re:饅頭拳


太一くんに一番言って欲しくなかった言葉、それは「俺なんか」だ。この「俺なんか」という考え方が太一くんの内側から生まれるものなんだとしたら、私は太一くんを理解してなかったって事になるしストーリーを全て読み返す必要があるなって思ってた。
その発言が、今回のイベストの中で何度かあった。ああ思うのか、言うのか、と。そしたらイベストを読み進めていくうちに、太一くんの「俺なんか」「相応しくない」の根源は外的要因なんだ…と驚いた。
レニさん。レニさんの解釈を深めていた人からすると今回のイベスト内容は結構激震だったんじゃ…?と思わざるを得ない。だって、もう、明確な悪だった。太一くんを駒として使う為に言葉を吐いて、太一くんを明確に傷つけた。
今までの私のレニさんのイメージは、「傷つける」ではなく「そそのかす」だった。「そんな風に頑張らなくても確実に主演をやれる方法があるぞ?」と、誘惑したのだと。でもそうじゃなかったんだね。「お前なんかに主演は無理だ。だからやりたいなら手を汚しなさい」と、否定と断言をしたんだね。
レニさんが「そそのかす」ことしかしてなかったんなら、誘惑に負けた太一くんという言うなれば「太一くんにも非があった」という捉え方ができたんだけど(私は非も沢山抱えている太一くんが好きだ)、これだと太一くんは誘惑に負けたって感じにはならないな…。上からのマインドコントロール、いわばパワハラだ。
威圧的に自己否定されて、その結果自分の手を汚して、それでも「もういいです」「俺は消えます」ってならずに演劇の道に居続けること。すごいことだ。私がこの世界の住人で、例えば太一くんの事情を知る演劇関連以外の知人だったら。「もうやめちゃえよ」って、きっと言ってしまうと思う。否定されて、汚いことやらされて、それを自分の罪として持ち続けなきゃいけないなんて、あんまりに理不尽だよって、そんなことしてあげる義理ないよって、演劇っていうものがお前を傷つけてばっかりならそんなもんとは縁を切っちゃえよって。他に楽しくて夢中になれること探そうよって、言ってしまう。
だけど太一くんはしがみついた。汚れたその手を、それでも離さなかったんだ。
芝居は、注目の的になれるツールの1つだった筈だ。きっと始まりはそう。目立てるなら何でも良かった筈だ。だけどいつしか、GOD座で稽古を積むうちに演劇って魅力的だなって思うようになって、丞さんという憧れができて、あんな風になりたいなって夢を持つようになって。もうそこに「目立ちたいから」っていう思いはない。「かっこいい役者になりたい」って、太一くんの目指すものは変わったんだ。
それからMANKAIに入って天馬くんを目の当たりにして、劣等感を感じる為の比較対象なだけだった筈の天馬くんを「ライバル」って思うようになって。
夢を追いかけながら、太一くんの視野はどんどん変わる。どんどん広がる。内心密かに嫉妬した万里くんのことを「いつか越えたい」って思うようになることもそう。道をがむしゃらに走りながら、振り返ってはじめて「ああ楽しかったこともあった。消す必要ない」って思い改めるところもそう。太一くんはずっと進化する。ずっと変容し続ける。ひとところに留まったりしないんだ。その都度自分の中に巣食う弱さや汚れを、全部食べて、捨てないで、お腹の中に入れて持っていく。お腹の中で矛盾や反語がウニュウニュ蠢いても、それすらその存在を否定したりしない。蠢いてしまうことを、否定しない。
だから太一くんは「もういいです」「俺は消えます」にならない。太一くんは消えない。演劇をする七尾太一は、消えないんだなぁ。

太一くんに「もうやめちゃえよ」じゃなくて「死んでも離すな」って言える自分になりたい。弱くて、そんなことは今はまだ全然言える私になれないや。太一くんを見ていると自分の弱さを物凄く感じる。異邦人の時も思ったけど、私はなんて弱いんだろうと思わされる。いや、思わせてくれるんだ。気づかせてくれるんだ、太一くんは。
太一くんが好きだ。大好き。「俺なんか」「相応しくない」のあと、「だからやめます」「諦めます」に繋げないところが、太一くんの底力。絶対に消えない確固たる強さ。
諦めること、消えることの簡単さを多くの人は知っている。私もそうだ。自分かわいさに自分を消したりしてきた。
そんな私みたいな外野の「やめちゃえば?」なんて耳に入らないまま、痛々しいほどに前進し続けていく太一くんが好きだ。空回りとか滑ってるとかズレてるとか、なんか色んな似たような言葉あるけど、どれも微妙に違うんだ、太一くんは痛々しいの。
好きだなぁ、あなたという人が本当に好きだ。