッ男前!」
「はは。そんなコールみたいなやつじゃなくてさ」
撫でる俺の手を取って、握って、指を絡められた。え、なに、なに急におみクン。
「……頑張ったねって。俺のこと褒めて」
飴玉みたいな黄色い目に、心を全部握りつぶされる。心臓がうるさい。急に困るよ、やめてよおみクン。…ねえ、好きなんだってば。やめてよ。
「…ガンバッタネ」
「あはは、棒読みだな」
「だっ、おみクンが急にホストモード全開にしてくるから!」
「へえ。…そっか、たいちはこういう俺が好き?」
「ハ!?こういうってどういう!?全然わかんないッスね!」
「あはは真っ赤」
からかわれているこれはもう完全に。さっきまであんなにグズグズだったくせにこの男は、ホント腹立たしい油断も隙もない。
「てか臭いし!遊んでないでシャワー行ってよ!」
「はは、確かに。よし、行ってくるよ」
おみクンは立ち上がり際、俺の口に勝手にタバコを一本刺すと何がそんなに楽しいのか、笑顔で頭を撫でてきた。
「これやるから、戻ってくるまでどっか行っちゃだめだぞ」
「……」
言われなくたって、いる。お願いされなくたっているし。全然いるし!なんなんスかマジで、やめてよ俺で遊ばないで!言いたいことは山ほどあるのに何でだろう。結局俺の口からこぼれたのは「うん」って、いたって素直な返事だけだった。
 扉が閉まるのを確認してから、デスクトップ前のスペースに頭を垂らして額をぶつける。勝手に口に刺されたタバコのフィルターを噛んで、火をつけないまま項垂れる。
「……ホント無理…」
そう、ホント無理なんだこんなの。どんどん好きになる。実らない片思いが、どんどん膨れる。
 やめておみクン。好き。モーションかけてこないで。大好き。苦しいよ、じっと見ないで。おみクンの目大好き。迫ってこないで。でもずっとそばにいて。もう俺の心はメチャクチャだ。

 十五分くらい経った頃、シャワーを浴びてスッキリした様子のおみクンがブースに戻ってきた。たぶんフロントで買ってきたんだろう、上半身は無地の白いシャツに着替えられていた。
「はあ、スッキリした」
やたらご機嫌なおみクンにスーツはどうしたのって聞いたら、シャワールームの奥にあったコインランドリーで回してる、だって。ちゃっかり駆使してるじゃないッスか。
「すごいんだなネカフェ。もう住めちゃうよなぁこんなの」
「そりゃ、ホントに住んでる人もいるしね。俺も昔二ヶ月くらい家にしてたもん」
「へえ、そうか。便利なもんだなぁ」
「……」
隣に腰掛けるおみクンが、さっきからやたら近い。なんなんだ本当に。俺は目が合わないようデスクトップ画面を凝視した。
「なぁたいち」
「なに」
「たーいち」
「だからなんスか」
これ絶対また俺で遊ぶやつじゃんと察知して、だから決して画面から目を離すもんかと胸に誓った。一瞬でも見たらだめだ。全部根こそぎ持ってかれる。
「何見てるんだ?さっきから」
「弾いてみた動画。練習中のやつあるから」
「へえ。俺も見たい」
「うんいいよ」
左に寄っておみクンとの間に隙間を作る。どうぞって意味で場所をズレてあげたのに、隣から聞こえる「たいち」は、やけに寂しそうだった。
「…怒ってるか?」
別に怒ってない。…でも、怒ってないとは言いたくない。だって、だってやっぱりしんどい。好き放題振り回されて、なのに何かを期待しちゃいけなくて、だけど黙って離れるのは許してもらえないなんて。
 しんどいし、本音を言うならやめたい。でも俺がやめたらおみクンは荷物を失くしちゃうからさ。…言わないけどね。
「……ラーメンがさ、おみクンのせいで台無しッスよ」
「ん?」
「俺お湯入れちゃってたのに。今頃ブヨブヨになってるよ。高いのにあれ。もったいない」
本音から少しだけズレたところを狙って愚痴にした。おみクンは数秒考えた後やっと思い出したんだろう。「ごめんな」と素直に謝った。
「俺から言ったのにな。ごめん、たいち」
「別にいいけど?もう一個の方はお湯まだ入れてないから帰って食べればいんじゃないッスか、おみクンが」
動画一覧をスクロールしながら、放り投げるように言ってやった。これくらいの意地悪は許してよ。こっちだってさ、慈善でも無償でもないんだから。
「…たいち」
「なーにって」
「こっち向いて」
「……」
こんなのまるで、終わりのやってこない追いかけっこみたい。俺から迫れば逃げるくせに、俺が投げ出す素振りを見せると途端に距離を詰めてくる。
 ずるいよ、もう。おみクンのバカ。
「……」
目をこれでもかと細めて睨んだら、追い討ちの「ごめんな」と一緒に微笑まれた。騙されないよって更にキッと睨んだら、トドメの「やっとこっち見てくれた」の追撃。結局折れるのは俺なんだ。
「帰ったらラーメン一緒に食べよう」
「二人で一個じゃ足りないんじゃない」
「俺がブヨブヨの方食べるから。な」
「いいよそれは別に。捨てればいいじゃんそれは」
 唐突に、マウスの上に乗せてた右手を握られた。脈絡のないおみクンの行動に、俺の心臓は魚みたいに跳ねる。
「…捨てないよ」
「……」
「絶対捨てない。たいち」
真に受けちゃいけないのに。どうして俺は分かってて、それでもおみクンの言葉に微かな期待をしてしまうんだろう。恐る恐る目を合わせたらおみクンの顔がゆっくり近づいて、俺に影を落とした。
「…たいち」
「…あ、分かったコレあれだ、またカメラ構えるヤツでしょ!」
この土壇場の中、ギリギリで思い出せた自分をマジで褒めたい。そうだよ二度も同じ手には引っかからない、さすがに俺もそこまで馬鹿じゃないんスよおみクン!俺がまんまと目を瞑ったところを見計らって「今のいい顔」とか笑うやつでしょこれ、分かってるんだから!
 おみクンの先手を打てたと思った俺の予想は、だけど大はずれだった。おみクンはそのまま額がくっつくまで顔を近づけて、俺の鼻のてっぺんに、唇を当てたのだ。
「……へ」
「…キスしてみたいな。たいちと」
「……え?」
なにこれ。え、この人なに言ってんの。ついに頭がいっちゃったのかとか、まだ実はベロベロに酔ってるんじゃないかとか、色んな考えが頭の中をめぐった。でもおみクンは一向に「なんちゃって」の種明かしをしない。それどころか顔を傾けて、後ずさる俺を追い詰めて、握った手の指まで絡めて、俺をじっと見つめてくる。
「…お、おみクン?」
「ん?」
「え、なん…なんで?」
俺の問いを、もうおみクンははぐらかそうとしなかった。
「したいと思ったから」
いいよって言う前に、口と口がくっついた。ビックリして思わず力のこもってしまった指を、おみクンがあやすように優しく撫でる。
 なんで。…なんで?おみクン、ねえ、なんで?
「……もっとしたい。いい?」
「へぁ、ま、待って」
「わかった。どのくらい待てばいい?」
いや待ってそういうことじゃなくて。いや、待って!なにこれ!なんで!?
「なっ、なんで!?」
さっきから同じことしか言えないし、状況を整理しようにも唐突過ぎるし、それ以前に全然頭が回らないし。
 わからない。ホントに一つもわからない。今までずっとはぐらかしてきたじゃん、誤魔化してきたじゃん。なのになんで笑わないの。ねえおみクン、いつもみたいに。なんで?なんでよはぐらかせばいいじゃん。…ねえ、おみクン。見ないでよこれ以上。
「したいからって理由じゃダメか?」
「だっ…だ、ダメって言うか…だっておみクンが、い、言ってたじゃん」
「なにを?」
距離が近い。だめだ捕まる。このままじゃ訳もわからないまま、この人に全部捕まってしまう。
「だ、だから!同性とは考えたことないって!言ってたじゃん!」
やっとの思いで叫んだら、今度は空いてる方の手で頬を撫でられた。手のひらからおみクンの匂いがする。やだよ、やめて。
「うん。今日、今この瞬間から考えてみようと思って」
ツッコミどころ満載の答えを大真面目な顔して言っている。なんなんだこの人。詐欺師だ、ペテン師だ、嘘だこんなの。
「もう一回したい。…ほら、待ったよ。もういいか?」
「ま、え、ダメ」
「もう待った」
「だ、だめ…」
だから、だめって言ってるのに。
 おみクンは俺の言葉を遮ってもう一度キスをした。今度はさっきよりずっと長い。両手とも指を絡められて、何度も角度を変えられて、おかしい。唇と両手以外どこも触られてないのに。声が出そうで、必死でこらえた。
「…まつ毛震えてるよ、たいち」
「……」
そりゃ、震えるよ。なんなら手だって肩だって震えそうだよ。当たり前だ、だってずっと好きで、こんなに好きで、だけど絶対触れちゃいけないと思ってた人に今、キスをされてる。
「はは。…なんか動物みたいだ」
「…ね、ねえもうやめよ、やめとこ?おみクン酔ってるよこれ」
「酔ってた方がいい?ああ、明日になったら忘れたフリしてもらえるもんな。…じゃあ、酔ってることにしとこうか」
違う。そうじゃないよ。そうじゃないんだおみクン。だっておみクンは俺のこと好きじゃないじゃん。忘れたフリなんかされたい筈ない。そんな訳ないよおみクン。もっかいして。待ってやっぱやめて。お願い俺のことこれ以上グチャグチャにしないで。
「…もっとしていい?」
「……」
俺の返事なんかどうだっていいくせに、必ず聞いてくるところがイヤだ。言えないよ、もう言えない。突っぱねられない。その目で聞かれたら俺、ダメなんだよ。
 目を瞑って俯いた。それが精一杯だった。繋がれた両手を控えめに押し返すのに、やっぱり逃げたら追いかけてくるんだ、おみクンは。
 今度は下から掬われる。小さく漏れた声さえ見逃してくれないで、おみクンは俺の口を舐め上げた。
「…ぁ、待って…お、おみクン」
「ん?…うん」
「だめ、あ、ホント待って、舌ダメお願いやめて」
おみクンの舌先がしっかり意思を持って俺の中に入ってこようとするから、必死でそっぽを向いた。
「舌はダメか?…どうして?」
舌だけじゃない全部ダメに決まってる。でも、とにかく、舌だけはホントにダメ。
「……た」
「ん?」
「…勃っちゃうから…やめて…」
同性とヤッたことなんかないんだもん、きっとこれを言えば現実味が増して、おみクンはそっと手を引くだろう。
 …ホントは、手を引かれるなんて嫌だけど。泣きたくなるけど。でも明日全部なかったことにされるよりはマシだ。何にも覚えてないなって笑われるより、百倍マシだ。
「…ふうん。勃っちゃう?……「勃っちゃった」じゃなくて?」
片方の手が外れて、自由になったおみクンのその手が俺の太ももを撫でる。鳥肌が立った。背中がゾクゾクした。その先を期待した体が、俺に許可なく勝手に震えた。
「だめ、ぁ、おみクンだめ…」
「ん?…うん。でも「いいよ」って、顔に書いてある」
おみクンの手の甲が服越しに、俺の股間を優しく撫でる。全部バレてしまった。もう誤魔化せない。逃げたいのに、逃がさないでって思ってる俺が顔を出してしまう。
「…はは。嘘ついたなコラ」
「……あ」
「…俺とキスするの、気持ち良かったか?」
「……」
「言って、たいち」
「あ、やだ…」
「言って」
好き。この人が好き。世界で一番ズルいのに、世界で一番大好き。
「……うん…」
たった二文字の本当の気持ちを、声にしただけで涙が滲んだ。もう、好き。俺のこと好きじゃなくても好き。好きだよおみクン。ひどいねおみクン。…ひどいよ、大好き。
「嬉しい。俺も気持ち良かった。もっとしような」
しっかり予告して、おみクンはもう一度俺の唇を舐めた。手の甲が俺の股間をゆっくりまさぐる。声が出る。微かに口を開けたらすかさずだった、おみクンの舌が俺の中に入ってくる。
「あ、ぁ……」
「…知らなかった。たいちこういう声出すんだな」
言わないで、いちいち全部。俺のこと炙り出すのやめて。
「…たいちがさ、お疲れ様って言ってくれるだろ?あれ、俺すごい好きみたいだ」
「あっ、おみクンやだ、やだ…」
「そういう声も。…まいったなぁ、思ってたよりクる」
ディープの合間に口を離して喋るから、その度にヨダレの糸が伸びて光る。股間を撫で回す手がいよいよホックを外そうとするから、慌てて手首を掴んだ。
「だっ、ダメだってば。もうやめとこおみクン、もう無理」
「触りたい」
「だから、酔ってるから。酔ってるよおみクン、明日起きて後悔するってば」
「触りたい、たいち」
「…だからっ…」
「……触ってって言って」
鼻の奥がツンとして、涙が目に溜まる。ぼやけた視界の中、勝手にフォーカスされたおみクンの目に、いよいよ捕まる。
「言って」
耳元にねじ込まれた言葉で全部壊れた。ああ俺は一体なにを必死で守ってたんだろうって、途端に、分からなくなった。
「………触って……」
両手で顔を覆いながら伝えた。まるで二人きりの取調室、自白させられてるみたい。冤罪をかけられた人の気持ちってこんな感じなのかな。…いやどうなんだろう、違うかな。だって俺、冤罪じゃないかもしれないや。
 勝手と強引を押し売りしてくるおみクンは、それからとびきり意地悪な顔をして笑った。
 ホックとジッパーを外されて、下着一枚しか被ってないその場所におみクンの手が襲いかかる。俺を包み込んだおみクンの手は、やがてゆっくりと上下に動いた。
「…っ…ぁ、ぁ、ぁ」
口を半開きにしてると、さっきよりもっと強く、おみクンに口内を舐め回された。
「…たいち、どう?」
「あ…やだ、あ、ぁ」
「な、たーいち」
「や…あ…あ」
「はは。…悪い、返事どころじゃないよな」
舌の先端をくすぐられて、それから力のこもる舌で口の中をゆっくり抜き差しされる。ヨダレが絡まる音と一緒におみクンの手が上下する。
「だめ、だめ、だめおみクン、だめお願い」
「うん、何がだめ?」
「だめ、ぁ、あっ…」
「…そっか。直接触ってくれなきゃだめだよな」
違うのに。でも違わないかもしれない。もうわかんないんだお願い。ねえ勝手に舵を切らないで。待ってよ、俺を置いていかないで。
 言葉にならない不安は涙腺を叩くだけだ。嫌だと言えない俺をきっと知ってて、ズルい臣クンは、ホントにズルいから、いよいよ下着の中に手を入れるんだ。
「あっ、あ!…ぁ…」
「すごいなあ…ヌルヌルだ」
「…ぁ、やだよ…」
「格好だけまずは嫌がるのがいつものやり方?へえ、さすが。上手いなぁたいち」
粘る液を指で広げて、尿道を刺激して、おみクンがいよいよ本気で俺を追い詰める。すぐいっちゃいそうで後悔した。だってここ一週間くらいずっとオナニーとかしてなかったから。おみクン待ってる間に一回くらい抜いとけば良かった。こんなことになるなら、頭の中で目一杯おみクンを汚しておけば良かった。
「だめ、ぁ、だめ、あ、あ…あ、いく、いきそう」
「俺の手、気持ちいいか?」
「あっ……ん…」
何度か頷いたら今度は耳の縁を噛まれた。おみクンこそ、これがいつものやり方?ふうん、さすが。やっぱり上手いんだね。…だめだ、鼻で笑ってそう吐いてやりたいのに。言い返せない。
「いこうか、そろそろ」
「や、ぁ…離して、あ、離しておみクン」
「うん。すぐいっちゃうの恥ずかしいよなあ」
羞恥心を煽って、逃げ場を一つずつ俺から奪う。速さと強さを増す手は意地悪以外の何者でもない。だめ、好きだ、意地悪なおみクンも好きだ。
「あ、あっ、あ…いく、いく」
「うん見てるよ。……いいよ、たいち」
開いた足の中心がガクガク震えた。一番恥ずかしい瞬間はせめてキスで口を塞いでほしいのに、やっぱりそんなことしてくれない。
 おみクンは俺の股間をじっと見下ろしていた。自分の手の中で簡単に思い通りになる俺を、ただ静かに、見てた。
「あっ、いく、あ、ぁー……」
最初の瞬間から最後の一滴まで、全部見られた。おみクンの手が白く汚れて、あの独特の匂いが鼻先まで登ってくる。恥ずかしくて、情けなくて、みじめで、意味がわからないくらい気持ち良かった。
「……何人くらい?」
「へ……」
「たいちをこうやっていかせた人。俺で何人目?」
「……」
どう答えたら正解なのか、ちっともわからなかった。正直に答えるならそりゃ…五十から百の間くらいだよ。でも言えない。おみクンから同じような答えを聞きたくない俺に、それを答える資格なんかない。
「…知らないッスね」
そっぽを向いて、デスクトップ横に置いてあったボックスティッシュをおみクンに差し出す。早く拭いて、ゴミ箱に捨てなよ。丸めて捨てちゃいなよ、全部。
 おみクンは二、三枚ティッシュを取ると手についた精液を適当に拭いた。それからそのティッシュをゆっくり嗅いで、どうしてか笑う。ちょっと困ったように眉毛を下げて。
「うーん、自分と似たような匂いしかしないな」
「…なにそれ…」
「全然違うのかなと思って。でも同じなんだな、知らなかった」
「……いいから…もう、早く捨ててよ」
ため息と一緒にそう言ったら、一体なにを考えてるのかおみクンはそのティッシュに舌を伸ばした。舌先でちょっとだけ掬って、それを口内にしまう。いや意味がわからない。頭おかしい。俺は目を見開いた。
「ちょっ!」
「…へえ、こんな感じか」
「おみクン頭おかしいし!ねえ!?やめてよ!」
「すまん、どんな味なのかと思って」
「信じらんないマジで!最悪!最悪!!」
「そんなに言わなくてもいいのに」
ケロッとした顔とケロッとした声がむかつく。何を考えてるんだこの人は。理解不能だ。意味不明だ。まるで地球外生命体だ。
「…あのさ、たいち」
「…なんスかもう…」
「俺も」
「え?なに?」
「俺もやってほしい」
「……」
また俺は目を見開く。おみクンの言葉を頭の中でもう一度再生して、それからゆっくり視線を下ろした。おみクンは自分の股間に手を当てていた。
「…勃ってるんだ、俺も」
「…なんで?」
「なんでだろう、不思議だよな」
「……」
いや、いやいや、いやいやいや。ちょっと待って、不思議だよなではなくて。…ホントになんで?わかんないよ、ちゃんと説明してよ。
「…なあ、ここ」
「……」
断りなく俺の手を引っぱって、自分の股間を触らせる。確かにそれは勃っていた。おみクンは、間違いなく完全に勃起していた。
「舐めてほしい。たいちに」
「……」
「さっきちゃんと洗ったから」
「…いや、そういうことじゃ」
前触れなく唇が繋がって、お願いというメッセージのこもったキスをされた。唇が離れる度におみクンと目が合う。懇願されてる。俺の手をずっと、自分の股間に押し付けてくる。
「…たいち」
「……」
「舐めて」
おみクンの息が荒いせいで、みぞおちが苦しくなった。見つめられてドキドキした。ああダメだ、嬉しいとか思ってる。俺に萎えないでいてくれたんだありがとうとか思っちゃってる。
 おみクンが興奮してくれてるのが嬉しい。いいよ、もういい。いくらでも舐めるよ、舐めてあげるから、いっぱい気持ち良くなって。
 …今にも口をついて出そうな本音を死ぬ気で飲み込んだ。俺っちえらい。誰でもいいから褒めてほしい。
「……そんな、舐めてほしいんスか」
焦らすように聞いてみた。だってさっきあんな意地悪されたんだもん、このくらいの仕返しはいいよね?
 ねえほら、早く。切羽詰まった余裕のない顔でさ、おみクン。「舐めて」って。…もっかい言って。
「うん」
素直に頷いてくれるからますます嬉しくなった。ねえ好き、かわいい、大好きおみクン。
「舐められてイきたいの、おみクン」
「うん」
「…ここ、ベチョベチョにしてほしいの」
「うん、そうだよ」
三回素直に頷いて、それからおみクンは苦しそうな顔で目を瞑った。股間を俺の手のひらに押しつけて、まるで待てができない犬みたいに。でもホントはさ、俺も一緒。舐めたい。早くフェラしたい。…これを、早く、舐めてあげたい。
「たいち、早く」
「…全然堪え性ないなぁ、おみクン」
「うん、わかってる。…早く」
かわいい。こんなかわいい人きっと他にいない。歯車が噛み合ってないまま生きてるこの人は、まるでトンチンカンなリズムでメチャクチャな音程を鳴らす、壊れたアコギみたいだ。
 大好き。俺が鳴らしてあげる。他の人じゃきっと無理だと思うんだ。だからさ俺が、俺だけが、いっぱいいっばい鳴らしてあげるね。
「…立って、おみクン。膝立ちが一番好きなんだ、俺」
壁に背中を預けて、言われた通りおみクンが立ち上がる。ホントにこれ以上は待てないんだろう。俺がするより先にスラックスと下着を太ももの途中まで下げて、舐めやすいように足を半端に開いて、あとはもう舐めてもらうだけって体勢をおみクンはすぐにとった。
 勃起してるおみクン、初めて見た。ああ、予想してた通り。まっすぐで綺麗な形してるんだな、こっちもイケメン。下世話なことをぼんやり考えながら、根本を優しく両手で握った。
「…どういうの好き?」
「……わからない。たいちの好きなように、やって」
「そっかー…じゃ、すぐいかないでね。いろいろやるから」
「……」
後頭部を撫でられて、最後にちょっとだけ髪の毛をぐしゃっと握られた。空っぽだと思ってたけど、そういうプライドはあるのかもしれない。
「…いいから、もう。早く」
おみクンの素直さに絆され、俺は愛しさでいっぱいになりながら裏を舐め上げた。今までいっぱい舐められたことあるだろうに、おみクンの反応はまるで童貞みたいだった。
 後頭部に回った手に力がこもるから、今どれだけ気持ち良いのか手に取るように分かってしまう。かわいい。ねえ、全部バレてるよおみクン。
 裏側を満遍なく舐めたら、今度は舌先に力を入れて尿道を攻める。ちゃんと洗ったって言うのはホントなんだろう。無味無臭で好感が持てた。
「…あ、それ」
おみクンが苦しそうに声を漏らす。気持ち良さそうな声が雨みたいに降ってくるからこっちまで気持ちいい。だからこの姿勢が一番好きなんだ、俺。いっぱい聞かして。その声で俺のこと、ビショビショにして。
「それ、ぁ…たいち」
頭の後ろに回った手は、いつの間にか両手になっていた。俺の頭を大事に抱えて、腰をユルユル揺らして、ホントにおみクンはいついかなる時も俺のツボを刺激する。
 素直な反応が嬉しいから大サービスだ。予定より早く口の中に迎え入れて、舌とヨダレでいっぱい音を立ててあげた。頭上からひときわ気持ち良さそうな声が降ってくるから、俺もどんどんはりきってしまう。
「…ぁ、ぁ…たいち、あ」
おみクンは喘ぎながら俺のうなじを優しく指先で叩いた。なにか伝えたいことがあるんだろう、咥えたまま上を向くとおみクンが「それ」と言った。
「…うん、それ。俺の舐めながら、俺のこと見てて」
「…ふぁ、ふふ。…こう?」
「うん、興奮する」
正直言うと、見上げながらのフェラって超難しいんだ。頭の角度をちょっと間違えるだけで下の歯が竿に当たるし、だけど視線だけを上にするとすぐ目が疲れちゃうし。
 でも大好きなおみクンのお願いだから、出血大サービスね。最後まで見ててあげる。…だらしない顔、いっぱい見せてね。
「…ぁ…あー…」
口を半開きにして、気持ち良さに没頭してるその顔が、俺の下半身をちょっとくすぐる。だめだ、また勃っちゃいそう。恥ずかしいな、うまく内緒にしとかなきゃ。
「…ま、ぁ、待って、たいち」
「……」
待たない。待つわけない。さっき何回無視されたと思ってんスか。待たないよおみクン。代わりにスピード上げてあげるね。
「あ、あ…たいち、ぁ」
喘ぎながら、おみクンが俺のこめかみを両手で捕まえる。俺が速度を上げたのと同じように、おみクンも自分の腰を前後に揺らした。ちょっと遠慮がちな、それは穏やかなイラマだった。下からボタボタとヨダレが垂れて、自分の首へ、そのまま服の中へ、生温さを纏って滑り落ちていくのが分かった。
「あ…ぁ、いきたい」
「ん、うん、うん」
切羽詰まったおみクンが更に腰を速く揺らす。もうだめ、全然だめ。俺のも全然勃ってる。好きだよ、かわいい、その顔見てるだけでいきそうだ。
「ぁ、たいち、あ、俺、顔射がいい」
「ふ、ふ…うん」
「あ…顔、汚してもいいか」
おみクンの言葉に頷く。いいよ、顔でも頭でもなんならゴックンでも。なんだっていい、どんなお願いも聞いてあげる。かけていいよ。汚していいよ。
「…あっ、あー…出るよ、本当に出る、見てて、たいち、全部」
おみクンの腰が引けるのを合図に口から離して、最後の瞬間を見守る。「あ」という声と一緒に、その瞬間は思ってたよりずっと早く訪れた。おみクンの先端から、勢いよく飛ぶ。跳ねて、かかって、何度も撃って、おみクンは宣言通り俺の顔中を汚した。
「……はぁ…はー……」
おみクンの呼吸の音をBGMにして目を瞑る。精液の匂いは鼻の奥まで通り抜けて、すぐに頭の中まで浸透した。
「……」
これが、おみクンの匂い。ねえ、この匂いを嗅いだことある人、俺の他に何人くらい?…ううん、なんでもない。答えは知らないままでいいや。
 その場に座り込んで口と首のダルさをやり過ごしていたら、ふと、上から水滴が垂れてくることに気付いた。
 さてはおみクン、気持ち良すぎてヨダレ垂れちゃったな。参っちゃうなぁ俺っちフェラ超上手いから。すごかったでしょ、へへん。そう思い見上げてみたけど、それはヨダレじゃなかった。
「………」
おみクンは、キョトンとした顔でボロボロと泣いていた。
「…え」
な、ど、どうして。慌てて立ち上がりおみクンの両頬に手を添えると、ひとりごとのような「たいち」という三文字がその喉からこぼれた。
「……どうしよう…」
「おみクン?ど、どしたの」
歯車が噛み合ってないまま生きているこの人は、自分が今抱いている感情を時差なく感じ取ることができない。
 だからこの涙は、もしかしたら五分前の感情かもしれないし数時間前のやつかもしれないし、下手したら数日前のものなのかもしれなかった。
「…おみクン?」
首を傾げて聞いてみる。ハラハラ降る涙は雪みたいだった。この人は嗚咽を漏らしたり顔を歪めて泣きじゃくるってこともできない。途方に暮れて、ひとりぼっちで、訳も分からないまま涙を落とすのだ。
「…俺」
「うん」
「……たいちが、好きかもしれない」
「うん……ん?」
「俺は、たいちが、好きなのかもしれない」
「……」
………。いや、なんて?
「…たいち、た、頼むから」
臣クンの眉間が段々歪む。口元が震えて不自然な曲線を作る。初めて見る顔だった。それはおみクンの、正真正銘の、泣き顔だった。
「…まだ、行かないでくれ。そばにいてくれ」
「……」
「俺が……俺の最低なところは、頑張って治すから」
「……」
「ごめん、こんなことして……頼むから、どこにも行かないで」
ああこの人は、歯車が噛み合ってないまま毎日を生きている。ぎこちなく回るその音に怯えて、時には耳を塞いで俯いて、戸惑いさえ持て余して呆然としながら、扱い方を知らないまま。
 馬鹿だな、おみクン。自分で言ってたじゃないか。
 行かないでって言ったらちゃんと居てあげちゃう俺のこと、もう知ってるでしょ。
 …馬鹿だなぁ。ねえ、大好き。
「はー。俺っちも大概、舐められたもんッスよ」
顔射された顔のまま腕を組んで鼻を鳴らす俺の姿は、さぞスットボケだろうけどさ。いいんだ別に。
 笑ってよ、なんか間抜けだぞって。舐めたのはそっちじゃないかとか言ってさ。…俺の大好きな顔で笑って。
「おみクン分かってないな。俺っちはね欲しがりだし図太いし清廉潔白とも無縁だし、おみクンが思ってる何倍も汚いんスよ」
「…そんなことないだろ。ないよ」
「あるんだよ。図々しいし姑息だし根性も曲がってるし。知ってるでしょ、クズなんだってば」
「……」
おみクンが片手で乱暴に目元を拭いて、鼻水を啜る。子どもみたいに泣くんだね。知らなかったよ、初めて見れて嬉しいな。
 ねえ、つけあがるよ。さっきの言葉はやっぱり撤回なんて、そんなこと絶対させない。一回もらっちゃったものは絶対、もう、返してあげない。
「好きだよおみクン」
「……」
「好きだよ。わかる?」
「…ああ、わかる」
「両想いかもしれないよ、俺たち。…わかる?」
「……うん」
「だからここはね、嬉しくて泣くとこなんスよ」
「…そうか…そうだな、そうなのかな」
「…ねえ、いま俺が……嬉しくて泣きそうなの、わかる…?」
言いながら、最後の方で声が震えてしまった。やだな、かっこよくキメたいのに。そういえば屋上で歌を歌った時もこうだった。一番伝えたいことを言葉にする時、決まってこの喉は震えるんだ。
 涙が溢れる瞬間は、おみクンに見られずに済んだ。俺の視界が揺れて水の中みたいになったのと同時に、おみクンが俺を抱きしめてくれたからだ。
「…大事にしたいよ、たいち」
「……うん」
「大事にできない自分はもう嫌だ」
「うん」
「大事にできる俺に、なりたいんだ」
「うん」
「たいちの隣で、そういう俺になりたいんだ」
「うん」
背中に回る腕に力がこもった。おみクンの肩が不器用に震えた。また鼻水を啜る音がして、俺はゆっくり目を閉じた。
 空っぽだったおみクンの中に、いろんな感情が宿っていく。周回遅れのカケラがおみクンの内側に積もっていく。まだ少ししかない荷物は、だけどきっと大丈夫。これだけあれば大丈夫だよ。
 抱き合って、しばらくしたら柔らかい笑い声が降りてきた。鼻を啜りながら「泣いちまった」なんて言うから、この胸は何度だって、好きって気持ちで握り潰されるんだ。



 結局、ネカフェから出る頃には午前十時を過ぎてしまっていた。滞在時間およそ四時間。どうかその四時間の間、俺たちのブース前の廊下を誰も通っていませんようにと願う。
「…はー、朝陽が痛い」
目を細めて外光の鋭さをなんとか和らげる。最後に寝たのいつだっけな、もう一日半くらいは起き続けてるかもしれない。眠い気もしないでもないけど…どうだろう。この後おみクンと一緒に同じ部屋へ帰って、果たして俺は呑気に眠れるんだろうか。
「…なあ、たいち」
おみクンが左手にクタクタの花束を、右手に洗ったスーツの入った手提げ袋をぶら下げて、ちょっと戸惑いながら俺の名前を呼んだ。
「うん?なんスか」
ショボショボする目を何度も瞬きさせながら、俺はおみクンを見上げる。一体どうしたんだ、あからさまにシュンとしている。
「…いや、すまん。なんでもない」
「……」
全くもう、またこの人は。きっと周回遅れの感情を今ふと自覚したんだ。それでビックリして、うまく言えなくなっちゃったに違いない。
「超気になるッスね〜それ」
 隣に寄って、スーツの入った手提げを持ってあげた。ついでに笑ってつついたら、おみクンは困った顔で頬をかいた後、ようやく口を開いた。
「…俺、何番目くらいかなと思って」
「へ?」
「今までで何番目くらいに、良かった?……知りたい」
「………」
あーあ、またトンチンカンなこと言ってる。歯車が噛み合わないまま生きてきたこの人は、まるで足跡一つない雪原みたい。なんて無垢だろうと思った。
 目に映るもの、感じたこと全て。全部が初めましての荷物だね。
「…ひひ。教えてあげよっか」
「ああ、正直に言ってくれ。どんな答えでも大丈夫だ」
 謎に覚悟を決める男前に思わず苦笑した。おかしいの。一体どんな答えが返ってくると思ってるんだろうな。

「それ、ヤキモチって感情ッスねぇ!」
ねえ、新しい荷物の持ち心地はどう?案外悪くないでしょ。…ひひ。









ちょっとお知らせ



本編+アンコール(これです)+臣クン視点のアンコールもう一つ、以上三編を一冊にした本を作りたいな、とぼんやり考えています。
諸々の詳細は全く未定ですが、もし興味がありましたら、pixivにアンケートを設置していますので投票のご協力をしていただければ嬉しいです。
ご質問等ありましたらお気軽にお声掛けください。

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