言わせてください…!
先日書いた太一くんのバレンタインバクステについての一連の日記ですが、色々と補足…というか、こういう意味にはとってほしくないな…ということが少しだけあって(誰かから何かを直接言われた訳ではないです。決して)、なので、追記という形で、ここで少しだけお話しさせてください。
私はこのバクステを読んで「このバクステを書いた人はいづみちゃんにも太一くんにも、あんまり愛がないんじゃないのかな」って、感じざるを得ませんでした。そう、太一くんだけじゃなくて、いづみちゃんにもです。これは凄く重要な部分で、私は、この監督先生を「メインストーリーのいづみちゃんと同一人物」として受け入れる事ができない、という事です。
だから「いづみちゃん」が嫌いとか微塵も感じていません。私の中では、このバクステに出てくる「監督先生」は「知らない人」のようなものであって、だからこそ監督先生の名前を「いづみちゃん(もしくは自分の名前)」にしておく事が耐え難くなったんです。いづみちゃんが好きなので、この監督先生の名前が「いづみちゃん」と表記されることが許せなくて、だから今は「一般男性」という表記にしています。
私は太一くん推しなので、このバクステを読んで「悲しい…」の気持ちが膨れ上がってしまいましたが、怒りは湧きません。二次創作で太一くんのこといっぱい書くぞ!っていう、なんだか妙なやる気さえ貰えたように思います。けれど本当にやるせない思いをしたのは、憤りを覚えた人は、太いづやいづ太が好きな人なんじゃないかって、思っています。監督先生の解釈が、あまりに違いすぎるんじゃないかと思うんです。(太一くんもちょっとメインストーリーやイベントストーリーの太一くんとは違う気がするけど、決して「感じが悪い」という書き方はされていないので、悲しみはあれど憤りはありません)
私は太いづが大好きです。このバクステの二人は、公式にむかってこれを言うのは言語道断だと分かってはいますが、決定的に「解釈違い」だと思っています。いづみちゃんのことを大好きな人だって、このバクステは気持ち良くないんじゃないかな…と、思ってしまいます。
そのキャラクターに対しての愛が感じられないものは、やっぱり悲しいし見たくないなと思ってしまいます。だから私は愛を込めて太一くんのお話をたくさん書きたいし、愛が込められた太一くんのお話をたくさん見たいです。臣太でも万太でも太いづでもなんでも、それ以外のなんであろうと、それは同じです。
「この監督先生は受け入れられない」という言葉はそういう意味なので、自分の言葉で説明したくて、させていただきました。
それから、シナリオライターさんが複数いらっしゃるんだろうなという事は分かるのですが、それを踏まえたうえでも、このバクステだって「公式」という括りの中にあるので、それを思うと「何故だ…」という、受け入れがたい気持ちがどうしても芽生えてしまいます>_<
この監督先生はどうしても好きになれないけれど、イコール「いづみちゃんと太一くんの組み合わせは無理」ということでは、決してないです。監督先生の人物像をこんな風に描いたシナリオの在り方に、ただひたすら悲しくなる。いづみちゃんはこんな人じゃないです。私の中では、決定的に「別人」です。
乱文、失礼いたしました。
Mr.生姜
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