独り占めの癖


小学校5.6年生の時のことです。
クラスの担任の先生が毎日朝と帰りのHRの時間に、小説の朗読をしてくれました。児童文学の本です。先生の朗読が上手なのとお話の内容が面白いのとで、私、その時間がいつも大好きでした。
その作家さんの本の内容を数冊、先生の朗読越しに読んだ(聞いた)私は、その作家さんにファンレターを書いて送りました。
そしたら、その作家さんからお返事が来ました。はがきに、丁寧に手書きで書いてあって。そのお返事に私はメチャクチャ驚いて、そして喜びました。
クラスの担任の先生にすぐさま報告しました。「お返事が来たんだよ!すごい!すごいでしょ!」って。先生も一緒に喜んでくれて「クラスのみんなにも教えてあげようか!」って、提案してくれました。
でも、私はみんなに知られるのがどうしてか嫌で「内緒がいい」って、言ったんです。
先生は「そう?」って少し不思議そうにしていたけど、それ以上特に追求することもなく、話はそれでおしまいになりました。
これが、私が自分で覚えてる中での、一番最初の「独り占め」の思い出です。

私、本当に本当に好きなものは、全部独り占めしたいと思ってしまうんです。
大好きな漫画、映画、音楽、食べ物、ライヴ、小説、それから、人のことさえも。

「大好きだから他の人にも知って欲しい、共感してほしい、広まってほしい!」と心から思える人は、きっと無償の気持ちで(そもそも無償とか有償なんて概念もなく)自分以外の人にそれを貸したり分けたり教えたり共有すると思います。今まで生きてきて、そういう人のほうが多いよなぁって、私は感じています。
私には、それがない。欠落しています。

たとえば映画館で映画を観るだとか音楽のコンサートに行くだとか、そういう「体験」すら、全部自分の中に閉じ込めて反芻したいって思いがちです。共感や共有、共鳴よりも「自分の中だけに閉じ込めて、一人で味わい尽くしたい」って思ってる。
はたから見たらそれって、ただの「ひとりぼっち」ですよね。
漫画とか小説とかに私みたいな人が出てきたら、私は「この人、一人ぼっちだ」「かわいそうな人」って、きっと思うと思います。そうやって考えれば客観的な評価ができるくせに、実際に生きていると自分を客観視できない。つくづく主観的で、それはまさに一人ぼっちで生きてきたからこそなんだろうなと思います。

私、人から「かわいそう」って言われるのが物凄く嫌で、哀れみの目を向けられると本当に心がメチャクチャになるんですが、それってきっと、図星だからなんだろうなって、最近薄々分かってきました。私、本当にひとりぼっちで哀れで、滑稽なところがある。そういう自分から目を反らしてきっと生きてきたんだと思う。
「独り占め」も多分そこから来ていて、そうやって独り占めしてないと自分の中の何かを守れなくて、弱くてグダグダで、しょうもなくて、超ダサイ心の持ち主なんだなぁ。

小学生の頃、憧れの作家さんからもらったお返事。それをみんなに内緒にしておきたかったのは、みんながファンレターを書いてみんながお返事をもらっちゃったら嫌だって、きっと思ったからなんだよね。「お返事をもらった」っていう事実を、私だけの特別なチケットのように隠し持っていたかったんだ。かわいそうだね。

そして、ここからが一番言いたいこと!なんですけど!!

私は、そういう風に独り占めしないと自分を守れない、さびしい時があったんだよね。そうする以外には方法が思いつかなくて、どうしようもなかったんだよね。
でもさ、今はもう違うよね。そうやって独り占めしなくても、独り占めしたものに縋らなくても、私はひとりぼっちじゃないし、私に手を差し伸べてくれる人や私を守ってくれる人、私が守らなきゃいけない人がいるよね。
だから、もう独り占めしなくたっていいし、大好きなものを大好きな人たちと共有して、共感し合って、幸せをいっぱい増やしていける。分けたら減るんじゃないんだよ。増えるんだよ。ゆっくり覚えて知っていこう。

こんな風に自分自身の知りたくなかった一面や見ないフリしてきた部分に気づくたび、心にドカーン!って大砲打ち込まれたみたいな大きい穴が開くんですけど(酷いと食欲不振に陥る)笑、その開いてしまった穴の部分に、これから違うものを、もっと素敵なものを埋めていけばいいんじゃん!そうじゃん!って思ったりして、なんやかや上を向こうとしている次第です。

私は私を、本当に今まで一人ぼっちにしてきた!気づいてあげなかったし向き合ってあげなかったし分かってあげようとしなかった!ごめんな!!
これからもよろしくな。