緊張と萎縮が怖い


ずっと悩んでる、と言うか憂鬱で仕方ないことがある。それは、私の脳みそはたまにショートしてバグを起こしてしまうということです。
どういう時に起こるかと言うと、テンパってる時。萎縮してる時。そしてそれを自覚して「どうしようどうしよう」と余計にテンパってしまう時。
もう本当に見事なまでの機能停止で、その状態に一度なってしまうと、自分の言動を自分で操作できなくなって、自分の力では打開できなくなってしまう。

例えば「今バグ起こってる!助けてください!」と誰かに助けを求められれば良いんだけど、それを言うこともショート中だからできなくて、事態は悪化の一途。状況説明・ヘルプ発信・避難、それらも一切できなくなる。
そしてバグ中に更なるテンパリ事案が起きてしまうと(これも大概自分で引き起こしてるだけ)、一つのことを考えている間にその一つ前の事柄を忘れてしまって記憶と整頓の回路が死ぬ。本当に死ぬ。脳みそが心肺停止状態になる。

もしも私がアンドロイドだったら機械音でも鳴って煙でも出て、見た人がすぐに「壊れてるよ!」って分かることができるのに、私は人間だから音も鳴らないし煙も出ない。自分の脳みそがショートしていることを周りの人にすぐ案内できない。開示できない。
自分の意思に関係なく自動発動してくれる、そんな見た目の合図があればどんなにいいか。

ホントにホントに厄介で、中途半端な状況説明をしながら不審な挙動をするから、周りの人は「…?」となって、一体お前はいま何がしたいの?と訝しげに私を見ていることしかできないわけです。はぁ?という視線。その視線を浴びて、私は更にテンパる。火に油、まさにどつぼ。
テンパると脳みそがショートする、という感覚が分からない人からしたら、こんなのマジで意味不明で、意味不明だよねそうだよねごめんと自分も感じているのに他者にそれをうまく説明することももちろんその時はできない。だから結局何度こういう瞬間に立ち会っても私は成長しないし、変われない。何度も何度も同じことを繰り返してしまう。

じゃあテンパってない別の機会に、例えば相談すべき人に相談するとしましょう。「私はたまに脳みそがショートします」と。
そしたら相談された相手は「それはどんな時?」と尋ねるでしょう。
それが、それがね、説明できない。「テンパった時」としか言えない。「どういう時にテンパるの?」と聞かれても、テンパってた時の記憶と状況整理の回路は死んでいるので、上手に説明できない。
その時の一部始終を話すことはできる。だけど「どうしてその時にそんな行動を取ったの?」と聞かれたら「わからない」としか言えない。
振り返ったら自分でも自分のことを「頭おかしいやろ」と思うわけです。テンパった時の私が意味不明なのは、私も同じなんです。なんなんだこいつ?と、私も思うわけです。
「そういう時はこうすれば良かったんじゃないかな」と助言を貰ったとしても、それを言われたその時は理解できたとしても、いざその瞬間に立ち会ったら脳みそがまたバグを起こすので、私は私を操作できなくなる。なんなんだお前?状態になる。

緊張、萎縮が、本当に本当に怖い。オバケよりゴキブリより怖い。その時の他人の目が怖い。もう自分以外の全ての他人が怖い。
私に緊張と萎縮を与える可能性がある全てのものが、生きている人間が、人間と関わっていろんな事態が招かれてしまう可能性が、怖い。
これを簡単に言うと「人間が怖い」になる。
でも本当は人間が怖いんじゃない。人間と関わっていく中で時折起こる予測不能な事態、イレギュラー、その瞬間そのものが、怖くて仕方ない。
それを避けようとすると、人と関わりを断つというファイナルアンサーになる。極論だけど、もしそうやって生きることができたら私はこれから先ずっと緊張と萎縮に立ち合わなくていいんだろう。
…そうなれたらいいのにとちょっと本気で思ってしまう。どんなに楽ちんだろう。

突然の予定変更や次の工程が分からないことがとにかく苦手というのは、発達障害の人によく聞く症状だ。
自閉症スペクトラムとか、ADHDとか、そういう単語が並ぶコラムや資料も何度か読んできた。よく見る文言だ。だからそういった人たちが不安や苦痛を極力感じないように、1日の時間割を最初に掲示するとか、次のことを予告するとか、そんなアドバイスが書いてあるのもよく見かける。

私は発達障害かもしれない。その診断名が付かないとしても、症状が軽度だとしても、その成分がきっと他の人より強い。
病院に行って先生に聞いてみたことがないから実は分からない。自分のことを説明しなきゃと思うと、まあそりゃなかなか足が伸びないんです。気が重い。診断名がつくことがじゃなくて、うまく説明できない自分を想像することで、気が重くなる。
相手はきっと聞くプロだから気負わなくて良いんだけど、分かってるんだけど、分かっててもかけらでも自分の中に「気負い」が生まれてしまってるからもうダメだ。
気負いは緊張になり、萎縮になって、また脳みそがフリーズする。
そうなるかもしれない自分に会いに行くのが嫌だ。苦痛だ。みじめで恥ずかしくて、憂鬱で仕方ない。未だに足が伸びない。

臨機応変。
この四字熟語がまずむりだ。臨機がそもそも怖い。私にとってとにかく恐ろしい「臨機」に、うまいこと「応変」ができるわけないじゃないかと思う。
そんなの、どんな超人だ。どんな構造の脳みそだ。それがこの世の「普通」なんだとしたら、どんだけ私ははみ出してんだ。

「きちんと理解してない」ものが、散らばっている。その一つ一つを拾い集めて、一つずつ説明してもらい、理解する。それが1番の解決策だ。
テンパリ案件が発生しても、その一つ一つのパーツが全部「理解している」ものだと自分で気付けたら、多分立ち向かえる。…たぶん。
謎の巨大な怪物みたいなそれをそのまま全体像で捉えるとテンパる。自滅する。
細かくパーツで見ていって、全部の攻略方法をちゃんと知ってたら、順序立てて倒す方法を自分で組み立てられたら、たぶん大丈夫な筈なんだ。
それが、人生で一回こっきりの最終決戦みたいなものだとしたら、頑張れる。たぶん。頑張れると思う。頑張ってみるか!と思える。
でもその巨大な怪物は、次会う時は全然違う姿で、全然違うパーツの集合体になってて、予告もなく私の前に現れる。前回の攻略方法が効かない。
そんなことが、何度も何度も何度も繰り返される。

と、途方もないやん…やってらんない…へこたれるよ…さじ投げたくなる…もう来ないでくれ頼むって祈りながら部屋の隅で引きこもりたくなっちゃうやんそんなの…。

ワンパンでやっつけられる人はすごい。
ワンパンでやっつけられるんなら怖くない。いくらでも来なよって思える。だからこそ、そこに気負いも緊張も萎縮も生まれない。
リラックスして繰り出した一撃は、ちゃんと良い所に当たるんです。会心の一撃になるわけです。
私にはできないなぁ。…できない。

緊張と萎縮が怖いなぁ。はぁ~~~~、怖いなぁ~~~~~。