遠い


死というものは、こんなにも私から遠い場所にあり、けれどこんなにも、いつだって近くにある
死は怖くて、怖すぎるから、人間の脳味噌はそれに耐えられないから、都合の良い時はそれを忘れるし、何度思い出しても、直面してもまた、いつか忘れていくのだろう
だけど死は、いつだって傍らにいる
隣でずっと息をしている
生きている日々に寄り添って、いつも、その存在を鈍く光らせている

遠いな。あまりに遠いな。
私からは遠すぎて、口にするべき言葉もない
ただそこに存在している事象に、途方に暮れるような気持ちになる

空が青いとか、洗濯物がよく乾くとか、昼ご飯は何を作ろうとか、冷蔵庫の中には何があるかなとか、そういう日々の隣にいつもいるのに、あまりに遠くて、どうしたら良いか分からないな
生きているということは、いつか死ぬということといつだって共にあるのに、どうしてこんなに遠いのかな

遠いまま隣り合って生きていくことは、遠いままで生きてしまえることは、怖いな。怖いという気持ちと向き合おうとしないこの心が、きっとずっと怖いまま、私は今日や明日を生きていくんだろうな。
死ぬということは、何なんだろう。私にとって一体、どういうものなんだろう。それが本当に分かるのは自分が死ぬ時だけなのかと思うと、怖くて、やっぱり忘れたくなってしまうな

syrup16gの歌に、こんな一節がある。
「命によって俺は壊れた。いつかは終わる、そんな恐怖に
でも命によって俺は救われた。いつかは終わる、それ自体が希望」
この恐怖は、生きている限り続く。だけど死んだら、終わる。
怖いまま、遠いまま、分からないまま、生きている。分からないまま生きているということはあまりに怖くて、まるでバグのようだと思う。

怖いまま生きていく。時折思い出して、またその度に忘れたりしながら